朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(18)




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ウェーク島会談 〜朝鮮戦争は「最終段階」にある〜

 

1950年10月15日、太平洋に浮かぶウェーク島でダグラス・マッカーサーとハリー・トルーマン大統領とが会談した(ウェーク島会談)。ウェーク島会談は、マッカーサー、統合参謀本部およびトルーマンが、朝鮮戦争が最終段階にあるという共通認識をどのようにして形成したのかということを観察するうえでとても参考になる機会を提供している。

 

マッカーサーは戦争が「クリスマスまでに」終わると考えており、仁川上陸作戦成効直後であったこともあって、この会談では朝鮮戦争の見通しに関し楽観的な認識を披露した。

 

ウェーク島で会談した当事者が持っていた朝鮮戦争が「最終段階にある」という認識は、米国の軍事的資源を情勢が緊迫化している欧州に再配置するために、朝鮮戦争を迅速に終結させなければならないというプレッシャーをマッカーサーに与えることとなった。

 

この当時の統合参謀本部は、顕然化していた米国の欧州における国益に対するソ連の脅威を封じ込めるために、欧州における米軍の戦闘能力を可及的速やかに増強する戦略を模索していた。

 

そのため、統合参謀本部は、主戦場である欧州と比較して「二次的」な戦域にすぎない極東での戦争を一刻も早く終結させ、朝鮮半島に展開する兵力を主戦場である欧州に再配置することを望んでいたのである。

 

したがって、欧州での情勢悪化は、マッカーサーに対し、朝鮮戦争を可及的速やかに終結させろという圧力を与えるだけではなく、極東に展開する大兵力を欧州に再配置したい統合参謀本部が、戦争は「クリスマスまでに」終わるというマッカーサーの将来展望を信じやすい心理的傾向を持つという結果をもたらした。

 

確かに、ウェーク島会談では、満州で人民解放軍が増強中である明らかな兆候に対するワシントンの懸念も示されたが、それと同時に、満州に集結中の人民解放軍はマッカーサー率いる国連軍にとって脅威とはならないというマッカーサーの情報幕僚ウィロビーの認識も明らかにされた。

 

 

ウェーク島会談の参集者たち

 

ウェーク島会談の目的は、朝鮮半島問題に関する米国戦略に関する共通のヴィジョンを形成するとともに、中国が朝鮮戦争に介入する可能性について議論し、この戦争の最終目標を定義することにあった。したがって、ウェーク島会談には、もっとも上位の外交政策および安全保障政策に関する大統領補佐官たちが、トルーマン大統領に同行することとなった。

 

トルーマンの補佐官の1人であるフィリップ・C・ジェサップ無任所大使(その後、国際司法裁判所判事。彼の名を冠した国際法模擬裁判が世界規模で開催されていることで有名)の個人秘書を務めたヴェルニス・アンダーソンは、トルーマンと同行している人々がウェーク島会談を歴史的なイベントであるとみなしていたと回顧している。トルーマンの同行者には、ディーン・ラスク極東担当国務次官補、アヴェレル・ハリマン大統領特別補佐官、統合参謀本部議長オマー・N・ブラッドレー陸軍元帥らといったそうそうたるメンバーが名を連ねていた。

 

このメンバーの中でも特に、ディーン・ラスクは極東担当国務次官補として朝鮮戦争に関する米国の政策決定に大きな影響力を及ぼし、ラスク書簡の発信者として有名である。ラスク書簡とは、第二次世界大戦後の日本領土や、戦後の韓国が受ける権益に関する韓国政府から米国政府への要望に対して、竹島に対する韓国政府の要望を明確に退け、竹島は日本領土であると回答した文書である。

 

アヴェレル・ハリマンは、第二次世界大戦において欧州に大統領特使として派遣され戦略問題に関して英国のチャーチル首相と協議したり、1943年にはソ連大使に任命されスターリンとの交渉にあたるなど有能な外交官であった。終戦後は商務長官に任命されマーシャル・プラン遂行の責任者となったことでも有名である。日本との関係でいえば、彼の父であるエドワード・ヘンリー・ハリマンが有名であろう。

 

エドワード・ハリマンは、日露戦争中にヤコブ・シフとともに日本の戦時公債を引き受け、ポーツマス条約締結直後に来日して、南満州鉄道の共同経営を提案した人物として名前が知られている。桂・ハリマン協定が外務大臣小村寿太郎の反対により破棄されたことは高校の歴史の時間に習った読者も多いであろう。

 

