朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(34)




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前回までのあらすじ

 

1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。

 

1950年11月の情報の失敗は、従来指摘されてきたようなウィロビー1人のミスではなく、複合的要因によってもたらされたものであったことが明らかとなった。

 

もちろんウィロビーの側にも失敗の原因は存在した。ウィロビーが失敗した最大の理由は、相手も自分と同じように行動すると考えるミラー・イメージングにあった。また、朝鮮半島に関する情報報告・分析をウィロビーが排他的に独占したことにより、使いまわされた情報の弊害が生じ、このミラー・イメージングはさらに複雑なものとなってしまった。

 

また、マッカーサーが周囲の反対を押し切って断行したクロマイト作戦(仁川上陸作戦)が成功したことにより、マッカーサーと彼の極東軍司令部の参謀たちが増長し、統合参謀本部も含めたワシントンの有力者たちがマッカーサーに反対できなくなってしまった。

 

さらに、マッカーサーは、毛沢東を政権の座から引きずり落とす目的で、朝鮮戦争に中国を引きずり込もうとし、そのために戦争を拡大しようとしていた。

 

そして、1950年の10月から11月にかけて中国が介入するであろうことを示す多くの情報が存在していたにもかかわらず、マッカーサーと彼の幕僚たちがそうした情報に対し全く気に留めない態度を継続し続けた理由の一つには、そのような情報がマッカーサーの戦争拡大計画を妨害する点にあった。

 

ソ連もしくは中国の戦争介入を7月の時点で予期していたマッカーサー

 

マッカーサーは、朝鮮戦争勃発当時から、ソ連もしくは中国による朝鮮戦争への大規模介入が戦争の成り行きを大きく変化させるであろうことにもちろん気づいていた。

 

本連載でも何度か登場したジェームズ・シュナーベルは、マッカーサーが7月初めに仁川上陸作戦のコンセプトを陸軍参謀総長のコリンズ大将に話したとき、以下のような発言をしたと指摘している。

 

「もし、ロシアもしくは共産中国が武力介入したならば、上陸作戦計画を変更する必要が出て来るであろう」

 

この発言からもわかるようにマッカーサーは、朝鮮戦争の性格がソ連もしくは中国の介入によって劇的に変化することを明確に理解していたのだ。

 

仁川上陸作戦が成功を収め、北朝鮮軍が38度線の北側に潰走した後、マッカーサーとウィロビーは、マッカーサー自身が発したこの発言を冷静に思い出すべきであったといえる。自身の発言を思い起こす賢明さがあれば、マッカーサー率いる国連軍は人民義勇軍の奇襲を受け潰走することもなかったであろう。

 

北朝鮮領内から共産主義勢力を撃破する以外の政策は、宥和政策にすぎない

 

11月の第一週の終わりまでに、マッカーサーは、人民義勇軍が鴨緑江を渡河して北朝鮮領内に侵入し、いくつかのケースでは師団レベルで国連軍と交戦していたということを認識・把握していた。

 

朝鮮半島における目標を再考せよというマッカーサーに対する統合参謀本部からの圧力が、鴨緑江へ向かう攻勢作戦を開始するマッカーサーの決定を早めた可能性がある。

 

1950年11月9日、マッカーサーは統合参謀本部に以下のように伝えている。

 

「鴨緑江を目標とする攻撃以外のどんな行動方針も、朝鮮半島で抵抗活動を展開するあらゆる軍隊を撃破し、統一された自由な国家を朝鮮半島にもたらすという国連の根源的で基本的な政策を弱体化させる致命的なものになるであろう」

 

マッカーサーはウェーク島会談でトルーマン大統領に約束したように、人民義勇軍の朝鮮半島への浸透を航空阻止に依存することで達成し、それにより中国の軍事的脅威を緩和させようとした。

 

