朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(21)




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はじめに

 

 本連載の第三回で、1950年のマッカーサー率いる極東軍司令部において発生した情報の失敗の原因が三つあることを指摘した。
そのうちの(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全の問題の二つまでを前回までの連載で考察した。

 

今回からは、第三の問題である「人的・政治的要因」、換言するならば、ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法やマッカーサーとの個人的関係にどのように影響しているのだろうか?という問題に焦点を当てて分析してみることにする。

 

その前に、マッカーサーは、1950年10月に朝鮮戦争に介入した中国に対する戦略をどのように考えていたのであろうか?
中国が朝鮮戦争に介入してから約6か月後の1951年4月11日にトルーマン大統領との確執によりマッカーサーが解任されたためもあってか、この問題はあまりよく研究されていない。

 

今回は脇道に逸れて、この問題について考えてみたいと思う。

 

 

マッカーサー解任

 

 1950年、11月反攻に成功した人民義勇軍は、軍の主役が歩兵主体であった利点を最大限活用した「山間部を巧みに機動して国連軍の側背に脅威を与える攻撃方法」と、「大量損害を恐れない人海戦術」とにより各地で国連軍を潰走に追い込んだ。人民義勇軍と北朝鮮軍は12月5日には平壌を奪回、1951年1月4日にはソウルを再度手中に収めることに成功した。

 

劣勢だった国連軍側であるが、1950年12月、韓国は、悪化する戦況を打開するため、国民防衛軍設置法を公布して、第2国民兵役該当者たる17歳以上40歳未満の成人男性で構成される国民防衛軍を編成した。
米国や英国も装備を最新兵器に更新し、態勢を立て直した国連軍は、1951年3月14日、ソウルを再奪還することに成功し、人民義勇軍・北朝鮮軍と38度線付近で対峙することとなった。

 

1951年3月24日、マッカーサーは、停戦を模索するトルーマン大統領の意図に反して「中華人民共和国を叩きのめす」との声明を発表した後、38度線を越えて進撃することを命じた。

 

マッカーサーは、人民義勇軍への物資補給を遮断する目的で、満州に対し戦略爆撃機を使用した戦略爆撃の実施を主張してトルーマン大統領と対立。4月11日に解任され、4月16日には専用機「バターン号」で日本を飛び立った。

 

 

「過去の戦争」を戦おうとしたマッカーサー

 

なぜ、マッカーサーは満州に対する戦略爆撃を主張したのであろうか?

 

「軍人は過去の戦争を戦おうとする」という有名な格言がある。
満州に対する戦略爆撃を主張したマッカーサーの意図は、武器弾薬などの軍需物資が集積され、人民義勇軍の一大兵站拠点となっている満州を爆撃することで、朝鮮半島に展開し戦闘を繰り広げている人民義勇軍への補給を断とうとしたことにあった。そして、この考えの根底には、「過去の戦争」である第二次世界大戦におけるマッカーサーの戦勝体験が存在した。

 

1951年5月3日、マッカーサーは米国上院軍事外交委員会に召喚され、自らの戦略について証言している。

 

ヒッケンルーパー上院議員が「中国共産党(Red China)に対する海上・航空封鎖というあなたの提案は、米国が太平洋において日本に対し勝利を得たのと同じ戦略なのか?」と質問したのに対し、マッカーサーは以下のように答えている。

 

「はい、そうです。太平洋で、われわれは日本軍を迂回しました。
われわれは日本軍を包囲しました。あなたも御存じのとおり、日本は、約8000万人という巨大な人口を有し、四島に押し込まれている。
人口の約半分は農業従事者である。その他半分は産業に従事しています。」

 

 

日本の対米開戦理由を「安全保障」的理由と認識していたマッカーサー

 

 マッカーサーによれば、日本の労働者は、これまでに知ったいずれの国民にも劣らぬほど質的にも量的にも優れており、怠けているより働いていることを幸せに感じる性質を持つという。そしてこのことは、「巨大な労働力が、働くための何かがなければならないことを意味」するという。「働くための何か」とは具体的には資源のことである。

 

マッカーサーは次のように述べている。

 

「日本は工場を建設し職を得たが、基礎資源を持っていない。絹を除けば、日本固有の資源など事実上、何もない。彼らは綿花、ウール、石油製品、錫、ゴムも欠乏しているし、アジアに存在するその他多くの資源にも欠けている。もしこれらの供給が断たれたならば、日本の失業者は1000万人〜1200万人にもなる。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、安全保障によって左右されたところが大きい。」

 

 つまり、マッカーサーは、日本が対米戦争に突入した理由を、「安全保障」の問題、換言するならば、資源供給が断たれたことにあると考えていたようである。

 

 マッカーサーが認識する日本の戦略コンセプトは、日本が開戦と共に占領したマレーシア、インドネシア、フィリピンといった資源地帯の「外部要塞」となっている太平洋に点在する島嶼を保持し、奪還を試みる米国に流血を強いることで、日本に有利な停戦条約を締結しようとするものであった。

 

 

日本の敗北を決定づけた「封鎖」戦略

 

