朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜




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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜記事一覧

朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(1)

はじめに1950年11月の朝鮮戦争の事例では、情報を提供「された」側(高級指揮官や作戦立案者)だけではなく、情報を提供「する」側にも失敗が発生した責任が存在するのである。そして、朝鮮戦争における情報の失敗には、日本降伏後、GHQの参謀部第二部部長として戦後日本に大きな影響を与えた日本人にもなじみの深...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(2)

彭徳懐率いる人民義勇軍の大反攻と砕かれたマッカーサーの野心 マッカーサーの11月攻勢は、反攻の準備を完了し手ぐすね引いて米軍を待ち構えていた彭徳懐率いる人民義勇軍が仕掛けた罠の中に飛び込む形となった。人民義勇軍の最初の攻撃は、朝鮮半島西部に所在した米第8軍に向けられ、次に米第10軍団へと攻撃の鉾先が...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(3)

はじめに前2回の連載で、マッカーサーと米極東軍参謀部第二部(G2:情報部)部長としてその首席情報幕僚を務めるチャールズ・ウィロビー陸軍少将が、1950年11月に実施された人民義勇軍の反攻作戦の意図を見抜けなかった経緯を、6月の朝鮮戦争勃発から11月の国連軍の敗北までの事態の進展を織り交ぜながら説明し...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(4)

はじめに前回から、中国政府高官が戦略レベルで発した警告が多数あったにもかかわらず、なぜ中国が朝鮮戦争に介入するであろうということを「予測することに失敗」したのであろうか、という「予測分析」の問題点を考察してきた。そして、駐華インド大使パニッカルを通じて間接的に示された中国指導部による米国に対する戦略...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(5)

はじめに 〜前回までのあらすじ〜前回の連載では、CIAは、朝鮮戦争参戦に関する中国の意図と能力をどのように分析していたのであろうか、ということについて、CIAが出した2つの報告書(1950年9月8日付、10月12日付)を中心に考察した。CIA報告書は中国の能力と意図を正確に見抜いていたが、CIA報告...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(6)

はじめに 〜前回までのあらすじ〜CIAによる中国の意図と能力の分析について、CIAが出した報告書を中心に考察してきた。CIAの報告書は11月8日にNIEが出されるまで、中国の意図と能力に関して、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第二部(G2=情報部)の評価ときわめて類似したものであった。極東軍司令部参...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(7)

はじめに 〜前回までのあらすじ〜10月25日から11月1日にかけて、韓国軍は清川江周辺で多数の中国人兵士を捕虜にした。尋問により得られた供述を基に作成された報告書は、第40軍所属の50万〜60万人の中国人部隊が朝鮮半島に所在していると指摘していた。中国人兵士捕虜の供述によれば、10月15日の深夜、人...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(8)

前回までのあらすじ 〜米第8軍方面の戦況〜1950年10月25日から11月1日にかけて、国連軍は清川江や雲山周辺で多数の中国人兵士を捕虜にした。尋問により得られた供述を基に作成された報告書は、第40軍所属の50万〜60万人の中国人部隊が朝鮮半島に所在していると指摘していた。11月1日午後、1機の米軍...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(9)

前回までのあらすじ朝鮮戦争勃発初期のウィロビーの情報分析は、中国が満州で軍事的即応性を向上させつつあることを認識している内容であった。1950年7月3日までに、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部(G2:情報部)は、「中国が2個騎兵師団と4個軍(12万人)を満州に駐屯させている」と報告していた。9...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(10)

ウィロビーの転向が引き起こした情報分析の「偏向」1950年10月15日のウエーク島会談の後、ウィロビーによる情報分析は、マッカーサーが推進する朝鮮戦争早期終結のための鴨緑江への進撃計画を支持する性格をますます強めていった。客観性が要求される情報分析におけるウィロビーの「偏向」的傾向は、中国政府がすで...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(11)

1950年11月の情報の失敗の「制度的原因」前回で、本連載の最初に指摘した、1950年11月に「情報の失敗」が発生した3つの原因(予測分析の問題、制度的機能不全、人的・政治的要因)のうち、予測分析の問題が終了した。今回から、1950年11月に起きた情報の失敗を惹起させた、制度的原因の考察に筆を進める...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(12)

