朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(32)




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前回までのあらすじ

 

本連載の冒頭で、1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」には三つの要因があると指摘した。すなわち、

 

問題1:予測分析の問題
「伝説的な戦争指導者」マッカーサーと米陸軍において最も経験豊富な情報将校の1人であるウィロビーという、能力と経験の点で米軍でも随一の2人が、中国政府高官が戦略レベルで発した警告が多数あったにもかかわらず、なぜ中国が朝鮮戦争に介入するであろうということを「予測することに失敗」したのであろうか。

 

問題2:制度的機能不全
共産中国が北朝鮮領内に大規模部隊を投入したとする多くの証拠が存在したにもかかわらず共産中国が朝鮮戦争に介入しないと結論付けたウィロビーの情報分析に影響を与えた「制度的要因」とはどのようなものであろうか。

 

問題3:人的・政治的要因
ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法やマッカーサーとの個人的関係にどのように影響しているのだろうか。

 

前回までで、問題3までの考察が終了したが、今回から数回にわたり、この連載を通じて判明した点を結論としてまとめてみたい。また、ウィロビーの失敗が現代の安全保障政策に与える教訓にも言及してみたい。

 

ウィロビー3つの失敗

 

「なぜ、人民解放軍は北朝鮮の支援に直ちに着手することに失敗したのであろうか?それは単純な理由である。というのも、仁川上陸以後、人民解放軍は鴨緑江に架かる諸橋梁および周辺に存在する解放軍の基地が爆撃を受ける可能性に直面しなければならなかったのだ。このことは、人民解放軍にとり、朝鮮戦争への介入を失敗に終わらせる危険があることを意味した」

 

これは、もし、トルーマン大統領が満洲への爆撃を許可していたならば、人民解放軍は朝鮮戦争に介入しなかったであろうという戦争当時の情勢分析が、正しかったとして、戦後になりウィロビーが弁明的に述べた言葉である。

 

ウィロビーは、1950年の末、朝鮮半島に中国が介入する潜在的な脅威を正しく認識していたが、中国政府要員が発した政治的警告の重要性を正しく認識すること・中国との戦争を準備すること・前線部隊に中国側の意図に関し警告を発することのいずれにも失敗してしまった。戦争は戦略・作戦・戦術の三次元が存在するといわれるが、ウィロビーは、戦略的にも作戦的にも戦術的にも失敗してしまったのである。

 

1950年11月の情報の失敗の複合的要因

 

1950年秋、ウィロビーが中国政府の意図を正確に分析することに失敗した原因は、相手も自分と同じように行動すると考えるミラー・イメージングの結果である。朝鮮半島に関する情報報告・分析をウィロビーが排他的に独占したことにより生じた使いまわされた情報の弊害により、このミラー・イメージングはさらに複雑なものとなってしまった。

 

ウィロビーが日中戦争当時の中国軍の戦闘行動を分析し、中国人が戦闘能力に欠ける民族であると中国人に対し偏見を持っていたことも情報の失敗の被害を大きなものとしてしまった。

 

しかも、さらに悪いことに、国連軍部隊の一部が、人民解放軍部隊による朝鮮半島侵入が間違いないことを確認したとの報告を出したときに、ウィロビーは、1950年11月に開始される予定であった鴨緑江を最終目標とするダグラス・マッカーサーの攻勢計画を実現させる意図で、そのようなマッカーサーの攻勢計画にとって不利になる情報の重要性を矮小化してワシントンに報告した。

 

マッカーサーやワシントンの判断ミス

 

これにくわえて、その他の複数の要因が、ウィロビーの失敗を倍増させる結果となった。そのような要因には、朝鮮戦争が「最終段階」にあるというマッカーサーおよびワシントンの政策中枢の誤った認識が含まれ、この認識は欧州で高まりつつあったソ連の脅威に対処するために朝鮮半島に展開中の部隊を欧州方面へ転進させろという圧力を高める結果となった。

 

マッカーサーも、空軍力を使い中国のいかなる介入をも撃破可能であると熱心に信じ込んでおり、ウィロビーによる中国側の意図の分析に疑義を呈する人々が持つ懸念を緩和するために圧倒的空軍力という論点をしばしば持ち出して説得しようとした。

 

