朝鮮戦争における「情報の失敗」 〜1950年11月、国連軍の敗北〜(17)




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前回までのあらすじ

 

マッカーサーが周囲の反対を押し切って成功させた仁川上陸作戦以降、外部の批判に耳を貸さなくなる一方で、38度線を越えて北朝鮮に侵攻するというマッカーサーの決定は、ワシントンの政権中枢に国連軍の前進が持つ意味について懸念を生じさせた。

 

この懸念は朝鮮半島での武力行使に関する国連安全保障理事会のマンデートから生じていた。国連安全保障理事会は、国連軍に「韓国が武力攻撃に対して自衛することを支援する」ことしか許可していなかったのである。

 

トルーマン政権は、本来の北朝鮮と韓国の国境を越境して北朝鮮軍を追跡する権限も含まれるというようにこのマンデートを拡大解釈していた。しかしながら、国際法の専門家によるこうした法的意見にもかかわらず、トルーマン大統領とその補佐官たちは、国連軍による北朝鮮領への侵攻はソ連や中国が戦争に参戦することを促すことになるかもしれないとの懸念を抱いていた。

 

では、国連軍が38度線を越境する際に、ワシントンの政策決定者たちの間でどのような討議がなされたのであろうか?

 

 

中国とソ連は国連軍の38度線越境に対しどのような行動に出るのか?

 

トルーマン政権が38度線を越えて北朝鮮に侵攻する決定を下したとき、考えられ得る事態が2つ存在した。すなわち、中国およびソ連という二大共産国の反応である。

 

もし中国が参戦をした場合、トルーマン大統領の補佐官たちは、国連軍が中国と戦闘を展開する一方で、国連安全保障理事会を使って中国を侵略国と宣言させる行動方針をトルーマン大統領に進言していた。

 

もしソ連が北朝鮮に侵攻し、北朝鮮を占領した場合には、トルーマン大統領の補佐官たちは、「マッカーサー将軍は守勢を採るべきであり、状況を悪化させるような行動をとってはならず、ワシントンに[戦況を]報告させるべきである」とトルーマン大統領に献言していた。

 

国連軍が38度線を越えるべきか否かを討議する会議の席で、中国の介入が議論されたか否かを質問されたときに、陸軍長官フランク・ペースは中国介入というあり得べき事態を会議の席で想起しなかったと答えている。驚くべきことであるが、ペース陸軍長官は中国が鴨緑江を越えて朝鮮戦争に介入するという国連軍にとっての最大の脅威をすっかり忘れてしまっていたのである。

 

この件に関して、ペースは以下のように述べている。

 

「率直に言うと、私は、それを[中国政府の要人が朝鮮戦争に介入すると何度も警告していたことを]オオカミ少年の類だろうと思っていた。

 

私はあの当時、人民解放軍が参戦すると真面目に信じていた人間がいたとは信じられない。確実なことであるが、マッカーサー将軍は人民解放軍が朝鮮戦争に介入しないであろうという極めて明確な考えを持っていた。

 

そして、私は、仁川上陸作戦の後、戦地に於いて問題を評価するマッカーサー将軍の能力に極めて強い印象を受けたといわねばなりません。」

 

ペース陸軍長官の証言は、マッカーサーとウィロビーによる中国政府の意図に関する評価が陸軍長官に影響を与えていたことを示している。

 

この状況は、米国の戦略レベルの政策立案者が、中国の脅威に対し正面から向き合うことを放棄する一方で、たとえ小規模であってもソ連軍とのいかなる接触を恐れていたことを示唆している。

 

 

38度線越境に賛成する人々が展開した論理 〜「われわれには勢いがある」〜

 

ペース陸軍長官とは逆に、陸軍次官補カール・ベンデトセンは国連軍が38度線を越えて北進することに反対であった。ベンデトセンは38度線を越境することに賛成する人物が展開した正当化の論理を以下のように要約している。

 

「われわれには勢いがある。マッカーサーは、われわれが南北朝鮮を統一し、極東における[東西両陣営間の]摩擦地域を除去することが可能であることに自信を持っている。われわれは太陽が我々を照らしている間に朝鮮半島を統一しなければならない」

 

この38度線越境賛成派の論理は、朝鮮半島における戦争の情報分析に関して、ワシントンの政府中枢がマッカーサーとその情報幕僚をいかに信任していたのかを如実に示している。

 

 

統合参謀本部がマッカーサーに与えた白紙委任状

 

統合参謀本部は、もし、マッカーサーが北朝鮮で中国の介入を示す証拠を発見した場合に、マッカーサーがどのような行動をとるべきかについて、相反する指示をマッカーサーに与えていた。

 

統合参謀本部は、1950年9月27日の指令で、状況を悪化させるようないかなる行動も控えるべきであるとマッカーサーに命じる一方で、10月9日にはより寛大な内容の指示をマッカーサーに出しているのである。10月9日の命令は、以下のようなものであった。

