令和6年能登半島地震災害派遣レポート(3)
実際に現地で入浴支援に従事した隊員の声です。
「入浴にいらした方がたくさん感謝の声をかけくださり、お菓子や果物の差し入れをいただいたこともあります。七尾市を離れる日に避難所となっている体育館の管理者の方々に挨拶をした際は、避難 ...
令和6年能登半島地震災害派遣レポート(2)
2024年1月4日、補給隊を基幹とする入浴支援隊(第1派)約20名を編成。5日、苫小牧東港において第1派を北部方面後方支援隊の指揮に加入させ、同日夜に同港を出港しました。
まず今津駐屯地(滋賀県高島市)を目標に前進し、6日に今 ...
令和6年能登半島地震災害派遣レポート(1)
2024年1月1日1610頃、石川県能登地方を震源とする最大震度7(M7.6、深さ約16km)の地震が発生。新年を祝う人々の穏やかなひとときを一変させました。
震源地に近い能登半島在住者だけでなく、広い範囲で揺れを観測、大津波 ...
国際防衛ラグビー競技会(IDRC・軍事ラグビー)(2)
日本代表チームは昨年10月から大会までの期間に6回の合宿を実施。第1回合宿には陸海空自の隊員86名が参加し、その後43名まで絞られ、直前合宿で最終フォワード19名、バックス15名の代表選手(習志野16、船岡14、青森1、海自下総3)が ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(51)
「約300万円のパジェロはぜいたく品で高い」という理由で、一定数充足しなければならない装備部の一部には反対という声もあったが、この通称パジェロの導入を通せたのは火箱にとって大きな成果だった。
また、戦闘装着セットの予算を取れた ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(50)
補正予算が終わると、平成8年度の予算に取りかかった。当時は07大綱という新しい防衛大綱が策定され、師団を旅団化し、陸自の人員を18万から16万体制に移行する最初の年だった。
「定員は削って小さくする代わりに、実員は全部ぎゅ ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(45)
勤務評定のフォーマットは定められたものがあるが、実際にそれを見て昇任を判断する立場からすると、所見の部分を含み不十分な点が多々あった。だから部隊まで足を運び「この隊員はどうですか」と聞かなければいけないことが少なくなかった。勤務評定を ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(44)
人事1班では年に2回、夏冬の昇任・補職時期には「詰めきり作業」といい、部内電話のかからない環境にこもり、雑音を遮断し作業に専念した。予算があるときは安ホテルや旅館の部屋に詰めていたが、火箱がいた最後の頃は「そんな予算はない」と言われた ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(42)
入校中の1993(平成5)年1月、火箱は1等陸佐になった。このとき、九州に暮らす母親は体調が悪化し入院しており、意識も半ば朦朧としていた。もっと近くで面倒を見てやりたいという思いはあってもそれができなかったから、いい病院を必死に探しも ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(41)
西方総監部で訓練班長を務めた後、火箱は1992(平成4)年58月から統合幕僚学校第32期一般課程学生(目黒)に入校した。
自衛隊は階級に応じた教育があり、陸自の場合、CGS(指揮幕僚課程)を修了した幹部自衛官は2佐または1佐で ...
