神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(27)

2023年6月15日

当時、防衛予算は厳しく懐の寒い状態のうえ、厄介なことに服務事故と弾にまつわる事故が多発している時期でもあった。なかでも戦車や迫撃砲弾が演習場外の国有林の中に出てしまうといった事案や小銃弾の不符号事案が多く、最初は「Q&Aってなに?」とわけのわからなかった火箱も、いやというほど記者への発表、質疑応答、つまりピンナップ文やQ&Aを作成することになった。
そして演習場問題も陸自にとって頭の痛い案件だった。今でもなくなったわけではないが、当時は駐屯地や基地だけでなく演習場でも「迫撃砲を撃つな」といったデモが頻繁に起き、訓練に支障をきたすほどだった。演習場のごく一部の貸借を認めず、そこを耕作地にしているところもあったし、今では地元と自衛隊がきわめて良好な関係を築いている地域でさえ、その頃はあまりに激しい反対運動のため、車両が駐屯地正門から入れず、迂回して裏門から入るといったことすらあった。
いちばん反対運動が激しかった地域では、ついに陸上幕僚監部では「駐屯地を整理統合して引き上げる」という計画まで検討していた。それほど自衛隊を取り巻く環境は厳しかったのだ。
しかし駐屯地があるからこそ、そこの自治体の経済が潤っていたことはまぎれもない事実である。隊員が引っ越してくるから徴収する住民税は増え、地元の経済も活発化する。演習場へ土地を貸せば、その賃料も入る。加えて民生支援として自衛隊に頼めば無償であれこれやってもらえるし(こういった案件には、今は曹友会などがボランティア活動として対応している)、災害が起きたときもすぐそばに自衛隊がいるのは心強い。
「駐屯地を引き上げる」という案は、そういう「おいしいところ」だけをつまみ、「迫撃砲撃つな、演習場いらない」と声高に叫ぶ輩に、陸幕の堪忍袋の緒が切れた結果とも言える。
そしてこの計画を、某新聞社がどこからか入手した。火箱はほかの記者には秘匿し、この記者に対してだけ「駐屯地や演習場の安定的、継続的使用は陸上自衛隊にとって死活的重要問題」と説明し、議論した。今は鬼籍に入っている記者は話を聞いて義憤にかられ、「その計画をやりましょう」と一面トップ記事に持って来た。
反対運動をしている団体からすれば喜ばしい記事だが、演習場のある自治体やそこで商売を営む人々にとっては生活が成り立たなくなる危機である。この記事が功を奏し、その地域での反対運動は最盛期の勢いを失い、駐屯地も現状維持が決まった。
火箱が陸幕広報の報道担当になった時期の自衛隊は、このようにまだまだ一部の国民から「敵視」されている組織だった。
陸幕広報で働き始めたばかりの頃、火箱は日々打ちのめされた。
幹部レンジャー徽章も持っている、空挺では基本降下課程を修了しているだけでなく中隊長も経験した、富士学校教官時代は自分よりはるかに階級が上の相手に野外での実員指揮訓練を提示するなど戦術・訓練にも精通している。そういった現場においては最大の強みだった火箱のスキルが、ここでは一切、まったくもって役立たたなかった。これは火箱のアイデンティティを否定しかねないほどの由々しき事態だった。
沖縄や高田、習志野と、渡り歩いてきた部隊はどこも精強だったが、そこで培われた自信はすべて音を立てて崩れ落ちた。
せめて体を動かしてストレスを発散させたいが、とにかく広報というのは今も昔も忙しい不夜城である。終電に間に合わないのは日常茶飯事で、ごくまれにカレンダーどおり休日に休め、普段まったくかまってやれない幼い息子たちとキャッチホールをしようとした途端にポケベルが鳴って防衛庁に呼び出される。
運動不足に加え、食堂に行く時間も惜しんでパンをかじりながら仕事をしていたら、次第に体も重く感じるようになってきた。加えて記者との付き合いもある。寝不足、不規則、運動不足、体重増、アルコール過多と、火箱の人生で経験したことのないような状態に陥った。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)12月8日配信)