ウィロビーの情報分析に依存する国防総省ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部は、毎日開催されるテレカンファレンスにおいて、陸軍省にアップデートされた最新の情報を提供していた。その際、ウィロビーや彼の部下たちは、陸軍参謀総長ロートン・コリンズ大将およびコリンズの情報幕僚に朝鮮半島の情況に関する評価を示...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(13)

前回までのあらすじ共産中国が北朝鮮領内に大規模部隊を投入したとする多くの情報が存在したにもかかわらず共産中国が朝鮮戦争に介入しないとの情報分析が生み出された「制度的要因」について考察を進めている。前回、下記の点を指摘することで、国防総省内の各部局とCIAが、チャールズ・ウィロビー少将率いる極東軍司令...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(14)

前回までのあらすじ前回、マッカーサーが司令官を務める極東軍司令部内の閉鎖的な組織文化が、極東軍と麾下部隊との関係や極東軍とワシントンの重要な政府機関(統合参謀本部・国務省・CIAなど)との間の関係に大きな影響を与えていたことを指摘した。マッカーサーは極東軍司令部内での意見具申のみならず、外部からの意...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(15)

はじめに前回の連載で、国務省とマッカーサー率いる極東軍司令部との緊張関係を考察した。マッカーサーとその側近は「じかに接している仲間以外のあらゆる外部者を敵もしくは潜在的な敵と見なしていた」ため、ジェイムズ・バーンズ国務長官がマッカーサーを監視する目的で派遣したジョージ・アチソン上級代表もマッカーサー...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(16)

前回までのあらすじ前々回と前回の二回にわたって、マッカーサーと彼を取り巻く極東軍司令部参謀部の幕僚たちが、統合参謀本部や国務省の反対を押し切ってクロマイト作戦を立案・実施し成功させた経緯を説明した。その過程で明らかになったのは、マッカーサーが反対意見に耳を貸さないだけではなく、自身の構想に反対する人...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(17)

前回までのあらすじマッカーサーが周囲の反対を押し切って成功させた仁川上陸作戦以降、外部の批判に耳を貸さなくなる一方で、38度線を越えて北朝鮮に侵攻するというマッカーサーの決定は、ワシントンの政権中枢に国連軍の前進が持つ意味について懸念を生じさせた。この懸念は朝鮮半島での武力行使に関する国連安全保障理...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(18)

ウェーク島会談 〜朝鮮戦争は「最終段階」にある〜1950年10月15日、太平洋に浮かぶウェーク島でダグラス・マッカーサーとハリー・トルーマン大統領とが会談した(ウェーク島会談)。ウェーク島会談は、マッカーサー、統合参謀本部およびトルーマンが、朝鮮戦争が最終段階にあるという共通認識をどのようにして形成...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(19)

前回までのあらすじ1950年10月15日、ウェーク島でダグラス・マッカーサーとハリー・トルーマン大統領とが会談した。世に名高いウェーク島会談である。このウェーク島会談で、マッカーサー、統合参謀本部およびトルーマン大統領は、朝鮮戦争が最終段階にあるという共通認識を持つにいたった。マッカーサーは戦争が「...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(20)

はじめに 前々回、前回の二回にわたり、マッカーサーやトルーマンとその補佐官たちがウェーク島会談で示した見解についてみてきた。マッカーサーのように「クリスマスまでに」戦争は終わるとの楽観論を示す者もいれば、ウィロビーの情報評価を信じてマッカーサーに対し朝鮮半島に展開する「第二師団か第三師団を1月までに...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(21)

はじめに 本連載の第三回で、1950年のマッカーサー率いる極東軍司令部において発生した情報の失敗の原因が三つあることを指摘した。そのうちの(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全の問題の二つまでを前回までの連載で考察した。今回からは、第三の問題である「人的・政治的要因」、換言するならば、ウィロビー...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(22)

はじめに 前回、朝鮮戦争当時のマッカーサーの対中戦略に関し、ソ連からの援助に頼る中国に対しても、第二次世界大戦でマッカーサーが日本に対し実施した封鎖戦略が有効だと認識していた「パシフィック・アナロジー」を説明した。しかし、「パシフィック・アナロジー」には大きな問題が存在した。「パシフィック・アナロジ...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(23)

