マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(26)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(26)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

アイゼンハワー大将とモントゴメリー元帥との戦略論争

 

ドイツ軍が、軍の崩壊とその結果必要となった軍の再編に取り組んでいる間、連合国軍は戦争終結のための方法を議論していた。ドワイト・アイゼンハワー大将は、戦線全体でドイツ軍に対し圧力をかける広正面戦略を主張した。一方、バーナード・モントゴメリー元帥は、戦争を終結させるためにベルリンへ向かう「純然たる一点突破(full-blooded thrust)」を提案した。となると、モントゴメリー元帥が提唱するところの一点突破は彼が担当する戦域で実施されるべきというのが、自然の趨勢というものだ。そして、このことは連合国軍内でモントゴメリー元帥率いる軍集団に対する補給物資の割り当てを最優先させることになるので、ほかの軍集団の司令官からの反対を喰らうのは必至であった。

 

連合国軍最高司令部内における指導者間の意見対立は、一九四四年九月四日に、彼らに送られたコミュニケで頂点を迎えた。指揮官たちに対するメッセージの中でアイゼンハワー大将は以下のように述べていた。

 

「極めて弱い抵抗に対してであっても戦線の大部分においてさらなる移動はほとんど不可能である」。

 

アイゼンハワー大将の懸念は、連合国軍が補給線の限界を超えてしまい、軽微な抵抗に対してであっても、敵領にさらに前進することができなくなる、というものであった。そしてアイゼンハワー大将は、次のように述べることにより、広正面戦略に関する自身の立場を繰り返している。

 

「今までにない規模で、敵をあらゆる場所で引き伸ばし続けなければならないことは、全体的観点から明白だ」。

 

アイゼンハワーがこう述べたのと同じ日に、モントゴメリー元帥は、アイゼンハワー大将に、次のような内容のメッセージを送った。

 

「我々が今やベルリンに向かう一つの真に強力で純然たる突破が起こり得て、これによりドイツとの戦争を終結させ得る段階に到達したことが、全体的観点から明白である」。

 

二人の指揮官の常に拡大し続ける隙間は広がり続け、大戦終結も戦略論争を解決することにはならなかったのである。

 

一九四四年九月十日、二人の巨頭がブリュッセルで会見した。この会見で、アイゼンハワー大将は、モントゴメリー元帥の計画に対する留保にもかかわらず、ライン川の渡河点を奪取するための空挺作戦を認可した。もちろん、この認可はベルリンへの突進の開始となることはアイゼンハワー大将の意図ではないが、「マーケット・ガーデン作戦は、単なる小事件であり、我々が一時的安全のために必要とする線への東方への拡張」であった。アイゼンハワーは広正面戦略の信奉者であったが、もしライン川の橋頭保を確保することができたならば、モントゴメリー元帥を支持するつもりであったのだ。

 

シュトゥデントの奇縁

 

アントワープ陥落後、ドイツ軍首脳部は連合国軍によるオランダへのさらなる前進を阻止せよという命令を発令し始めた。一九四四年九月四日の午後、降下猟兵の育成に多大な貢献をし、第二次世界大戦初期に空挺部隊を指揮したことで勇名を馳せたクルト・アルトゥール・ベンノ・シュトゥデント上級大将が、アルフレッド・ヨードル上級大将から呼び出しを受けた。ヨードルはシュトゥデントに対し、新しく創設された第一降下猟兵軍司令官の指揮をとるように命じたのである。

 

シュトゥデント率いる第一降下猟兵軍は、最近連合国軍の浸透により生じたアントワープ東方約121キロの隙間を守ることとなった。シュトゥデント率いる第一降下猟兵軍に割り当てられた地域が、マーケット・ガーデン作戦における連合国軍の主たる前進軸となる。奇しくも、一九四〇年にオランダへの空挺作戦を指揮したシュトゥデントは、連合国軍の空挺作戦から自分が攻めた同じ地域を守備する立場となったのである。

 

チル師団長の独断

 

ドイツ軍最高司令部が西部における防衛体制を再編成する一方で、各地の指揮官たちもまた状況がいかに切迫しているのかを見て取り、連合国軍の前進を阻止するための対策をとった。

 

