朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(31)




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前回までのあらすじ

 

 前回、ウィロビーの著作やマッカーサーの議会証言は主観的で信憑性に欠ける部分が多く、史料的に問題がある旨を指摘し、具体的にどういった点が信頼できないのであろうかという点を考察した。

 

「外国の意図をあつかう軍事的政治的調査は、通常、国務省もしくはCIAが所管していた」(ウィロビー)

 

「1950年11月に、わが国のCIAは、中国軍の一部兵力で大規模な介入を行うチャンスは存在しないと思われると言っていた」(マッカーサー)

 

ウィロビーやマッカーサーはこのように述べることで、1950年11月に中国共産党の意図を確知することに失敗した責任をワシントンに帰している。

 

しかし、CIAの報告書は、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第二部の「中国が朝鮮半島に介入する機会は過ぎ去ってしまった」という分析結果をそのまま反映させたものであった。このことからもわかるように、マッカーサーの議会証言およびウィロビーの著作の内容は、客観性に欠けている部分が多い。

 

さらに、ウィロビーは、CIAや国務省を批判するだけではなく、陸軍上層部をも批判の対象としている。統合参謀本部議長オマー・ブラッドレーや、陸軍参謀総長ロートン・コリンズがマッカーサーの戦術を「時代遅れ」と見なし、マッカーサーの立案した作戦に反対したというのである。

 

とくに、マッカーサーとコリンズとの間の摩擦は、戦術をめぐる意見対立を超えるものであった。たとえば、マッカーサーが自身の寵臣ネッド・アーモンドが第十軍団軍団長に就任するつもりであるとコリンズに伝えた時に、コリンズが大激怒した。コリンズが激怒したのには理由がある。軍団長任命のような重要人事は、陸軍参謀総長の事前承認を得るのが普通だったからである。

 

マッカーサーがコリンズの事前承認もなしにそのように自由気ままに振る舞えたのは、マッカーサーが第13代の陸軍参謀総長(ブラッドレーは17代目、コリンズは18代目)を経験していた陸軍最古参の現役将官の1人であり、陸軍内部に大きな影響力を持っていたからである。

 

ウィロビーによるトルーマン批判

 

 ウィロビーは、台湾海峡に米第七艦隊を展開させたトルーマン大統領の決断を、沿岸地域から満州へと人民解放軍部隊の移動を許した原因となったとして批判している。このウィロビーの解釈は正確な指摘であるといえるが、さらにウィロビーは、米第七艦隊の台湾海峡への展開が朝鮮戦争介入を決断する中国首脳部の意思決定過程で決定的な役割を果たしていたとして以下のように述べてもいる。

 

「華中の沿岸防衛の任務を付与されていた人民解放軍二個軍を沿岸防衛の任務から解放したことは、これら二個軍をその他の場所へ転進させることを可能とした・・・[中略]・・・共産中国の決断内容を一変させたのは、満州が聖域であるという概念であったことは疑問の余地がない」

 

このウィロビーの説明は明らかに自己弁明の色が強いものがある。ウィロビーは、CIA・陸軍上層部・トルーマン大統領が朝鮮半島における中国の最終目標を正確に判断することに失敗したと批判することにより、人民解放軍の満州国境への転進の意味を正確に分析することに失敗した自身の責任を転嫁しようとしたのである。

 

中国の警告を「戦略的なハッタリ」と見なしたウィロビーの失敗

 

 ウィロビーは、著書『マッカーサー:1941〜1951年』(MacArthur, 1941-1951)の中で、中国の朝鮮戦争介入を予測することに失敗した責任をワシントンの政策決定者に押し付けようとしている。

 

ウィロビーは、中国共産党が朝鮮半島へ部隊を展開させる計画を持っていることを政府に警告した証拠として、1950年8月27日付の情報日報(Daily Intelligence Summary)を著書の中で引用している。確かに、8月27日付の情報日報においてウィロビーは警告を発しているが、これはウィロビー自身が多くの報告書の中から注意深く自己に有利な内容が書かれた報告書を選んだだけであって、ウィロビーは著書の中で自身に不利な文書類には言及していない。しかし、現実には、本連載で何度か指摘したように、ウィロビーは10月の第2週に提出した報告書の中で、中国の脅威は「単なる
レトリックにすぎない」と述べ、人民解放軍が満州に集中展開している情報を軽視しているのである。

 

ウィロビーは著書の中で、マッカーサーの司令部が高まりつつあった中国の脅威に関してワシントンに十分すぎるほどの警告を発したと主張して、戦争当時提出された報告書の「概要」を証拠として挙げている。7月から10月にかけて書かれた複数の報告書を著書の中で引用して、ウィロビーは、ワシントンの政策中枢が中国の諸活動に関する十分な説明を極東軍司令部参謀第二部から受けていたと弁明しようと試みているのだ。

 

確かに人民解放軍の満州への集中に関するウィロビーの説明は間違いなく正確なものであるが、ウィロビーは、中国が介入するのに最良の時機が過ぎ去っているため中国は介入しないし、中国共産党の要人が声明の形で発する警告は「戦略的なハッタリ」であると述べた自身の報告書については著書の中で完全に無視している。

 

