朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(19)




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前回までのあらすじ

 

1950年10月15日、ウェーク島でダグラス・マッカーサーとハリー・トルーマン大統領とが会談した。世に名高いウェーク島会談である。

 

このウェーク島会談で、マッカーサー、統合参謀本部およびトルーマン大統領は、朝鮮戦争が最終段階にあるという共通認識を持つにいたった。

 

マッカーサーは戦争が「クリスマスまでに」終わると考えており、仁川上陸作戦成功直後であったこともあって、この会談において朝鮮戦争の見通しに関し楽観的な認識を披露した。

 

ウェーク島で会談した当事者が持っていた朝鮮戦争が「最終段階にある」という認識は、米国の軍事的資源を情勢が緊迫化している欧州に再配置するために、朝鮮戦争を迅速に終結させなければならないというプレッシャーをマッカーサーに与えることとなった。

 

たとえば、ウェーク島会談で統合参謀本部議長オマー・ブラッドレー陸軍元帥は、「第二師団か第三師団を1951年1月までに欧州へ投入するために利用できないだろうか?」とマッカーサーに対し要求していた。そして、マッカーサーは、ブラッドレーの要求に同意を示し、第二歩兵師団を1951年1月までに欧州へ送ると言明したのであった。

 

 

ミラー・イメージングの罠に落ちたマッカーサー 〜中国の南進は「大虐殺」となるだけだ〜

 

トルーマン大統領と彼の補佐官たちは、満州で増強中の人民解放軍が持つ意味と中国の要人たちが発した警告に関するマッカーサーの解釈を聞きたがっていた。トルーマンがマッカーサーに対し、中国が介入する可能性について尋ねたとき、マッカーサーは以下のように回答した。

 

「(中国が介入する可能性は)極めて小さい。もし中国が開戦から1か月ないし2か月のうちにこの戦争に介入していたならば、介入は決定的な意味を持ったであろう。

 

われわれは、もはや中国の介入を恐れていない。われわれは、もはやかしこまってなどいられない。中国は満州に30万人の兵力を有している。おそらく、30万人のうち、鴨緑江沿いに配備されているのはせいぜい10万〜12万5千人だ。たったの5万人〜6万人のみしか鴨緑江を渡ることができない。中国は空軍を有していない。

 

現在、われわれは韓国領内に空軍基地を保有している。したがって、もし、中国が平壌に向けて南進を試みたとしても、大規模な虐殺となるだけであろう。」

 

このトルーマンに対するマッカーサーの回答は、国連軍に対する中国の脅威に関するウィロビーの評価を反映したものであり、このことは、マッカーサーが自身の判断の大部分を彼の上級情報幕僚により提供された情報分析結果に依存していたことを示している。

 

また、この回答の中にみられる「中国は空軍を有していない。・・・(中略)・・・したがって、もし、中国が平壌に向けて南進を試みたとしても、大規模な虐殺となるだけ」だという分析評価は、満州に存在する30万人の人民解放軍により提示される脅威を国連軍の空軍力で無力化できるということが前提となっており、国連軍の空軍力に力点を置き中国の南進の可能性を予測する論理構造となっている。

 

つまり、このマッカーサーの回答にみられる論理は、マッカーサーとウィロビーが空軍力を重視する米国流の用兵思想に基づいて中国の出方を判断したことを暴露している。自分たちの常識に基づいて相手の出方を考えてしまうことを「ミラー・イメージング」というが、マッカーサーとウィロビーは、ミラー・イメージングの陥穽にはまってしまっていたのである。

 

 

ディーン・ラスクの懸念

 

ウェーク島に来た政府高官の中で、中国の出方について懸念していたのはトルーマン大統領だけではなかった。前回の連載でも登場したディーン・ラスク極東担当国務次官補は、中国が米国に対し宣戦布告する可能性に関して、マッカーサーに明確に質問している。ラスクのこの懸念は、もし国連軍が38度線を越えたならば中国は朝鮮戦争に参戦するであろうという、中国要人が発していた警告に基づくものであった。このラスクの問いかけに対するマッカーサーの回答を、後年ラスクは以下のように回想している。

 

「マッカーサーは、中国がなぜそのような危険な状況に乗り出すのか全く理解できない、中国は今や自身が気づいている苦境によってひどく困惑しているに違いない、と述べた。」

 

ウェーク島会談のわずか1日前にマッカーサーに提出された、ウィロビーの情報日報(Daily Intelligence Summary:DIS)は、周恩来が発した「米国が戦争を拡大するつもりで38度線を越境しようとしている。もし米軍が実際にそのような行動に出たならば、我々はそれを座視できないし、無関心のままいることはできない」というステートメントを「恐喝」にすぎないと評価していた。

 