第八十五歩兵師団長クルト・チルは、師団をラインラントへ撤退させよという命令を受けていた。九月四日、チルはアルベルト運河沿いの状況を視察し、ラインラントへの撤退を止めて、運河沿いに防衛拠点を確立し始めた。チルは運河を横断してドイツへと撤退する部隊で、第八十五師団を強化することができた。他の指揮官たちの努力も合わさって、チルの行動は圧ベール運河沿いの防衛体制を形成し、ドイツ軍が強固な防衛体制を確立するための時間的余裕を提供した。連合国軍の勢いはその重みで停止し、ドイツ軍はこの時間を活用し防衛体制を確立したのである。

 

各地の指揮官たちが前線の混乱を安定させ、増援部隊がドイツから続々と到着する一方、グスタフ=アドルフ・フォン・ツァンゲンの第十五軍はスヘルデ・エスチュアリー経由でアントワープ西部地区から南ベーフェラント半島への撤退を開始した。モントゴメリー元帥はアントワープ西方地区で第十五軍を孤立させ、その退却路を切断しようとしたが、第十五軍を完全に孤立させるために必要なアントワープより先への前進には失敗した。フォン・ツァンゲンはこの猶予期間を活用し、スヘルデ・エスチュアリーを渡って南ベーフェラント半島へ、軍を撤退させた。南ベーフェラント半島で第十五軍はオランダへ逃げのびることができるであろう。その部隊の幾つかは、第一降下猟兵軍に配属されて、マーケット・ガーデン作戦において連合国軍と矛を交えることとなる。

 

掴めなくなりつつあったドイツ軍の動向

 

「ウルトラ」情報は、アントワープ占領後、連合国軍の司令部に届いていた。報告書の性質は、混乱した退却を統制しようとしているというものから、連合国軍の前進を停止させる意図をもって計画された強固な防衛を確立しているものへと変化した。さらに、「ウルトラ」情報の量もドイツ軍がオランダで再編成されていくにつれ、徐々に減少し始めた。ドイツ軍の動向は今や基本的に静的なものへ変化した。というのも、撤退中と異なり、ドイツ軍はオランダに以前から存在していた地上通信インフラに依存するようになったからである。

 

作戦予定地域に集中するドイツ軍の情報を報告していた「ウルトラ」情報

 

「ウルトラ」情報の量が減少したが、それは幾つかのドイツ軍大規模部隊の配置と意図とを連合国軍の指揮官に提供していた。一九九四年九月四日、B軍集団命令は、現在作戦行動中にない装甲師団に対して、再編休養のために指定された地域に退却するよう命じていた。第二・第百十六装甲師団、第九・第十SS装甲師団は、再編休養のためにヘンロー〜アルンヘム〜スヘルトーヘンボス地区へ撤退を命じられていた。この地域はアルンヘムを頂点とする三角形の形を成していて、イギリス第三十軍団(三個師団基幹)の進撃ルートは三角形の底辺から三角形の頂点に向かって進む形となった。第一・第二・第十二SS装甲師団は、再編休養のためドイツ領への退却を命じられていた。九月五日には、第二SS装甲軍団が東に向かってアイントホーフェンへ移動し、四個師団の再編休養はヘンロー〜アルンヘム〜スヘルトーヘンボス地区とするよう命令された。

 

B軍集団は、今や攻撃を受けやすくなったアルベルト運河の防衛を強化するために他の対策もとっていた。九月六日の「ウルトラ」情報は、新しく配備された第一降下猟兵軍がアルベルト運河からマーストリヒトまでの防衛の責任を負っていて、第三・第五・第六降下猟兵師団を指揮下に置いていることを明らかにしていた。同日付のその後に出された「ウルトラ」情報は、第一降下猟兵軍が使用できる兵力量をさらに大きく報告していた。

 

ヒムラーが語る作戦予定地域の重要性

 

