神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(23)

2023年6月19日

指導したのは陸曹・陸士だけではない。
小隊長に対しても、「降下後の攻撃・防御について、そして自分たちの持っている装備品をどう使うか、幹部たる小隊長がちゃんと考えなくちゃだめだ」と教え込んだ。
また、火箱が気になっていることのひとつに、空挺は「短距離は得意だけど長距離は苦手」ということがあった。
火箱は常々、「即動必遂」には持続力が不可欠だと言っていた。確かに空挺は“即動”の部分はきわめて早い。しかし、どんな体力のある者でも、不眠不休で3日も経つと死んだマグロのように横たわる。立哨を交代させなければ誰も動けなくなってしまうのだ。
そこで長期野営で追い込むことにし、2連隊時代にも散々通った新潟の関山演習場に足を運び、妙高山走破をはじめ、隊員たちを鍛えに鍛えた。
「ラグビーの試合が近いのに練習できない」と言われないよう演習場にもラグビーボールを持参させ、訓練終了後に野営地で練習させた。火箱自身もまだ30代で気力体力がみなぎっていたので、自衛官人生を振り返ると、この空挺の2中隊時代がいちばん部隊を鍛えたのではないかと思う。
骨折者が出るほどきつい訓練の日々だったが、さすが2中隊の隊員たち、磨けば光る。見事なまでに強くなっていった。今でもOB会で「あの頃の訓練は本当にきつかったが鍛えられたし、2中隊は最強だという自信もついた。今となってはいい思い出」とかならず話題に上る。
その後、火箱は第1空挺団長として再び空挺に戻ってくることになるが、その際も空挺に対して「精鋭無比」という言葉は使わなかったし、中隊長時代以上に、隊員たちを鍛え上げた。
着任した早々、火箱は空挺が「空っぽ団」だと嘆いたが、それには空挺が忙しすぎるという事情もあった。
士気を上げるという名目での競技会がいくつもあったし、全国の駐屯地から記念行事で降下を依頼される。訓練する時間を作るのに難儀するという状態だったのだ。
常に多忙な第1空挺団だったが、限られた時間で訓練したもので忘れられないことといえば、着任した年の10月にあった観閲式への参加である。
現在は動画サイトで観閲式の様子が見られるので観閲行進を見るとよくわかるのだが、いくつもの部隊が観閲行進をする中で、第1空挺団の白いマフラーとシンボルマークを描いたノンカバーの鉄帽は異様に目立つ。全部隊が整列した状態で、観閲官の正面に位置するのも空挺だ。火箱から言わせればあの鉄帽も「ただのかっこつけ」なのだが、その様相には「精強」を体現しているような頼もしさと力強さがある。だからこそ、火箱も中隊長として観閲式に参加できたことをうれしく思った。
ほかの部隊は何か月もかけて観閲式に向けての準備をするが、忙しい空挺にそんな時間の余裕はない。本番の3週間前くらいからようやく観閲式の練習をはじめ、当日は3時間、「不動の姿勢」か「整列休めの姿勢」を維持した。
当時の66式鉄帽は現在使われている88式鉄帽よりもつくりがよくなく、細心の注意を払ってかぶらないと次第に縫い目や結び目が当たり、頭がずきずきと痛くなった。だが鉄帽の位置を直す動作など、許されるはずがない。そこで敬礼の際に伸ばした指先で鉄帽にほんのわずか触れ、それで鉄帽をずらしたりした。そんな苦労もあったが、中隊を率いて観閲式に臨み、観閲行進をするのは誇らしかった。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)11月10日配信)