さらにラスクは、中朝国境をパトロールする国際部隊創設の可能性についてもマッカーサーとの会談の際に議題の1つとして持ち出した。これに対し、マッカーサーは、満州と北朝鮮との間に広がる国境地域の地形上の困難と政治的複雑性を認めたうえで、次のように答えた。

 

「それは軍事的観点から言って認められない。私はその地域に韓国軍を配置するつもりである。韓国軍は緩衝物となるであろう・・・(中略)・・・私はできるだけ速やかにすべての非韓国軍部隊を韓国から撤退させたいと希望している。」

 

ウェーク島会談で政治的に複雑な中朝国境地帯に韓国軍を展開させると明言したマッカーサーであったが、その後、マッカーサーは自身の発言を反故にしている。というのも、マッカーサーが計画した中朝国境へ向かう11月攻勢において、マッカーサーは鴨緑江へ向かう進撃の先陣部隊に米軍部隊を配置したからである。

 

 

ウィロビーの変節 〜人民解放軍は「鴨緑江を渡河したにすぎない」〜

 

駐韓米国大使ジョン・ムチオは、マッカーサーに同伴してウェーク島会談に参加していた。ムチオはウェーク島会談の重要性について別の視点を提供している。ムチオの回想によると、マッカーサーは人民解放軍がすでに鴨緑江を越え北朝鮮領に侵入していたことを認識していたが、その重要性を過小評価していた。さらにマッカーサーは次のように述べたという。

 

「私の情報部はこの地域に2万5千人から3万人の人民解放軍が所在することを確認しているが、鴨緑江を渡河したにすぎないし、(それ以上のことをすれば)情報部が気づくであろう。」

 

ウィロビー率いる自身の情報部に対するマッカーサーの信頼は、ムチオに対して述べたこの発言において人民解放軍がすでに北朝鮮領内に所在することを認める一方で、なぜ人民解放軍が北朝鮮領内に存在し、彼らが何を意図しているのかという2つの問題についてウィロビーが回答を見出すことに失敗したという事実を見落としてしまっている。

 

朝鮮戦争のこの時点で、ウィロビーの分析は、満州における人民解放軍増強が持つ意味を分析し警告を発するという立場から、鴨緑江へ向けたマッカーサーの攻勢計画を中止させないようにするため、マッカーサーに不利な情報に言及しない、もしくは過小評価する方向へと変化してしまったのである。

 

ウィロビーの弁明 〜「敵の意図」の分析評価は情報部の職責ではない〜

 

ウィロビーは1954年に刊行された自身の著作『マッカーサー:1941年〜1951年(MacArthur 1941-1951)』において、ウェーク島会談でマッカーサーが中国の脅威を無視したという批判に対して反論している。

 

ウィロビーは、中国が朝鮮半島に何十万人もの部隊を展開することを情報部が認識できたということと、毛沢東の意図を予言することの不可能さをはっきり区別して、以下のように述べている。

 

「情報の専門用語には『能力』と『敵の意図』との間には広く受け入れられている区別が存在する。ここでいう能力とは、圧倒的兵力で韓国へ向け進撃する物理的能力であり、敵の意図とは、北京が本当に進撃を準備しており、したがって西側世界の半分と戦争をするリスクを冒すか否かという問題である。」

 

この一文はシークレットとミステリーというインテリジェンスが抱え持つ難問を象徴している。シークレットとは、相手国の軍隊の規模や保有する兵器の数など、秘密ではあるが存在が確実なもののことであり、ミステリーとは、相手国の将来の政策や意図など、その存在自体が疑わしく、だれにも回答できないもののことである。

 

一般に、インテリジェンスはシークレットに対する情報収集や分析を行うことは可能であるが、ミステリーの領域まで踏み込むことはできないとされている。しかし、本稿でも指摘したように、トルーマン大統領やディーン・ラスクに代表される大統領の補佐官たちといった政策立案者がマッカーサーに回答を希望したものは、「中国が介入する可能性」や「中国の意図」というミステリーの領域に属するものであった。

 

情報分析結果という生産物を要求する政策サイドという「顧客」が情報部に要求するのは、多くの場合ミステリーに属する分野の問題なのである。ここに、インテリジェンスの難しさがある。

 

先に引用した一文の中で、ウィロビーは、巧妙に敵の能力と敵の意図とを区別することにより、敵の行動可能方針を分析予測してその結果を自身の司令官に提供するという自身の職責を回避している。しかし、既述したように、ウィロビーは自身が提出した情報日報の中で、周恩来が発したステートメントに対し「恐喝」にすぎないという評価を下すことで、敵の意図に関しても評価分析を行っていることもまた事実なのである。

 

したがって、敵の能力と敵の意図とを区別して、情報部の役割が敵の能力のみを分析することにあったという彼の弁明は責任回避にすぎないといえるであろう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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最終回
【戦史に見るインテリジェンス活用の失敗と成功(その2)】  「朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜」(最終回)