朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜 第7回




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はじめに 〜前回までのあらすじ〜

 

10月25日から11月1日にかけて、韓国軍は清川江周辺で多数の中国人兵士を捕虜にし
た。尋問により得られた供述を基に作成された報告書は、第40軍所属の50万〜60万人の
中国人部隊が朝鮮半島に所在していると指摘していた。中国人兵士捕虜の供述によれ
ば、10月15日の深夜、人民解放軍第40軍が中国領の安東から木橋を使って鴨緑江を渡河
し北朝鮮領内の新義州に入ったという。この報告書は、北朝鮮領内に入る前に兵士に北
朝鮮軍の制服が支給されると共に、米空軍機による探知を回避するために夜間行軍を実
施するという人民解放軍が採った欺騙手段を報告していたが、この記述は同時期に戦わ
れた雲山周辺の戦闘の結果、韓国軍第1師団が捕らえた捕虜に対する尋問結果を基に作
成された報告書での記述内容とも一致していた。

 

10月25日の韓国軍の交戦情報や交戦の結果捕らえられた捕虜に対する尋問報告書が発生
源となった中国介入の噂は、ワシントンの国務省関係者や軍関係者の間で瞬く間に
広まった。しかしながら、北朝鮮に展開する国連軍が捕虜を捕らえたという報告に対
し、国務省で中国問題を担当する専門家たちはあまり深い関心を持たなかった。

 

 

続々に寄せられた中国人兵士に対する尋問報告

 

連軍がマッカーサーの企図した鴨緑江への攻勢を開始した時点で、国連軍の指導者を
懸念させる多くの報告書類は、確定的なものではないものの、何かおかしな事態が
起こっているという印象を高めさせる内容であった。雲山北方を偵察した最初の米軍偵
察部隊の1つは、米第8騎兵連隊第3大隊に所属する部隊で、この部隊はハーバート・ミ
ラー軍曹に率いられていた。ミラー軍曹の部隊は、彼らが尋問した北朝鮮人農民が何千
名もの中国人兵士が米軍を待ち伏せしていると証言したことと、大隊司令部に報告し
た。

 

ミラー軍曹からの報告に加え、前回の連載で登場した10月28日と30日に第1騎兵師団第5
騎兵連隊により捕らえられた中国人兵士捕虜の尋問報告が、中国共産党による朝鮮戦争
への介入の規模と意図の詳細情報を提供していた。11月2日に印刷されたこれら3つの尋
問報告が、人民解放軍第39軍隷下の第115師団および116師団が10月28日に中朝国境を
越境したことを確認していた。

 

これらの尋問報告書は前回連載で登場した韓国軍第1師団の報告書と統合された。これ
らの情報は大規模な人民義勇軍部隊が鴨緑江へ向け北進中の米第8軍を待ち伏せしてい
るとの認識をさらに強めさせた。もし、チャールズ・ウィロビーがこの情報を正確に評
価し、中国的なレトリックで周恩来ら中国指導者層により発せられた警告とよく比較し
たうえで分析していたとするならば、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部(情報
部)は、マッカーサーと前線に展開する諸部隊に対し決定的な警告を提供し、11月1日
に人民義勇軍により米第8騎兵連隊が壊走状態に追い込まれることを防止できたであろ
うと思われる。

 

北朝鮮領内に所在する人民義勇軍の規模をめぐる見解の不一致

 

10月30日までに、米第8軍は中国人兵士捕虜を獲得し、北朝鮮領内において人民義勇軍2
個野戦軍隷下の3個師団の諸部隊が所在することを確認した。それにもかかわらず、朝
鮮戦争に参戦した人民義勇軍の本当の規模がどの程度なのか、という点に関しては意見
が一致せず複数の意見が存在した。人民解放軍第40軍隷下の第119師団・第120師団と人
民解放軍第39軍隷下の第117師団が北朝鮮領内に所在しているとの米第8軍の分析にもか
かわらず、10月30日付のCIA韓国情報日報は、極東軍司令部がこれらの人民義勇軍部
隊が北朝鮮には所在するとは信じていないと報告している。人民義勇軍の規模をめぐる
この意見の不一致は、第一線に展開する野戦軍司令部たる米第8軍と、戦線のはるか
後方の東京に司令部を置くウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部(情報部)との間
で情報評価をめぐる大きな溝を形成することとなった。