マッカーサーのこの基本構想は、国連軍が北朝鮮軍およびすでに朝鮮半島に侵入している人民義勇軍を撃破することを完全達成するための手段であった。そして、北朝鮮領内から共産主義国の軍隊を完全に除去する以外のいかなる手段も、マッカーサーの観点からすると宥和政策以外の何物でもなかった。また、共産主義を嫌悪するウィロビーもこのマッカーサーの意見を共有していたことは疑いない。

 

1950年11月24日に出されたマッカーサーの国連へのメッセージは、鴨緑江を進撃目標とする攻勢作戦が成功裏に終了することを疑わないマッカーサーの自信がみなぎった内容となっている。

 

「われわれの損害は極端なほどに少ない。兵站面も攻勢作戦を維持するために準備が整っている。我々の大義が有する正義と、我々の任務が早期のうちに完了することが約束されているということが、部隊と指揮官たちの士気にも現れている」

 

ウィロビーによる歴史の捏造

 

朝鮮戦争におけるマッカーサーの行動を弁護するために戦争後に書かれた著作の中でウィロビーは、複数の史料から反駁可能な虚偽の証言を残している。

 

たとえば、ウィロビーは、戦争終結後に朝鮮半島から米軍部隊を迅速に撤退させるというウェーク島会談におけるマッカーサーの約束について公然と嘘をついている。

 

たとえば、ウィロビーはウェーク島におけるマッカーサーの発言について以下のように記述している。

 

「彼[マッカーサー]は、クリスマスに兵士たちを家に帰すために2個師団を本国に戻すだろうと述べた」

 

しかし、この記述は、マッカーサーが司令官を務める米極東軍により作成された10月20日附の作戦計画202号の内容と一致しないことは本連載で指摘したとおりである。

 

ウィロビーによる情報日報の統制が招いた害悪

 

ウィロビーが極東軍の情報日報(Daily Intelligence Summary)をコントロールしたことは、客観性を必要とする情報の分析評価に、不釣り合いなほどの個人的影響力を及ぼすことを可能とさせる結果を招いた。

 

すなわち、ウィロビーが情報日報作成過程で発揮できた個人的影響力が、マッカーサーの計画を支援したいというウィロビーの願望や、ウィロビーが前々から持っていた中国に対する偏見を情報日報に反映させることを可能としたのである。そして、このことが、ウィロビーが朝鮮半島の諜報をコントロールしていたことと相まって、CIAや国防総省が独自の情報分析に必要なインフォメーションの内容に悪影響を与える結果となったのである。

 

1990年代に入り情報技術が劇的に進歩し、その結果生まれたウェブを使った情報共有システムや分析ツールが、政府機関同士の情報共有を改善させた。その結果、現代では、特定の個人がウィロビーのように情報分析過程で過度の影響力を発揮することは予防可能なことかもしれない。しかし、情報技術があまり進んでいなかった1950年当時は、ウィロビーのような特定個人が情報分析過程で大きな影響力を発揮することが可能であったのである。

 

現代も起こる情報の失敗

 

しかし、政府機関同士が情報をやり取りしあって複合的な観点から客観的な情報分析を実施するなど、情報コミュニティーの慎重かつ念入りな努力が行われている現代においても、いまだに情報の失敗は発生する。ここが情報分析の難しいところである。

 

2002年の国家情報見積り(NIE:National Intelligence Estimate)には「イラクが大量破壊兵器計画を継続」というタイトルが付けられていた。この文書には、複数の政府機関から提供された情報や、反対意見すら盛り込まれていた。

 

この文書は、サダム・フセインが大量破壊兵器計画を現在も継続進行中であると不正確に結論づけており、このことが、ブッシュ政権が2003年にイラクに侵攻する際の正当性の根拠の一つとなったことは記憶に新しい。

 

1950年11月に鴨緑江へ向けての前進を継続するとマッカーサーが決断したのと同じように、2003年の事例でも政治的な動機や希望的観測といった情報提供を受けて使う側の人間の「感情」が、健全な情報評価を打ち負かしてしまったのである。

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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最終回
【戦史に見るインテリジェンス活用の失敗と成功(その2)】  「朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜」(最終回)