今こそ知りたい陸自の後方支援(7)

そういえば、普通科連隊長、師団長、方面総監も歴任した陸自OBから、「方面総監部防衛部の訓練班長を務めたとき、後支部隊が日頃どんな訓練をしているのか想像もつかず、訓練検閲の想定を作る際に途方に暮れた。輸送隊については『トラックをたくさん保有していて部隊の物資を運ぶ』程度の知識しかなかった。これまでいかに自分が所属していた第1線部隊のことしか考えていなかったか思い知らされた」と聞いたことがあります。幹部自衛官ですら、普特機職種だとこのような感覚だったのです。
歩兵第一主義の旧軍での戯れ歌、「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱に花が咲く」を昭和、平成の自衛隊でも半ば冗談で口にする空気が残っていたことは否めません。

しかし時代は令和です。
兵站の重要性は、自衛官はもちろん、国民もすでに知っています。多くの戦史家が述べてきた「素人は戦略を語り、プロは兵站を語る」という言葉が、今ほど響く時代はないでしょう。

後方支援部隊は取材の機会も決して多くありません。ミリタリー雑誌でも、迫力ある実弾射撃や臨場感ある戦闘訓練などが撮れる第一線部隊への取材がどうしても優先されるのが現実です。
今回、7後支で各部隊の取材が実現したのは、当方からの取材依頼を7後支が快諾、細部にわたって調整してくれたおかげです。特にきわめて個人的な事情で恐縮ですが、千歳界隈のホテル料金は高騰の一路をたどっており、「取材日をできるだけぎゅっと凝縮して欲しい」という無茶な依頼にも完璧に応えていただきました。書きたいことの半分程度しか書けていないほど、充実した取材だったと同時に、国民に(そして自衛官に)兵站をつかさどる後方支援部隊を知ってもらうため、われわれメディアも注力すべきではないかと改めて思う取材となりました。

改めて、後方支援連隊というのは知れば知るほど強靭であり、第一線部隊を生かすも殺すも後方支援次第だということを実感しました。
どれほど戦闘部隊が勇猛果敢かつ精強でも、燃料や弾薬、糧食がなければ戦闘の継続は不可能です。かつての日本軍はそれを「気合」で乗り切れとしましたが、この時代にそんな血迷った感情論を唱える指揮官はいません。あらゆる状況において兵站の重要性が軽視されることは、もはやないでしょう。安保3文書にのっとった自衛隊の後方支援のさらなる充実を、1日も早く実現して欲しいと願ってやみません。

なお、令和5年度方面戦車射撃競技会は第72戦車連隊が4連覇を達成。中隊優勝は72連隊第1中隊、小隊優勝は72連隊第1中隊第2小隊が優勝という完全優勝でした。第2戦車直接支援中隊が静かに、しかし力強くガッツポーズを決めている姿が目に浮かびます。

最後になりますが、昨年秋に名寄駐屯地所在第3即応機動連隊や第2偵察隊などが鬼志別演習場整備を行なった際、第2師団隷下の後方支援部隊が整備を支援しました。
演習場整備中の車両や機材の整備を担当するだけでなく、廠舎の浴場は整備に参加している全隊員が利用するには小さすぎるため災害派遣でも活躍している入浴セットで支援したり、演習場内のひどいぬかるみにはまってスタックしてしまった車両をレスキューしたりと大活躍でした。後支の支援がいかに前線に立つ隊員の任務にまい進する環境を整え士気を上げるか、改めて目の当たりにしました。

(おわり)