オマー・N・ブラッドレー陸軍元帥は、第二次世界大戦において欧州戦域で活躍した将軍である。ジョージ・パットンの後任として第二軍団司令官に就任し、1943年7月のハスキー作戦でシチリア島を占領することに成功、1944年6月には第1軍司令官としてノルマンディ上陸作戦にも参加している。

 

 

「クリスマスまでに米第8軍を日本へ引き揚げさせる」のが私の望みだ

 

トルーマンの同行者について縷々述べたが、マッカーサーに同行しウェーク島に赴いた人物の1人に、ウィロビーがいる。ウィロビーはウェーク島でトルーマン大統領に対し朝鮮半島の現状についてブリーフィングを実施している。このブリーフィングの際、ウィロビーとマッカーサーは、トルーマン大統領とその補佐官に対し、中国は朝鮮戦争に「参戦しないであろう」という情勢評価を開陳した。

 

この時、陸軍長官フランク・ペースは、マッカーサーがワシントンから十分な支援を受けているか否かをマッカーサーにはっきりと尋ねている。マッカーサーの答えは以下のようなものであった。

 

「戦争の歴史において、私が受けたよりも、ワシントンに所在するあらゆる諸機関から、より完全でより適切な支援を受けた司令官は存在しない」

 

極東軍司令部の外部者を排除する性格や、情報活動に対するウィロビーによる厳格な統制を考慮に入れるならば、ワシントンからの東京とは異なる情報評価は東京のマッカーサーとその幕僚には歓迎されなかったので、このマッカーサーのペースに対する回答はとても皮肉に満ちた内容であるといえよう。

 

朝鮮戦争が終結に近いという仮定が、ウェーク島会談におけるマッカーサーと大統領補佐官たちとの議論を支配していた。会談の最中、マッカーサーは、朝鮮戦争における彼の最終的意図をトルーマン大統領とブラッドレー陸軍元帥に対し説明した。

 

「クリスマスまでに米第8軍を日本へ引き揚げさせるようになることが私の希望である」

 

「クリスマスまでに」戦争を終わらせ「たい」というマッカーサーの発言は、ウェーク島会談が終了するまでにクリスマスまでに戦争は終わ「る」という「マインドセット」として会談参加者たちの間に浸透する結果となった。マインドセットとは認識者が無意識的にある一定の思考パターンや思い込みに陥ることであり、情報分析に際し避けるべきことの1つとされている。

 

このマインドセットがウェーク会談の議論に浸透した結果、会議の議題は、朝鮮半島問題に関する米国戦略に関する共通のヴィジョンを形成し、この戦争の最終目標を定義するという本来の目的を外れて、日米間の和平条約の問題や、朝鮮戦争終了後に米軍部隊を日本へ再展開することがもたらす効果といった問題に移ってしまった。

 

 

中国が南進する脅威は「一笑に付すことができない」

 

マッカーサーは、朝鮮戦争終結後の朝鮮統治について、米国による長期間の朝鮮半島占領が失敗に終わる可能性が高いとトルーマンに警告した。マッカーサーは、共産主義者の侵略を抑止するために、韓国軍を再建し、韓国の空軍・海軍戦力の増強を米国が支援することを提唱した。

 

この勧告をするに際して、マッカーサーは中国の脅威を認識し考慮に入れていたようである。というのも、マッカーサーは以下のように述べているからである。

 

「もし、われわれがそのことを実施したならば、それは韓国を確保するだけではなく、中国共産党が南進するのに対し大きな抑止効果にもなるであろう。中国の南進は一笑に付すことができない脅威である。」

 

このマッカーサーの発言は大きな意味を持っている。既述したように、ウェーク島での会談において、マッカーサーとウィロビーは、中国が朝鮮戦争に「参戦しないであろう」との情勢評価を示したが、この発言からは、マッカーサーが、中国不介入説とは逆に、朝鮮半島に中国が介入する可能性とそのことが持つ意味の大きさを十分認識していたことを示しているからである。

 

 

統合参謀本部議長ブラッドレーの圧力 〜「第二師団か第三師団」を欧州へ送れないか〜

 

ウェーク島会談において、統合参謀本部議長ブラッドレー陸軍元帥は、可及的速やかに実戦経験豊富な部隊の朝鮮半島から欧州への移動をせきたてた。ブラッドレーは、1951年春までに欧州で戦力を得ることの困難さを引き合いに出して、マッカーサーに対し次のような要求を行った。

 

「第二師団か第三師団を1月までに欧州へ投入するために利用できないだろうか?」

 

マッカーサーはブラッドレーの要求に同意を示し、第二歩兵師団を1951年1月までに欧州へ送ると言明した。そして、マッカーサーが第二師団を選んだという知らせはウェーク島会談の終了までに国連軍司令部内に広がった。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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