神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(50)

補正予算が終わると、平成8年度の予算に取りかかった。当時は07大綱という新しい防衛大綱が策定され、師団を旅団化し、陸自の人員を18万から16万体制に移行する最初の年だった。

「定員は削って小さくする代わりに、実員は全部ぎゅっと詰まった、中身は満杯の部隊にする。防衛力の規模および機能を見直し、合理化・効率化・コンパクト化を進め、必要な機能の充実・防衛力の質的な向上を図るとの方針のもと、コンパクトだが弾力性があって持続性もある」という部隊を作るというコンセプトで、初年度の装備品を取っていった。そのせいなのか、財務当局は理解を示し、かつてないほど予算を伸ばすことができた。その背景には、国が好況で予算環境がよかったことがある。ただしこの改革は、後の陸上自衛隊に禍根を残す結果となる。

しかし当時は夢のある改革だと思っていた。もともと平成7年度も予算が伸びていて、9年度あたりが防衛予算のピークだった。約4兆9400億円のうち陸自で約1兆8000億円を獲得、大きなプロジェクトも進められ、戦車や火砲などいろいろな装備品も取得できた。ちょうど火箱の業計班長時代は、装備品を調達しやすい時期に当たったといえる。それ以降、予算は平成30年度まで下がる一方だった(現在の防衛予算は5兆4005億円を超え増額しているように見えるが、米軍関連を除いた予算が9年度と同額になったのは平成30年度になってから)。

いちばん重要なのは装備品の調達が含まれる物件費で、これをいかに伸ばすかに注力した。「戦車の新しい部隊を作るならこれだけ確実に取るぞ」など、譲れない目標があった。
防衛班作成の「○両必要」と計画したものを形にするのが業計班の役目だ。ほかの部署だって予算をつけてもらうために必死に訴えてくる。そういうやり取りを陸自、内局、大蔵省を経て、最終的に陸自の1兆8000億円の防衛予算が決まるのだ。
当時の概算要求は九月までに出すことになっていたので、3月からずっと内局と調整し、概算要求を出した後は年末にかけて、財務省に1項目ずつすべて説明していく。机の上にはいつも書類が山のように積まれていた(陸自は海自や空自に比べて書類の量がずば抜けて多い)。

いちばん苦労したのは、財務当局をいかに納得させられるよう説明するかだった。できるだけ削りたいという財務当局と、なんとしてでも予算を付けてもらいたい火箱の攻防は激しかった。それ以前に、陸海空自衛隊、さらに内局で、いかに陸の予算を引き出すかという戦いもあった。勝つか負けるかという、そんな厳しい世界だった。

しかしやりがいはあった。たとえば、今ではすっかりおなじみの1/2tトラック(ベースはパジェロ)を導入しようと、会議で反対する者を説得したのは火箱だ。
「乗り心地も悪く、幌もぼろぼろのジープ、俺は何度も落ちそうになった。演習に行くときは幌があったっていいじゃないか。ラジオは要らないと言うけれど、災害派遣の際は道中、ラジオで状況を聴けるじゃないか。エアコンくらい付けてやってもいいだろう。開発するわけじゃない、民生品の転用なんだから」

(つづく)