 

「もし、朝鮮半島のいかなる場所であっても大規模な人民解放軍部隊が、公式に、もしくは秘密裡に戦争に参加している場合には、事前に通告することなく、あなたの判断で、現在あなたの統制下にある軍事活動が成功の合理的な機会を提供する限り、あなたは行動を継続しなければならない」

 

この命令書は、大規模な人民解放軍の規模とはどの程度なのかという論点や、成功の合理的な機会とはどの程度の確率なのかという論点を定義する際に、マッカーサーにかなりの裁量の余地を与えることになった。

 

この統合参謀本部がマッカーサーに与えた白紙委任状は、仁川上陸作戦の成功以降、クロマイト作戦に反対した統合参謀本部でさえもが、極東軍司令部で大流行していた悪性で伝染性の楽観主義というウイルスに感染してしまったことを示している。

 

北朝鮮軍を撃破する機会や、それと同じレベルの重要事件が発生した場合、統合参謀本部は北朝鮮領へ部隊を侵入させる権限をマッカーサーに付与した。しかし、マッカーサーに大きな権限を与える一方で、統合参謀本部の戦略家たちは次のような考えも持っていた。

 

「もし、ソ連軍もしくは人民解放軍が、すでに朝鮮半島に展開している場合、もしくは朝鮮半島に介入する意図であることを発表した場合、たとえどんなに戦術的情勢が38度線を越えるときに有利であったとしても、マッカーサー将軍は38度線を越えて移動することを控えなければならない」

 

二つの方向性の間で揺れる統合参謀本部は、結局、北朝鮮軍を撃破するために、38度線を越える選択肢を選択した。行動方針をめぐって対立する統合参謀本部とマッカーサーは、北朝鮮軍がもし完全に殲滅されなかった場合、北朝鮮が復興し、将来韓国に脅威を与えるかもしれないという点で合意を見出し、38度線を越える決断を行ったのであった。

 

 

中国の朝鮮戦争介入の兆候を無視してなされた国連軍の38度線越境

 

ワシントンと東京のオフィス内で、38度線を越えて北朝鮮領へ侵入するか否かの議論が展開している一方で、毛沢東率いる中国が戦争準備をしていることを示す明白な兆候が存在した。ジェームズ・シュナーベルは『政策と命令 〜朝鮮戦争における米国の第一年目〜(Policy And Direction: The First Year United States Army in the Korean War)』の中で、次のように書いている。

 

「マッカーサーは、自身のG2(参謀本部第2部・情報部)を統括するウィロビー将軍が8月31日に次のような報告をした後であっても38度線を越えることに賛成し続けた。その報告とは、複数の情報源が何度も中国中央部から満州へと向かう部隊の移動を報告しており、このことは朝鮮半島戦域へと侵入するための準備的な部隊移動である
ことを示唆するという内容であった」

 

当時、ウィロビーは、約24万6千人の人民解放軍部隊が満州に集結中であると見積もっていた。さらに、ウィロビーの分析によれば、この満州に集結中の人民解放軍24万6千人のうち、約8万人が北朝鮮と鴨緑江を挟んで対岸に位置する中国領の安東に展開していた。

 

1950年9月27日、統合参謀本部は、38度線を越境し北朝鮮領へ侵入する作戦を指揮する権限をマッカーサーに与えた。9月15日に行われた仁川上陸から数えてわずか12日目のことであった。

 

統合参謀本部は、9月27日付の命令書で、マッカーサーに38度線越境を認可すると同時に、ソ連もしくは中国による介入を憂慮して、ある明確な指令をマッカーサーに与えていた。すなわち、統合参謀本部はマッカーサーに対して「あなたの目的達成に対して中国共産党もしくはソ連の脅威が存在しているか否かを明らかにするため特別な努力をせよ。中国共産党もしくはソ連の脅威は緊急事態として統合参謀本部に報告されたし」という指令を出していたのである。

 

さらに、この命令書には、もし国連軍が38度線の北側でソ連軍もしくは人民解放軍と遭遇するか、ソ連ないしは中国が朝鮮半島に侵入する意図を発表した場合には、マッカーサーはワシントンにいる上位者に即座にその旨を報告しなければならないという明確な規定が存在した。

 

10月中旬に毛沢東によって、中国が朝鮮半島に介入する意図を持っているという警告が発せられたとき、統合参謀本部がマッカーサーに与えた命令で強調されていた規定が発動されるべきであった。

 

しかし、極東軍司令部参謀部第2部を率いるウィロビーは、自身が統合参謀本部に提出した情報報告書の中で毛沢東の警告を無視した。これは、統合参謀本部が9月27日にマッカーサーに与えた指示に反する行為であった。ウィロビーは毛沢東の警告を情報評価書の中で過少評価することにより、1950年末までに北朝鮮を征服するというマッカーサーの計画を継続する根拠をマッカーサーに提供したのである。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(長南政義)

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