ドイツ軍は最初の防衛線をアルベルト運河に沿って準備していた、そこに配備された将兵は第一線の将兵から前線へと急いで投入された戦線後方を警備する警備部隊までが混在する寄せ集めの部隊であった。この部隊は軽装備で連合国軍に比べ兵力も少なかったが、すでに連合国軍による偵察目的の攻撃を撃退していた。この攻撃で、ドイツ軍がドイツ本土へのドアを開放しないであろうことが明白となった。ドイツ軍首脳部がこの地域を重要と評価し、ここを守るために採用した諸手段は、九月八日附のSS長官ハインリヒ・ヒムラーの命令によっても判明していた。

 

下された作戦開始の決断

 

アイゼンハワー大将から作戦実行の認可を受けた後、モントゴメリー元帥は、イギリス第一空挺軍団軍団長フレデリック・ブラウニング大将に対し作戦計画を説明した。議論の間、モントゴメリー元帥は、ドイツ軍装甲師団は作戦第二日目にアルンヘムにいることになるであろうと話し、ブラウニングは四日間持ちこたえることができると答えた。ブラウニング大将は直ちに連合空挺軍司令部のあるイングランドに舞い戻り、作戦立案作業を開始した。ブラウニングはアメリカ側指揮官ルイス・ブレレトン中将に計画を説明した時が、ブレレトンが作戦について初めて耳にした時であった。性急さが招いた準備不足の影響がうかがわれる挿話だ。

 

連合空挺軍が複数国の部隊から構成される連合組織であったため、モントゴメリー元帥は、アイゼンハワー大将から作戦の認可を受けるまで、アメリカ人に自身の作戦計画を知られるのを望まなかった。モントゴメリー元帥は、アイゼンハワー元帥の認可を受けたその日に、ブラウニング大将がモントゴメリー元帥の司令部にいるよう意図的に調整した疑いがあることが、研究者から指摘されている。その結果、連合空挺軍司令部は戦史史上最大の空挺作戦の準備を行うのにわずか七日しか時間的余裕がなかった。

 

作戦開始の意思決定過程で、「ウルトラ」情報は分析官に情報資料を与え続けたが、誰もそれを部隊指揮官に送ろうとはしなかった。実際、「ウルトラ」情報の配布は軍レヴェル以上に限定されていたので、戦闘部隊は「ウルトラ」情報の配布リストに名を連ねていなかった。

 

もっとも重要な「ウルトラ」情報は九月十六日のもので、作戦予定地域に第九・第十SS装甲師団が存在すると報じていた。

 

情報内容の失敗ではなく、情報活用の失敗

 

多くの論者が指摘してきたのと異なり、マーケット・ガーデン作戦は、情報面でのミスの結果失敗に終わったものではない。必要なインフォメーションは利用可能であり、特にオランダにおけるドイツ軍の状況が九月四日から十七日にかけて劇的に変化したことは配布資料から明白であった。確かに、総体的に見てインテリジェンスコミュニティがこの変化に反応する速度は遅かったが、それでも反応して報告を上げていた。だが、ここで誤算が起こる。この警告が上げられたのは、マーケット・ガーデン作戦実施の決定がすでになされた後だったので、連合国軍の上級指揮官たちは作戦をキャンセルすることを渋ったのである。

 

モントゴメリー元帥、情報活用に失敗する

 

アフリカにおけるモントゴメリー元帥の成功を手助けした「ウルトラ」情報は、残念なことにオランダでの戦闘では隅に置かれてしまった。ドイツ軍装甲師団が予定された降下地点および空挺部隊の作戦目標周辺に再配置されたという「ウルトラ」情報は、モントゴメリー元帥の第二十一軍集団内で割り引いて考えられてしまい、この「ウルトラ」情報は作戦実行の任務を持つ諸部隊に配布されることはなかった。イギリス軍第三十軍団の指揮官でさえ、後に以下のように述べている。

 

「第九・第十装甲師団がアルンヘムの北東で休養しているなんて考えは持たなかった」。

 

イギリス軍空挺部隊が言及しなかったのと対照的に、米軍に属する二個空挺師団(第八十二空挺師団・第百一空挺師団)が、師団の作戦地域における装甲師団の可能性に言及した事実は、インテリジェンス・チャンネルにおける指揮官の影響力を示唆している。

 

長い間、ご愛読いただきましてまことにありがとうございました。読者の皆様、編集者エンリケ様に感謝申し上げます。

 

 

(終わり)

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

 

 

(平成29年1月26日配信)

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