神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(24)

2023年6月15日

当時は六本木にあった防衛庁の警備を行なったのも忘れられない体験だ。
当時の防衛庁の警備は全国から選抜された部隊が1週間交代で行なっていた。2中隊にもその役目が回ってきたので、警備のための訓練を行なってから防衛庁に赴き、24時間虫1匹たりとも入れない姿勢で警備をした。酔っ払いが空き瓶を投げ込んだり、ふらふらと入り込もうとしたり、六本木という土地柄もあっていくつか状況は起きたが、火箱の率いる2中隊は完璧に任務を遂行した。
正門歩哨に「朝、長官には六本木交差点まで聞こえるような大声で元気よくあいさつしろ」と言ったところ、本当にとてつもない大声であいさつし、瓦防衛庁長官が大いに気をよくしたといったこともあった。1週間という限られた期間で「空挺が守っているときは安心だ」とお褒めの言葉をもらったことは、部隊を率いた中隊長として大きな喜びだった。
ところで、ここまでで何度か競技会という言葉が出てきているが、これは陸自全体で競うものから空挺の中隊対抗で戦うものまで規模はさまざまだ。その中で空挺が目の色を変えて勝利に執念を燃やすのは、中隊対抗の競技会だった。
どの部隊でもありがちだが、空挺はとりわけ中隊ごとのライバル心が強く、お互いにくたばれと思っているレベルで、もはや伝統ともいえる。
「〇中隊は駆け足が強い」「○中隊は柔剣道が抜きんでている」など、どの中隊にも得意なジャンルがあり、2中隊の場合はラグビーだった。
空挺団ラグビーの主力選手は2中隊出身者である。おまけに火箱は団ラグビーの担任官であった。ここ10年ほどは船岡の後塵を拝しているが、当時は全自では常勝軍団であった。となると、ラグビーの競技会ではなにがあっても負けるわけにはいかない。演習場にまで楕円のボールを持参して練習を欠かさなかったのには、こんな事情もあった。
だが火箱のお家芸といえば柔道である。そこで2中隊には柔道も奨励し、中隊対抗の試合では自ら大将として出場した。3中隊との大将決戦になったときに、空挺でいちばん強いと言われていた陸曹をぶん投げて優勝できたのもいい思い出である。
第1空挺団は、長らく「血の濃い」部隊だった。今でこそ特殊作戦群や水陸機動団といった部隊があるが、長らく空挺は陸自唯一の落下傘徽章を持つ部隊として絶対無二の精強さを内外に示していた。いくら火箱が「第1空っぽ団だ」と罵ろうが、空挺が精鋭無比と崇められていたのもまた事実だ。だからCGS(指揮幕僚課程)-を経て空挺の中隊長になる人間は、空挺出身者から選ばれ、そして空挺に帰っていった。空挺団長になる人物も、当然ながら空挺で育った人間が必要だった。
しかし「もっと外の風も入れたほうがいいのでは」と、濃すぎる血に警鐘を鳴らす声も出始めていた。そこで白羽の矢が立ったのが火箱だったのだ。
2中隊長として成果を上げ、結果を残したことで、空挺団長要員のすそ野が広がることとなった。火箱は、自分は「素人空挺」だったがその点については一役買えたと思うし、今も空挺出身だけで固まらずもっと広く人事交流したほうがいいと思っている。
中隊長を経験しなければその後空挺団長になることもなかったし、空挺への興味は失われたままだったかもしれない。最初こそ望んで上番したわけではなかったが、結果として「普通の中隊長」でなくてよかったと思えた。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)11月17日配信)