神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(49)
火箱は業計班長として平成8(1996)~9年度の予算を担当したが、その前に手がけて最初の仕事となったのが二次にわたる補正予算だ。
阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件から得た教訓により、自衛隊に足りなかった装備をこの補正予算で確保した。本来、防衛関係費として予算がつくのは防衛装備品のみで、災害派遣専用品は買えなかった。しかし未曽有の災害が起きたことで事情が変わった。災害用の装備に予算がついたのは初めてのことだった。
まず、地下鉄サリン事件を機に、120億ほどかけて個人用防護装備セットなどを入れた。
また、阪神淡路大震災で不足していたとして、これまで東部方面隊に1基あっただけだったヘリコプター映像伝送装置を各方面隊に導入した。
救助活動でコンクリートに穴を開けられず苦労した教訓から、災害派遣ではつるはしや円匙(スコップ)以外の装備が必要と、個別の物品を入れるのではなく、都市型災害にも対応できる「人命救助システム」にも予算がついた。これはひとつのコンテナに手巻きウインチ、油圧式ジャッキ、エアジャッキ、チェーンソー、エンジンカッター、油圧式カッター などがセットになったものだ。装備部の担当者が考案してきたので、「よしそれで行こう」と財務当局に説明した。
全国には84カ所ほど連隊の隊区があり、まずは隊区に半個セットずつを導入することができた。災害時に不可欠な野外支援車、通称トイレカーも、各師団に1台ずつ置ける予算がついた。
震災では機動力不足も大きな課題となった。自衛隊では、人員はトラックで輸送することを基本としており、いわゆる「3t半」と呼ばれるトラックに幌をかけ、隊員は荷台に設置されたベンチに座って移動する。
トラックの荷台はおせじにも乗り心地のいいものとはいえず、薄い座席は小さな振動もダイレクトに響く。人員輸送というより、半ば貨物扱いだ。陸自にはバスで移動するという概念がなく、当時の陸自で大型バスを保有しているのは音楽隊くらいだったのだ。
しかしバスは隊員の仮の休憩所にもなる。過酷な災害派遣の現場では、隊員を休ませることもきわめて重要だ。そこで大型バスを30台、マイクロバスも各師団に計150台調達した。装備品のカテゴリーに属していなかったバスを調達できたのは大きかった。さらに、偵察隊のバイクよりも小回りの利くバイクにも予算をつけ、情報小隊などが使えるようにした。
こうして火箱が初仕事で勝ち取った補正予算は一次補正で120億円、二次で236億円にのぼった。財布の紐の固い大蔵省がこれほど認めてくれたのは、震災が起きたばかりでまだ生々しかったのはもちろん、担当の千葉徳次郎2佐(後の北部方面総監)の熱意によるところも大きかった。
「業計班の腕の見せどころは、いかに知恵を絞り熱意と粘りをもって財務当局に伝えるかなんだな」。
この最初の経験で、そう感じた。
(つづく)





