神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(32)

2023年6月19日

陸幕広報勤務2年目にはすっかり広報業務も板につき、階級も2佐になっていた。また、報道担当BからAに「昇格」した。
報道担当Aになるとプレッシャーがまたすごい。Aの相手は防衛記者会だし、直接陸幕長に話をする立場になるし、記者会見の準備もする。今でこそ広報室長がかなり前面に出ているが、当時の記者会見は報道Aが仕切ることが多かった。記者の関心ごとはわかっているから、「こういう質問があるかもしれない」「発表事項はこれだ」と、夜中でも対応した。
その頃は携帯電話、ましてスマホなどはなく、広報室に大きなバッテリー付きの携帯電話が1台あり(バッテリーはショルダーバッグのように肩に下げる)、それで真夜中に出先から「明日こういう記事が出るらしいです」と陸幕長に電話したこともあった(メディアも夜中にしか言ってこないのだ)。
「明日の朝、マスコミが陸幕長の官舎の前で待ち構えているかもしれませんから」と言うと陸幕長も「よしわかった」と。どんな夜中に電話しようが、陸幕長からまったく文句は言われなかった。
毎朝、各新聞の朝刊に目を通して自衛隊に少しでも関係しそうな記事を切り抜き、陸幕長や各部署のためにまとめるのも報道の仕事だった(現在は実施していない)。
どの記事を切り取るか、ここにもセンスがいる。もちろん防衛問題をピックアップするのだが、ちょっと違う観点からの記事も陸幕長は知りたいだろうからと、あれこれ思案しつつ、地方からFAXで届く記事も合わせてダイジェスト版を作った。
のちに火箱が陸幕長の立場になったときも、毎朝机の上には新聞記事をまとめたコピーが置かれていた。まさに陸幕広報時代に自身でやっていたことだ。ただし、それを手にする前に毎朝陸幕広報室に寄り、広報室長から国内の動きについて直接話を聞くのが習慣となっていた。
陸幕長の机で報告を待つだけでなく、自ら立ち寄って情報を入手するのは、歴代の幕僚長が行なっていたことだ。寺島陸幕長もよく広報室に顔を出し、広報室長と話すほか、そこにいるマスコミとも会話を交わしていた。そういった面を突き合せたコミュニケーションを図ることも大事で、そこをないがしろにしなければ記者もおかしなことは書かないようになってくる。
とはいえ、厳しいときは厳しい。彼らも社を代表してきているのだから、そこになれあいはない。
広報時代に痛感したのは、「嘘をついたり、ごまかしてはいけない」ということだった。
知っていることを「知らない」と言ったら嘘になる。知ったかぶりをしてごまかしてもいけない。だから「言えません」「わかりません、調べてきます」「知っているが言えません、コメントしません」と言った。言う立場ではないとはっきり示した。そこを正直に言わず嘘をつくからこじれていくケースが、ここのところ自衛隊でよくみられる。
嘘をつくというのは、結局相手をなめていることでもある。それに記者に嘘をつくということは、すなわちその発信先である国民に嘘をつくということだ。
だから火箱は陸幕長時代、毎週木曜日に行なわれる会見でも、常に国民に対してブリーフィングしているつもりでいた。ときにはむっとする質問をしてくる記者もいるが、「こんな風にとらえている国民もいるのだ」と思って答えるようにしていた。テレビカメラが回っている前で話すときも、カメラの先に国民がいると思って話した。
パブリシティの重要性を陸幕広報で初めて知り、部隊勤務では学べない多くを学んだ火箱に、また異動の時期が迫っていた。今度は九州らしい。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和五年(西暦2023年)1月19日配信)