「トルーマン大統領の自殺的命令」というウィロビーの嘘

 

ウィロビーは、何十万人もの人民解放軍兵士が満州に集結中であるという自身の確実な分析にもかかわらず、中国の朝鮮戦争への介入を予測することに失敗した点で多くの責任を負うべきである。

 

「共産軍の大軍が移動するかどうかを明らかにすることは、味方の飛行機が国境を流れる河川の南側20マイルを飛ぶようにというトルーマン大統領自身の自殺的命令によって不可能となった」

 

『マッカーサー:1941〜1951年』の中でウィロビーは上記のような弁明をしている。すなわち、トルーマンが鴨緑江の20マイル以南を飛行すべきだとする命令を発したがため、鴨緑江対岸の満洲に展開する人民解放軍部隊の空中偵察を実施できなかったという批判である。

 

しかし、これも彼の著書のほかの個所と比較するとその嘘が明白である。著書の別の箇所でウィロビーは、1950年10月末に中朝国境沿いを飛行したマッカーサーの偵察飛行について言及し、「空はこれよりも大胆な飛行をこれまで決して目にしたことはないであろう」とマッカーサーの勇気を讃えている。この偵察飛行に関する箇所では、マッカーサーを乗せた非武装の航空機は国境から「20マイル」南側を飛行するどころか中朝国境の鴨緑江上空を
飛行したということになっており、さらにはマッカーサーの搭乗機が中国の戦闘機が飛び回る中国の空域を通過し「70機ものミグ戦闘機が時折遠望できた。大胆な飛行がマッカーサーの命を救ったのだ」との記述がある。

 

マッカーサーの偵察飛行を讃える記述から推測するに、国境から20マイル以南を飛べという「トルーマン大統領の自殺的命令」のために人民解放軍の移動を航空偵察できなかったというウィロビーの言い訳は、明らかに自己矛盾に満ちたものといえる。さらにいうならば、ウィロビーはマッカーサーの勇気に惜しみない称賛の言葉を捧げながら、国連軍に脅威を与えているミグ戦闘機を操縦しているパイロットが誰なのかについてまでは考えが及ばなかったらしい。

 

使いまわされた情報(Circular reporting)

 

 マッカーサーが中国は朝鮮戦争に介入するだろうと信じていないとトルーマン大統領に断言した場面に関するウィロビーの回想には、ウィロビーがそのとき国務省やCIAからいかなる報告書も入手していなかったという弁明が登場する。つまり、極東軍参謀第二部の分析は間違っていたかもしれないが、もし、国務省やCIAといった他の機関が作成した報告書を読めば、客観的な分析が可能であったはずだという論理である。

 

ウィロビーがこのときに国務省やCIAからいかなる報告書も入手していなかったという弁明は正確であるが、たとえ国務省やCIAから報告書を受け取っていたとしても結果が変わったとは思われない。本連載で指摘したように、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第二部が朝鮮半島に関する情報分析を排他的に独占しようとしたため、国務省やCIAが独自の情報収集を実施することが困難となり、国務省およびCIAの報告書は極東軍司令部参謀第二部作成の情報日報や報告書をほぼ孫引きするような内容になっていた。したがって、もしこの時、ウィロビーがCIAや国務省から報告書を受領したとしても、ワシントンの政策中枢が入手可能な唯一の情報は極東軍参謀第二部を情報源となるように情報分析の独占化を図ったウィロビーの努力の結果、ウィロビーが受領する報告書の内容はウィロビー自身の分析内容と一致する内容でしかないのである。

 

そして、使いまわされた情報(Circular reporting)の弊害が存在する限り、1950年の戦争のどの局面においても、マッカーサーが入手可能だったCIAや国務省の報告書は、極東軍司令部参謀第二部作成の報告書類を情報源とするものであったため、マッカーサー自身が司令官を務める極東軍司令部の分析内容を反映するものでしかなかったのである。

 

本節まとめ

 

 さて、1950年11月の情報の失敗の原因となった3つの問題点のうちの人的・政治的要因(ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法にどのように影響しているのだろうか?という問題)について数回にわたり考察してきた。最後に、それを要約してみたい。

 

ドイツ貴族出身であるというチャールズ・ウィロビーのバックグランドは、彼が米国に移住し米軍将校として中南米諸国の駐在武官となった際にファシスト指導者を崇拝する下地を提供すると共に、強烈な反共思想の源となった。そして、強力な権力を有する指導者を好む考え方と激しい反共思想は、ウィロビーがマッカーサーの情報幕僚として勤務する上で、良くも悪くも大きな影響を与える結果となった。

 

ウィロビーは、日中戦争における中国軍の戦闘結果の研究を通じて、自身のキャリアの重要な時期に中国人の戦闘能力に対する偏見を持つにいたった。そしてこの偏見が、1950年にウィロビーが人民義勇軍の動向を分析する際に悪影響をもたらすこととなった。

 

こうした要素に、ウィロビーによるマッカーサーおよび朝鮮半島におけるマッカーサーの作戦計画に対する揺るぎのない崇拝心が結合した結果、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第二部は中国側の意図を正確に予測分析することに失敗し、1950年11月に国連軍は壊滅寸前の状態にまで追い込まれたのである。

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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