ウィロビーを悩ませたドイツ出自 さて前回の連載では、ドイツ人の父とアメリカ人の母との間にドイツのハイデルベルクで生まれ、大学卒業までドイツに居たウィロビーが、ポール・ニッツエのような大物外交官からも「ウィロビー(Willoughby)は、ヴィッツレーベン(Witzleben)大佐と名乗っており、自身...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(24)

前回までのあらすじ前回の連載で、ウィロビーの家系をめぐる混乱が、ウィロビーのキャリアを通じてウィロビーを悩ませたことを指摘した。前回の連載でも指摘したように、ジャーナリストのフランク・クラックホーンは、ウィロビーが「常に粋でカスタムメイドされた制服を好み、片眼鏡を時々身に着けていた」と書いているが、...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(25)

はじめに前回までの連載で、ウィロビーのバックグラウンドが彼のキャリアや考え方に大きな影響を与えていたという観点から、ウィロビーの経歴についてやや詳しく述べてきた。謎に包まれた出自から始まって、第一次世界大戦への従軍、戦間期に中米諸国の駐在武官を歴任し、駐在武官時代にウィロビーが独裁者の強権的統治手法...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(26)

はじめにウィロビーのバックグラウンドが彼の考え方に大きな影響を与えていたという観点から、ウィロビーの経歴についてやや詳しく見てきている。ウィロビーの履歴で特に注目すべき点は、下記の3点であった。1、真偽は定かではないものの、ウィロビー自身の主張によれば、ウィロビーはツェッペヴァイデンバッハ(Sche...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(27)

これまでのあらすじ簡単にここ数回の連載の内容を振り返ってみましょう。「人的・政治的要因」の問題に関し、ウィロビーの個性と前歴が、彼の情報評価の手法やマッカーサーとの個人的関係にどのように影響しているのだろうか?という視点から分析を進めてきました。特に、前回および前々回と、ウィロビーのバックグラウンド...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(28)

前回までのあらすじウィロビーは自身が男爵の息子であり、ドイツ貴族社会の周縁部に位置すると認識していたこともあって、ウィロビーは極めてエリート主義的な人物であった。これまで何度も指摘したように、戦間期にウィロビーが見聞した知見が、ウィロビーに権威主義的リーダーシップを高く評価させることとなった。たとえ...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(29)

前回までのあらすじ中国の国益はモスクワの戦略目的と異なっていたにもかかわらず、ウィロビーは共産主義陣営を一枚岩として見ていた。その結果、ウィロビーは、中国の国家目的がソ連の国家目的とは正反対であるにもかかわらず、中国がソ連の操り人形であり、朝鮮戦争への中国の参戦にもソ連の承認が必要であると考えていた...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(30)

前回までのあらすじ前回、ウィロビーが抱いていた「中国人が劣悪な戦闘能力しか有しない」という偏見がどのようにして形成されたのかについて分析した。ウィロビーは米陸軍指揮幕僚学校の教官時代の間に研究した日中戦争研究を基礎として戦間期に『戦争における機動』(Maneuver in War)を執筆した。同書の...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(31)

前回までのあらすじ 前回、ウィロビーの著作やマッカーサーの議会証言は主観的で信憑性に欠ける部分が多く、史料的に問題がある旨を指摘し、具体的にどういった点が信頼できないのであろうかという点を考察した。「外国の意図をあつかう軍事的政治的調査は、通常、国務省もしくはCIAが所管していた」(ウィロビー)「1...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(32)

前回までのあらすじ本連載の冒頭で、1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」には三つの要因があると指摘した。すなわち、問題1:予測分析の問題「伝説的な戦争指導者」マッカーサーと米陸軍において最も経験豊富な情報将校の1人であるウィロビーという、能力と経験の点で米軍でも随一の2人が、中国政府高官が...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(33)

前回までのあらすじ1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。1950年11月の情報の失敗は、従来指摘されてきたようなウィロビー1人の...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(34)

前回までのあらすじ1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。1950年11月の情報の失敗は、従来指摘されてきたようなウィロビー1人の...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(35)

前回までのあらすじ1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。1950年11月の情報の失敗は、従来指摘されてきたようなウィロビー1人の...

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朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(最終回)

前回までのあらすじ1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。マッカーサーは、朝鮮戦争の性格がソ連もしくは中国の介入によって劇的に変化...

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