神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(41)
西方総監部で訓練班長を務めた後、火箱は1992(平成4)年58月から統合幕僚学校第32期一般課程学生(目黒)に入校した。
自衛隊は階級に応じた教育があり、陸自の場合、CGS(指揮幕僚課程)を修了した幹部自衛官は2佐または1佐で陸海空幹部学校AGS(幹部高級課程)、防衛研究所一般課程、統合幕僚学校一般課程のいずれかに選抜入稿する。火箱が10カ月学ぶことになった統幕学校は、1961(昭和36)年に統合幕僚会議の附置機関として設置され、1980(昭和55)年から陸海空の合同統合教育が始まった。AGSは陸自のみ、防研は陸海空自衛官と事務官など、 統幕学校では陸海空自衛官と共に学び、互いの文化を知ることができる。陸自の世界で育ち、海・空について知る機会が皆無に等しかった火箱にとって、統幕学校はありがたい環境だった。
統幕学校一般課程はAGS、防研一般課程と並び、自衛隊の最高学府として上級部隊指揮官および上級幕僚への登竜門 のひとつに位置づけられており(高級3課程)、統合運用能力を遺憾なく発揮し任務を完遂しうる人材育成を目指している機関である。火箱が入校した時代は、統合運用の必要性は謳われていたものの、まだ制度としては成立していなかった。 今でこそ災害派遣などで統合幕僚監部が一元的に運用にあたり、現地ではたびたび統合任務部隊が編成され、島しょ防衛においても統合運用が欠かせなくなっているが、統合運用が始まったのは、火箱が統幕学校で学んでから10年以上が過ぎた2006(平成18)年なのだ。それだけ陸海空という毛色の異なる組織を一元的に運用することは難しく、世界各国の軍隊も統合運用を目指しつつなかなか実現にいたらない国が多いのが現実である。
CGSでは座学を中心に陸上の戦術、防衛戦略を2年間みっちり学んだが、統幕学校では部外講師の講義受けや統合運用のグループ研究、そして陸海空自衛隊の部隊研修が中心で、陸海空の各自衛官が互いに教え合う。火箱も海・空自の幹部自衛官から未知の世界を学び、海自の護衛艦や潜水艦に乗ったり、空自の戦闘機の訓練や警戒管制の現場を見学したりした。
「護衛艦が訓練のため外洋に出て停泊しているときは、釣りでもしているのかな」と思うほど、火箱は陸自以外のことを知らなかった。それが基地を訪れ護衛艦に乗せてもらうと、自分がとんでもない勘違いをしていたことにすぐさま気づいた。艦長がどれほどの重責を担っているかも初めて知ったし、地形に沿って飛ぶ陸自のヘリと違い(「陸自のヘリパイは 『 まっぷる』を見て飛ぶ」という冗談があるほどだ)、哨戒ヘリが真っ暗でなんの目印もない洋上を飛行し、波に揺れる甲板に着艦することの難しさも目にした。空自の戦闘機のスクランブルでは、実任務の緊張感が痛いほど伝わってきた。 実は海・空の編制をしっかり把握、理解したのも統幕学校で学んでいるときだ。ただこれは火箱に限らず、海自、空自の幹部自衛官もまったく同様だった。
座学では政治学者や歴史学者、各省庁の職員や専門家などの話を聞き、統合防衛戦略などについて学んだ。また、海外研修も自分たちで計画し、火箱はマレーシア、シンガポールを訪問、現地の将校と意見を交わした。
統合運用を学び、その必要性を実感しながら火箱が感じていたのは「やはり陸海空では意見がいろいろ違うな」ということだった。しかし同時に「統合運用は簡単なことではないが、互いに協力しあう体制さえできれば実現するはずだ」とも感じた。一緒に学んだ海・空の幹部自衛官とは今でも付き合いが続いている。
(つづく)









