令和6年能登半島地震災害派遣レポート(1)
2024年1月1日1610頃、石川県能登地方を震源とする最大震度7(M7.6、深さ約16km)の地震が発生。新年を祝う人々の穏やかなひとときを一変させました。
震源地に近い能登半島在住者だけでなく、広い範囲で揺れを観測、大津波警報・津波警報が発令されたことや正月特番を放送していた在京キー局がことごとく地震に関する緊急番組になったことで、正月気分が吹き飛んだ人は多かったことでしょう。
発災後から現在に至るまでの自衛隊の動きに加え、災害派遣に従事した第7後方支援連隊(東千歳駐屯地)に特化した活動の流れを紹介します。
震源地にもっとも近かった自衛隊の施設は、空自輪島分屯基地です。
ここはレーダーサイトなので、隊員はわずか40名程度という規模の小さな基地。しかも元旦とあり、帰省中の隊員も少なくなかったと推測されます(地震の震源地が勤務地のそばとあって、隊員たちが超特急で基地に向かったであろうことも容易に想像できます)。
発災から約20分後には自主派遣による災害派遣により、空自第2航空団(千歳)航空機2機による航空偵察等を実施。1645、石川県知事から陸自第10師団長(守山)に対して災害派遣要請があり、同時刻受理しました。また、輪島分屯基地は避難を要する住民を最大約1000名受け入れました。
翌日には陸自中部方面総監を長とする統合任務部隊(JTF)を編成(陸海空自衛隊約1万名態勢)、陸海空計約1000名、航空機22機、艦艇8隻で人命救助活動等を実施しました。
この災害派遣の特性として、地震により能登半島内の道路門が寸断されて当初2日間アクセス不可だったため、陸海空自ヘリを集中運用したこと、被災地に所在した自衛隊部隊が輪島分屯基地のみだったという点が挙げられます。
なお、派遣された隊員の数は、翌日2000人、3日目4600人、4日目5000人、6日目5400人、7日目5900人、8日目6100人と推移しました。
6日には海自のホバークラフトLCACによりNTT車両などの海上輸送を引き続き実施するとともに、珠洲市で入浴支援を開始。翌日には自治体のニーズを踏まえ給水支援や給食支援を実施するとともに、七尾市でも入浴支援を開始しました。
その後もDMATとの協力による患者空輸、消防庁からの依頼による高度救助者の空輸、即応予備自衛官による生活支援物資の輸送、孤立地域からの被災者の2次避難に係る輸送支援、医師や看護師の資格を有する予備自衛官が孤立地域の巡回診療などを実施。さらに防衛省がPFI方式で契約している民間船舶「はくおう」を七尾港に派遣し、石川県と協同して被災者や自治体等の支援者の宿泊や入浴等のための一時休養施設を開設しました。
2月2日、自衛隊は統合任務部隊(JTF)から、地域に密着した陸自中部方面隊を中心とする約1万人の災害派遣態勢に移行。2月15日現在、実施されているおもな活動は人命救助、輸送支援、給水支援、給食支援、入浴支援、そして「はくおう」の一時休養施設です。
なお、2月15日までの活動実績(延べ)は以下の通りとなります。
人命救助 救助約1040名
衛生支援 診療約660名
患者輸送 約720名
輸送支援
糧食 約376万2000食
飲料水 約200万5000本
毛布 約1万8000枚
燃料 約18万6000L 等
給食支援 約15万食
給水支援 約4800t
入浴支援 約19万6000名
「はくおう」利用者 約1800名
道路啓開 県道1号、6号、52号、57号、266号、285号及び国道249号等の1部区間
陸自第7後方支援連隊(北海道東千歳市。以下、7後支)も、補給隊を中心として正月休み返上で災害派遣に従事した部隊のひとつです。
発災後、北部方面隊は北部方面後方支援隊を基幹とした北部方面入浴支援隊を編成。7後支は北部方面入浴支援隊の1コ入浴支援小隊を編成・担任しました。
次回は活動の詳細や派遣された隊員の声をご紹介します。
(つづく)