トルーマン大統領や統合参謀本部は、中国介入のあからさまな脅威に直面した時でさえも、仁川上陸作戦の成功後はマッカーサーの作戦計画に反対することを躊躇したために、戦域指揮官―マッカーサー―に適切な指針を与えるという自身の職責を果たすことに失敗した。

 

このような各要因は、なにも50年以上も前の朝鮮戦争の時代の問題ではなく、現在の安全保障政策において表面化する問題でもあるし、今後も恐らく繰り返し発生する問題であろう。

 

ミラー・イメージングとウィロビーの失敗

 

ウィロビーは、中国が戦争介入を決断する決定的な転回点を誤認したという意味で、ミラー・イメージングの犠牲者となった。

 

ミラー・イメージングとは、分析者が敵側・相手側の観点に立って物事を分析評価するのとは正反対に、分析者自身が自分だったらどう行動するのかという観点から物事を分析評価してしまうことである。

 

ウィロビーは、もし中国が介入するならば、国連軍が最も脆弱な時点で介入したであろうと信じ込んでおり、朝鮮半島での紛争が中国側にとって最も不利な時点で中国が介入の決断をするとは考えなかった。

 

もっともこれはウィロビーだけが悪いのではなく、毛沢東が介入時期の判断を遅らせたことにより、マッカーサーの鴨緑江へ向かう前進が中国の国家安全保障を脅威にさらすという重要問題を中国側要人に与えることとなった側面もある。

 

国連軍にとって最大の危機が釜山橋頭堡での防衛線や仁川上陸作戦直後にあったと考えるウィロビーは、マッカーサーが後方連絡線を伸ばし過ぎ、部隊を北朝鮮領内の荒涼たる山岳地帯に分散することによって、人民義勇軍が国連軍に対しまれにみる反撃の好機を得ることができていたことなど理解できなかったのである。戦争は、相手が存在するのであり、物事は相手との相関関係で決定することをウィロビーは忘れてしまったのだ。

 

ウィロビーは、中国側の立場や価値観に立って物事を評価するという視点を忘れ、中国が朝鮮戦争に相入するか否かを国連軍の空軍力を基礎に判断することで、ミラー・イメージングの罠にはまっていることを証明してしまった。

 

ウィロビーとマッカーサーが国連軍が最も脆弱な時点で、なぜ中国が介入しないのかという問題を考えた際に、ウィロビーが出した答えが、冒頭で引用した、

 

「それは単純な理由である。というのも、仁川上陸以後、人民解放軍は鴨緑江に架かる諸橋梁および周辺に存在する解放軍の基地が爆撃を受ける可能性に直面しなければならなかったのだ。このことは、人民解放軍にとり、朝鮮戦争への介入を失敗に終わらせる危険があることを意味した」

 

というものである。ウィロビーは中国側は鴨緑江に架けられた橋梁を爆撃されることを恐れていると予想したが、これとは正反対に、戦争が進むに連れ、人民義勇軍人捕虜に対する尋問で、人民義勇軍が鴨緑江の最も浅い場所で渡河するか、急造の木製橋を使用して鴨緑江を渡渉していたことが判明するのである。ウィロビーの予想が裏切られたわけである。

 

現代にも通用するミラー・イメージングの概念

 

ミラー・イメージングの概念は、情報関連技術が発達した現代においてさえも、各国の情報機関関係者を悩ませ続けている。

 

たとえば、米国および西欧主要国の情報機関は、イラクに大量破壊兵器があると誤認してしまい、この誤認が2003年の米国によるイラク侵攻につながったことは記憶に新しい。

 

主要国の情報機関が「サダム・フセインは現代でも大量破壊兵器開発を継続している」との思い込みから情報分析を始めた結果、正反対の結論同士を戦わせて妥当な結論を導く競合分析を行うことが不可能となり、西欧主要国の情報機関はフセインが今でも大量破壊兵器を隠し持っているという結論を導き出してしまったのだ。

 

さらに、西欧主要国の情報機関の仮説を強固なものとさせたのは査察に対するサダム・フセインの態度であった。すなわち、国連査察官による査察をサダム・フセインが頑ななまでに拒絶したことが、違法な兵器開発計画を隠密裏に維持しているのではないかという西欧主要国の情報機関の仮説を強化する結果となったのである。

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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