朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(33)




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前回までのあらすじ

 

1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。

 

1950年11月の情報の失敗は、従来指摘されてきたようなウィロビー1人のミスではなく、複合的要因によってもたらされたものであったことが明らかとなった。

 

たとえば、ワシントンの政策中枢は、朝鮮戦争が「最終段階」にあると誤認し、欧州で高まりつつあったソ連の脅威に対処するために朝鮮半島に展開中の部隊を欧州方面へ転進させる決断を行った。

 

マッカーサーは国連軍の持つ圧倒的空軍力を使えば、中国の介入がどんなに大規模であったとしても撃破可能であると熱心に信じ込んでおり、上層部をこの論理で説得し続けた。

 

もちろんウィロビーの側にも失敗の原因は存在する。ウィロビーが失敗した最大の理由は、相手も自分と同じように行動すると考えるミラー・イメージングにあった。

 

また、朝鮮半島に関する情報報告・分析をウィロビーが排他的に独占したことにより、使いまわされた情報の弊害が生じ、このミラー・イメージングはさらに複雑なものとなってしまった。

 

統合参謀本部に対するライバル意識

 

ウィロビーは著書である『マッカーサー:1941〜1951年』(MacArthur, 1941-1951)の中で、ウィロビーは、第二次世界大戦中における欧州戦線を指揮した司令部と朝鮮戦争を指揮するマッカーサーの極東軍司令部とを比較して競争意識に駆られ、自身の感情を暴露している。

 

「われわれは、欧州よりも戦況が厳しい朝鮮で戦っている。置かれた状況を考慮するならば、われわれは成功している」

 

この記述の中で、ウィロビーは、マッカーサー、彼の側近たち、統合参謀本部(朝鮮戦争当時の統合参謀本部は主として欧州戦線に従軍した経験者で構成されていた)の間に存在した敵対関係の原因が何であったかを心ならずも漏らしている。

 

つまり、ウィロビーは第二次世界大戦中、欧州戦線に軍需物資が最優先に送られ、太平洋戦線が後回しにされたことを根に持っており、この感情を朝鮮戦争まで引きずっていたのである。

 

ウィロビーのCIAに対する反感

 

ウィロビーは、事実上、朝鮮半島情勢に関するあらゆる情報が自身を経由するように自分自身を組織内で位置づけていた。このことによって、CIAやその他の情報組織が中国の意図に関して、極東軍司令部参謀部第二部と異なった分析評価を行うのを妨害することが可能となった。

 

極東軍司令部内の雰囲気も問題であった。極東軍司令部内の組織環境が、朝鮮半島に関する情報をコントロールし、マッカーサーの計画する鴨緑江へ向かう攻勢計画に反対する可能性のあった将校たちを孤立させたいというウィロビーの希望を容易に果たすことを可能にしたからだ。

 

ウィロビーは、創設間もないCIAによる情報収集活動を調整しようとする努力を妨害した。ウィロビーはCIAの欧州中心の姿勢に対し反感を抱いていた。ウィロビーは第二次世界大戦中に太平洋地域におけるOSS(CIAの前身)の活動を妨害した前歴があったが、朝鮮戦争ではCIAに対する反感からCIAが行う朝鮮半島での情報収集活動を妨害したのであった。

 

仁川上陸作戦がもたらした増長意識

 

38度線を越えるなという中国政府要員の公然たるメッセージや毛沢東が満洲で戦争準備を着々と進行中であるとの情報を入手していたにもかかわらず、ウィロビーは38度線を越えて北朝鮮領に入り、さらに中朝国境へと軍を前進させようとするマッカーサーの作戦を支持した。

 

この原因は、クロマイト作戦(仁川上陸作戦)の成功が、マッカーサーと彼の極東軍司令部の参謀たちを増長させ、統合参謀本部も含めた有力者たちがマッカーサーに反対できなくなった点にあった。

 

戦略レベルでは、トルーマン大統領も彼の上級政策顧問たちも朝鮮戦争の政策目的や国家目的を明確に設定できなかったが、これもマッカーサーの計画に対する反対が緩和された一要因となった。

 

ポール・ニッツの観察 〜マッカーサーの朝鮮戦争拡大計画〜

 

ウィロビーが1950年の10月中旬に中国共産党の脅威を過小評価した動機は、ウィロビーのマッカーサーに対するゆるぎない賞讃の念にあった。そのマッカーサーは、実はとんでもないことを考えていた。

 

朝鮮戦争当時、国務省政策企画本部長の要職にあったポール・ニッツエは、マッカーサーと駐日スペイン外交官との間で交わされた会談内容に対するワシントン政策中枢の観察を1975年になって以下のように書いている。

 

「両者のやりとりから、マッカーサーの意図が完全に明白なものとなった。マッカーサーは、(1)北朝鮮領内における完全勝利か、(2)もし中国共産党がこの戦争に介入してきた場合には、戦争を中国本土に全面的に拡大させ、毛沢東を政権中枢から引きずりおろし後釜に周恩来を据えることのどちらかを考えているのだ」

 

マッカーサーが誇大妄想ともいえる考えを抱いた背景には、トルーマン大統領が朝鮮戦争で達成しようとする国家目的を明確に設定できなかったことが背景にあることは言うまでもないだろう。政治が統帥部を主導できないときには戦争はどこまでも拡大する様相を呈しがちである。

 

ウィロビーは、マッカーサーとスペインとのバックチャンネルだった?

 

ウィロビーは、中国を朝鮮戦争に引きずり込むというマッカーサーの考えを支持していた可能性もある。

 

デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(文藝春秋社)は、1950年に行われた通信傍受で日本に滞在するスペインとポルトガルの外交官と本国政府とのやりとりが明らかになり、その結果、マッカーサーが、中国を戦争に引きずり込む目的で、朝鮮戦争の拡大を計画していたことが明らかになったと指摘している。

 

本連載でも指摘した、ウィロビーとスペインの独裁者フランコ総統との密接なつながりを考慮すると、ウィロビーがマッカーサーとスペインとの間のバックチャンネル(バックチャンネルとは、正式な国交がない場合などに、情報機関が裏で政府間などの意思調整をおこなったりすること)となっていた可能性が高い。

 

ウィロビーの極右的政治観と敵に満ちた反共主義は、マッカーサーの側近グループ内におけるウィロビーの地位を強固なものにしたが、その反面で、朝鮮戦争を拡大し中国を戦争に引きずり込みたいというマッカーサーの意見を支持する要因ともなっていたのではないだろうか。

 

マッカーサーは戦争を拡大させるために介入情報を無視したのか?

 

マッカーサーは、毛沢東を政権の座から引きずり落とす目的で、朝鮮戦争に中国を引きずり込もうとし、そのために戦争を拡大しようとしていた。

 

上記は、仮説であるが、1950年の10月から11月にかけて中国が介入するであろうことを示す多くの情報が存在していたにもかかわらず、マッカーサーと彼の幕僚たちがそうした情報に対し全く気に留めない態度を継続し続けたことは、この仮説の信憑性を強める要素になるかもしれない。

 

この仮説は筆者だけではなく本連載でも何度か登場したH.A.デウィードのような専門家も展開している。

 

「(中国が介入するという情報に対する)敵意は、この情報を信用することが国連軍司令部をして全く異なった作戦を実行させる結果につながる点を認識していたことに由来するものだ」

 

マッカーサーは1950年11月に実施される予定の攻勢作戦で朝鮮半島の統一化を企図していたが、その実行を遅らせることになるようないかなる計画に対してもマッカーサーは反対し続けたのだ。

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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最終回
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