 そこでマッカーサーは、日本の戦略に対抗するために、蛙飛び戦略といわれる迂回戦略を編み出した。マッカーサーによれば、彼の戦略は、日本軍により「要塞化された地点を避けて迂回」することで「日本が占領した国々から日本本国へと延びる後方連絡線に接近し」、戦略物資が「日本本土に到達するのに終止符を打つため、海上封鎖」をすることにあった。そして、「封鎖を適用したまさにその時、日本の敗北は確実なものとなったのだ」という。

 

 マッカーサーの証言によれば、日本が第二次世界大戦で敗北した最大の理由は、彼が採用した海上封鎖戦略にあった。すなわち、マッカーサーによれば、「われわれがそのような方法で封鎖し、日本の経済システム全体を荒廃させた時、日本は能動的戦闘力を維持するのに必要な力の源泉を軍に供給できなくなったのであり、したがって、日本は降伏した」のだという。

 

 

マッカーサーの「パシフィック・アナロジー」

 

 マッカーサーは、太平洋戦争で日本を降伏に追い込んだ「封鎖戦略」を朝鮮戦争でも応用しようとした。筆者はこれを「パシフィック・アナロジー」と
命名したい。

 

 中国は「資源大国」ではないかといぶかしがる読者もいるであろうが、それは現代のわれわれの後知恵的な認識である。

 

 マッカーサーの分析では、「中国に関する問題は[第二次大戦のときの日本と]まったく同じ」であり、「中国単独では」大日本帝国が有していたような資源を得られないのだという。

 

 マッカーサーの認識では、中国の資源が不足しているため、「中国を封鎖するのはより容易なことであろう。もし国連加盟諸国が参加したならば、中国沿岸を封鎖することは、とても簡単な問題である」のだという。

 

 沿岸部からの補給路が断たれることになれば、唯一残された補給路は内陸部ルートだけである。マッカーサーは、この点を正確に認識しており、「中国が[訳者註:海上輸送に代わって]兵站支援を得ることのできる唯一の他の方法はソ連から供給を受けることである」と述べている。

 

 しかしながら、欧露に所在する大規模産業地域から延びている鉄道線は、ソ連が今そこに展開している守備兵を維持したり、部隊配置を入れ替えたりするだけで「精一杯」であるため、「ソ連が共産中国に与えることのできる支援には、はっきりとした限界が存在する」のだという。

 

 

民需・軍需の両面で物資欠乏に悩む中国

 

 では、マッカーサーの見解では、中国はどれほど深刻な資源状態にあるというのであろうか。この点に関して、マッカーサーによれば、

 

「中国がただ単に自国の現有市民人口に生活必需品を供給するだけでも大きな困難を抱えていることを理解すべきだ。私は、中国において1年で500万人から1000万人の人が飢餓もしくは栄養失調が原因で死んでいないとは考えられない[訳者註:つまり、500万〜1000万人が餓死しているということ]。それは貧困経済であり、それを破壊した瞬間、中国の人口の大部分は無秩序かつ不平不満の輩へと変貌することになるであろう。そして、国内的緊張は中国の潜在的な戦争能力に打撃を与えることに寄与するであろう」という。

 

 さらに、民需用の物資だけではなく、ソ連が供給することのできる支援が限られているため、中国は近代的な空軍および海軍を「自身でそれを建設できないし、ソ連は中国にそのために必要な兵器を送り出すこともできない」のだという。

 

 

「パシフィック・アナロジー」とその問題点

 

 マッカーサーは、国内資源が貧弱であるため工業生産のための資源を東南アジアに依存していた第二次世界大戦当時の日本の構造と、民衆の食糧供給のみならずソ連からの供与なくして近代的兵器の調達もままならない朝鮮戦争当時における中国の構造に共通点を見出し、日本が封鎖戦略により降伏に追い込まれたように、中国も「封鎖戦略」で降伏に追い込めると考えたのである。
これが筆者の主張する「パシフィック・アナロジー」である。

 

 しかし、マッカーサーの「パシフィック・アナロジー」には問題点が存在する。

 

 マッカーサーは、ソ連が中国に対し支援を与えることのできる能力が「限定」されていると述べているが、その根拠は、欧露とソ連極東地域とを結ぶ鉄道輸送路が極東地域に展開しているソ連軍の補給およびに部隊入れ替えだけで手一杯というものであったが、これは当該鉄道の運搬能力をどの程度に見積もるかによって大きく変化する問題である。

 

 しかも、軍需・民需両面で物資不足に悩む中国というマッカーサーの認識も、建国したばかりでまともな統計を公表してない中国にあっては、情報機関の分析結果によって結論に大きな相違が出てきそうな問題である。

 

 ソ連の鉄道輸送能力や中国の物資量の多寡を分析するのは、情報機関の任務である。そして、これまでの連載で見てきたように、マッカーサーの情報幕僚チャールズ・ウィロビーの対中分析には多くの欠陥があったのである。

 

 では、いよいよ次回から、ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法やマッカーサーとの個人的関係にどのように影響しているのだろうか?という「人的・政治的要因」の問題に筆を進めることとしたい。

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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最終回
【戦史に見るインテリジェンス活用の失敗と成功(その2)】  「朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜」(最終回)