 

情報将校の警告を無視する原因となった楽観主義

 

部の情報将校は国連軍の前進軸内に存在する人民義勇軍部隊に関する報告にますます
大きな懸念を抱くようになった。米第8軍隷下の第1軍団司令部参謀第2部のパーシー・
トンプソン大佐は、人民義勇軍が北朝鮮領内で作戦活動中であるとの疑念を10月下旬ま
でに抱いていた。人民義勇軍がひそかに活動している北朝鮮北部に近い場所にトンプソ
ンのオフィスが近接していたため、彼は多くの報告書にアクセスできた。そしてそれら
の報告書は、「個々」の報告書では確定的ではないものの、それら個別の報告書を
「統合」してみると人民義勇軍が朝鮮戦争へ介入している徴候を示していた。ディヴィ
ッド・ハルバースタムの『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(文藝春秋)に
よれば、トンプソン大佐は第1騎兵師団の先鋒を務める第8騎兵連隊長ハル・エドソン大
佐に直接警告を与えたが、エドソン大佐はトンプソン大佐の警告をまじめにうけとらな
かったという。戦争は間もなく終わるだろうという楽観主義が東京の極東軍司令部から
前線に展開する部隊まで蔓延していた。そして、この楽観主義こそが、極東軍司令部だ
けではなく朝鮮半島に展開する部隊の上級指揮官に対して懸念を表明しようとしたトン
プソン大佐の努力を妨害する結果となったのである。

 

情報源が意図的に操作されたウィロビー報告書

 

防総省を構成する陸軍省第2部(情報部)に対する10月31日付(人民義勇軍が本格的
に介入する前日)のウィロビーの報告書は、28人の中国人兵士捕虜が国連軍の拘束下に
あると認めることにより、前の週に捕らえられた中国人兵士捕虜数との数字の矛盾を修
正していた。さらにこのウィロビー報告書は米第8軍と米第10軍団が人民義勇軍部隊を
捕虜にしたことを明らかにしていたが、このことは、米第8軍が朝鮮半島の西海岸から
中央部まで、米第10軍団が朝鮮半島の東海岸から中央部までを管轄していたことを考慮
すると、人民義勇軍がかなり広範囲にわたる地域に展開していることを意味した。
「複数」の尋問報告書が大兵力の人民解放軍による北朝鮮侵入を報じていたが、ウィロ
ビーの報告書は、「人民義勇軍第40軍司令部と隷下師団から出されたほんの形ばかりの
部隊が10月20日に北朝鮮に入った」との記載がある尋問報告書を「1通」だけ引用した
だけにとどまった。つまり、ウィロビーの報告書は、複数存在した尋問報告書の中か
ら、人民義勇軍の朝鮮戦争への介入に対する極東軍司令部参謀第2部の評価を裏付け
る──より明確に述べるならば、自分にとって都合のいい結論が書かれている──
「意図的に選ばれた」1通のみに依拠して書かれていたのであった。

 

怪しき山火事

 

回の連載で言及した清川江で韓国軍第1師団が経験した人民義勇軍との小戦闘は、
11月1日に勃発する米陸軍と人民義勇軍との間で繰り広げられる最初の本格的戦闘の予
兆であった。第1騎兵師団師団長のハップ・ゲイ少将は師団が前進する際に中国人部隊
に関する報告書が増加していったことを懸念しており、彼の師団が広範囲に分散してい
ることを憂慮していた。こうした懸念に加え、師団が1950年の終わりまでに本国に帰還
できるだろうという噂が配下の兵士たちの心を奪っていた。11月1日の朝、第8騎兵連隊
を指揮するエドソン大佐は、山火事から立ち上る煙が一帯を覆っていることに気が付い
た。エドソン大佐は雲山近くの清川江北方の開いた地形に配下の連隊を展開させてい
た。北朝鮮人の一般住民が全く存在しないことや部隊が展開している地域周辺で中国人
部隊に関する報告が増加していたことは、この山火事が国連軍の地上および空中からの
偵察監視から人民義勇軍の部隊機動を隠蔽するために意図的に発生させられたものであ
ると、エドソン大佐に信じ込ませるのに十分であった。実は、これに先立つ10月最終週
にも、北朝鮮への浸透を隠すことを企図した人民義勇軍が多くの山火事を発生させてい
た。

 

