令和6年能登半島地震災害派遣レポート(2)
2024年1月4日、補給隊を基幹とする入浴支援隊(第1派)約20名を編成。5日、苫小牧東港において第1派を北部方面後方支援隊の指揮に加入させ、同日夜に同港を出港しました。
まず今津駐屯地(滋賀県高島市)を目標に前進し、6日に今津駐屯地到着後は金沢駐屯地を経由して石川県7尾市での入浴支援活動準備にかかりました。そして9日、七尾市田鶴浜地区コミュケーションセンターにおいて「すずらんの湯」(男性用浴槽及び女性用浴槽)の運営を開始しました。
同月25日、補給隊を基幹としつつ、整備・衛生・広報機能を増強した第2派約30名を第1派と同様に苫小牧東港から出港させ、七尾市を目標に前進。29日、現地において活動を開始しました。その後、当地に仮設住宅を建設させるためとほかの手段による入浴場所を確保できたため、七尾市のニーズにより1月31日をもって活動を終了。
七尾市における合計入浴者数は5456名(女性がやや多いものの男女ほぼ同数)であり、最終日となった31日は特に多くの被災者が足を運び、最大数325名が入浴しました。
2月4日に現地の撤収を完了し、2月6日、東千歳駐屯地に帰隊。これが7後支の能登半島沖地震における災害派遣の概要です。
この活動の肉付けとなる声を7後支の野田3佐(当時)から得たことで、「災害派遣のリアル」がより伝わることと思います。
まず、元旦の発災とあり、帰省先の実家や自宅等でくつろいでいる隊員も少なくなかったでしょう。災害派遣に至るまでにこれまでの災害派遣との相違点や苦労した点はあったのでしょうか。
「予期しない時に生起するのが災害であり、そのための即応態勢として平素から初動対処人員を指定し待機させているため、意識の中での相違点はありませんでした。ただ、年末年始の長期休暇中であったことから、実家に帰省している隊員がいたという状況はあります。しかし被災規模の判明に伴い自発的に帰省先から千歳に帰って来た隊員も多数いました。唯一、派遣部隊を編成する際に女性自衛官の運用には苦労しました。連隊には多くの女性自衛官が所属していますが、母親として育児等もあり、数週間不在にできるかという観点における人選で頭を悩ませました」
「入浴支援では女性浴場も運営するので、女性自衛官の力が必要不可欠です。また、入浴にお越しいただいた方の入浴中の体調の急変なども考えられるので、第1派及び第2派ともに衛生科の女性自衛官を編成に入れました。さらに連続する部隊交代を考慮し、連隊に所属する女性自衛官だけでは派遣任務に影響を及ぼすことも考えられたため、師団を通じて師団隷下部隊の女性自衛官の協力をお願いしました」
7後支はこれまで数多くの災害派遣に従事、野田3佐自身複数の災害派遣を経験してきました。
「私自身、これまで2000年の有珠山噴火、2011年の東日本大震災、2018年の西日本豪雨と胆振東部地震の災害派遣に従事しました。その際は、第7後方支援連隊が展開する入浴所・給水所・炊事等、真摯な姿を身近に感じていました。2016年の熊本地震の際は、7後支連隊を派遣隊長とする第7生活支援隊を幕僚として見送りました。連隊としても、昭和56年の部隊改編以降、浦河沖地震、奥尻島津波災害、阪神淡路大地震、有珠山噴火、中越沖地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、胆振東部地震、台風15号、台風19号、白老町鳥インフルエンザ、千歳市鳥インフルエンザの多種多様な災害派遣に、給水・入浴・輸送・衛生等の任務に従事した経験があります。さらに、インドネシアスマトラ沖の地震被害に対する国際緊急援助隊での医療活動も実施してきたので、今回、7後支が行なった派遣準備から現地における一連の派遣実績上も、大きな相違を感じている部分はありません。ただ、今回の活動は長期にわたる断水が続く七尾市での活動だったという点で、派遣部隊は苦労があったと思います」
(つづく)






