神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(42)

入校中の1993(平成5)年1月、火箱は1等陸佐になった。このとき、九州に暮らす母親は体調が悪化し入院しており、意識も半ば朦朧としていた。もっと近くで面倒を見てやりたいという思いはあってもそれができなかったから、いい病院を必死に探しもした。西方総監部勤務時代は、同じ九州にいながら多忙で実家に顔を出すこともままならず、両親はほとんど孫たちに、特に幼い長女には会えていなかった。
火箱は1佐の内示を受けた後、正月休みを利用して帰省し、ようやく入院中の母親に孫の顔を見せてやることができた。
そして「1佐になるよ」と伝えると、涙を流して喜んでくれた。それが母と会えた最後で、その年の3月に74歳の生涯 を閉じた。母として4人の子どもを育て、看護婦として朝から晩まで働きづめで、自分の体よりも人の健康を優先するような人生を送った人だった。「親孝行したいときに親はなし」と今も悔いは残っているが、一選抜で1佐に昇進したことはせめてもの、最後の親孝行だった。

統合幕僚学校で学生として1年間過ごした後、火箱は1993(平成5)年8月に陸上幕僚監部人事部補任課へ異動となり、人事第一班長補佐というポストに就いた。
陸幕の補任課では陸上自衛隊の自衛官、および事務官の昇任と補職、特別昇給などを担当する。要は陸上自衛隊の自衛官、事務官の人事運用をすべて決めて陸幕長、防衛大臣に上申する部署である。
最初に「陸幕の補任課人事第一班へ」と言われたとき、火箱の脳裏に真っ先に浮かんだ思いは「班長補佐ってどんな仕事をするんだろう?」だった。初めて人事に関わる業務に就くことになったのだから、そう思うのも当然である。かつて陸幕広報室の報道担当になったときに「広報の報道ってなにするんだ?」と思ったのと同じである。
歴代の先輩たちを見ると、火箱からすればそうそうたる面子が並んでいる。「これは大変なポストじゃないか。自分にできるのか?」と驚き不安に思うと同時に、先輩たちに負けないよう自分も挑戦したいと思ったのも事実で、火箱は不安だけでなく期待も抱いて着任した。
が、「期待」のほうはあっという間に消し飛んだ。

班長は1佐の補職を担当、班長補佐が担当するのは主として1等陸佐の昇任である。2佐から1佐への昇任候補の対象は約1000人にもなる。その中から限られた枠の中で、「これぞ」という幹部自衛官の昇任を期別ごとに選考するのが火箱の仕事だった。
判子を押すのは陸幕長だが、一人ひとりの詳細まで把握しているわけではないから、陸幕長、人事部長、補任課長になり代わり、火箱が「なぜこの人物が昇任に値するか」を説明できなければいけない。いつ、誰を1佐にするかは、火箱ただひとりで選考しなければいけないのだ。
「大変な部署に来てしまった」
火箱の眠れない日々が始まった。

(つづく)