却下された退却許可

 

11月1日午後、1機の偵察機が、未確認の大規模な歩兵部隊が清川江に向け南進中である
ことを発見した。第1騎兵師団所属の砲兵部隊が激しい砲撃を加えたにもかかわらず、
この歩兵部隊は前進を継続した。この時、師団長のゲイ少将は広範囲に分散している彼
の部隊を統合するために曝露する位置にあった第8騎兵連隊を雲山の南方へ退却させる
許可を取ろうとしたが、上級司令部の第1軍団はゲイ少将の申請を却下した。この時ゲ
イ少将率いる師団の砲兵部隊と交戦していた敵部隊は、この日の夜に第8騎兵連隊に
対し猛攻撃をかけることになる人民義勇軍所属の2個師団(第115師団と第116師団)で
あることが後になって確認されたが、あとの祭りであった。

 

第8軍司令部参謀第2部(情報部)のターケントン中佐の報告書

 

11月1日から2日にかけての雲山の戦闘で、人民義勇軍2個師団によって第8騎兵連隊が撃
破されたことは、第1騎兵師団司令部、米第1軍団司令部および米第8軍司令部に激しい
衝撃を与えた。米第8軍司令部参謀第3部(作戦部)は11月2日の戦闘日誌に次のように
書いている。「この期間は重要であった。というのも9月16日の突破攻勢以来初めて、
部隊が敵軍による攻撃の成功に直面して防御的役割を強いられることになったからであ
る」。米第8軍司令部参謀第2部(情報部)のターケントン中佐は、17人の中国人兵士捕
虜が現在拘束中であり、人民義勇軍2個野戦軍(第39軍と第40軍の6個師団)隷下の部隊
が米第8軍と現在交戦中であると気づいたことで、第8騎兵連隊の雲山での戦闘が持つ重
要な意味を理解し、報告書の中で明確に指摘した。ターケントン中佐の報告書はさら
に、雲山での戦闘における敵軍が、重迫撃砲、多連装ロケット・ランチャー、国連軍所
属の機甲車輛の装甲を無力化することに使用される爆薬などにより、戦術能力を大幅に
改善しているということも指摘していた。そして、報告書の中で最も重要な点は、ター
ケントン中佐が「敵集団が夜間戦闘に非凡の能力を示している」と述べていたことで
あった。

 

ウォルトン・J・ウォーカー中将、マッカーサーに警告を出す

 

山で激戦が展開される直前、米第8軍軍司令官ウォルトン・J・ウォーカー中将は
マッカーサーに宛て至急電を打電していた。その至急電には「新鋭のよく組織化され十
分な訓練を受けた部隊──そのうちのいくつかは人民解放軍である──による待ち伏せ
攻撃と奇襲」というタイトルが付されていた。ウォーカー中将の報告は戦闘に関与して
いる人民義勇軍の規模を十分に明らかにしたものとはいえなかったが、朝鮮戦争の性格
が大きく変化したということをマッカーサーとウィロビーに気づかせたに違いない。
11月1日の夜から2日早朝にかけて戦われた雲山の戦闘で第8騎兵連隊が敗走した後、
ウィロビーはウォーカー中将と会談する目的で平壌に飛んだ。ウィロビーと会うや否や
ウォーカー中将は次のように話した。「チャールズ、われわれ第8軍は中国人がここに
いることを知っている。君は中国人がどんな目的でここにいるのかわれわれに教えてく
れないか」。本連載でも何度か登場したようにウォーカー中将は直言を憚らない人物で
あったが、この発言は彼の面目躍如たるものがある。

 

朝鮮半島を視察したウィロビーによる11月3日付の情報見積は人民解放軍部隊が北朝鮮
で国連軍と交戦していることを反映した内容であったが、ウィロビーは中国が朝鮮戦争
の性格を劇的に逆転させるような規模と方法で反攻作戦を展開しているとまでは評価し
なかった。ウィロビーは敵情について正確な認識を持ち合わせていたが、自分の自説に
固執するあまりその敵情から正しい評価を導き出すことに失敗してしまったのである。

 

 

(以下次号)

関連ページ

第1回
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第34回
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第35回
【戦史に見るインテリジェンス活用の失敗と成功(その2)】  「朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜」(35)
最終回
【戦史に見るインテリジェンス活用の失敗と成功(その2)】  「朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜」(最終回)