マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(24)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(24)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

この数回、連合国によるマーケット・ガーデン作戦までの「ウルトラ」情報の利用について述べている。前回は、「ウルトラ」情報が生み出した、連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)の楽観論について説明した。

 

「ウルトラ」情報は、司令部の情報要約に影響を与えた。連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)は、主として西部戦線での一週間の諸活動を要約する、週刊情報報告書を作成していたが、これにはほかの戦線で発生した重要な出来事も含まれていた。連合国遠征軍最高司令部の情報要約の情報源として、隷下指揮官からの報告、捕虜の尋問報告書、鹵獲文書、レジスタンスからの情報などがあった。保安制限の関係もあって、週刊情報要約において「ウルトラ」情報が明確に登場することはなかったが、「ウルトラ」情報が連合国遠征軍最高司令官に提出される週刊情報要約に大きな影響を与えていたことは確実だ。

 

ファレーズ包囲戦でドイツ第七軍が撃破された後、連合国遠征軍最高司令部の週刊情報要約は、連合軍が直面する状況を極めて楽観的に描き始めた。ファレーズ包囲戦の後に最初に出された情報要約は、八月十九日附のものであったが、この情報要約の主たる話題は、ドイツ軍の増援不足、すでに連合軍により占領されている地点に退却を命じる命令、ドイツ国防軍内の全体的混乱状況であった。

 

八月二十六日に出された情報要約で連合軍の楽観論は最高潮に達した。この情報要約には、米国で今もよく頻繁に引用される有名な一文が存在する。

 

「二ヶ月半の激戦は・・・欧州における戦争の終結を、目で見える範囲に、ほとんど手の届く範囲にまで近づけた。パリはふたたびフランスのものとなり、連合軍は第三帝国の国境に向かって奔流のように流れ込む」。

 

だが、連合国遠征軍最高司令部の週刊情報要約が開陳する過度に楽観的な情勢評価に、すべての人間が同意したわけではない。実際、前線に近い情報分析官であればあるほど、その分析官の書く報告書において楽観論は影を潜める傾向にあった。

 

今回は、連合軍によるアントワープ占領とその影響について述べる。

 

アントワープ占領は第二次世界大戦最大の失敗?

 

九月四日、連合軍は、アントワープを占領した。だが、アントワープは、連合軍によるドイツ国防軍追撃の限界点であった。ドイツ軍に対してさらなる攻撃を仕掛けることができなかった失敗は、ドイツ軍が防禦態勢を再編成する時間的余裕をヒトラーに与えた。英国のモントゴメリー元帥の伝記の著者であるアリスタ・ホーンは以下のように述べている。

 

「一九四四年九月初めにアントワープとその接近路を占領したという失敗は、年月を経過して、第二次世界大戦最大の錯誤の一つであることが明らかとなった。この失敗は、(筆者注:モントゴメリーによる)アルンヘムの失敗よりも大きい。この失敗とアルンヘムの一件は密接に関係している」(出典:アリスタ・ホーン『モンティ 孤独なリーダー 一九四四〜一九四五』)。

 

英第三十軍団軍団長のブライアン・ホロックス将軍は、この意見を繰り返し以下のように述べている。

 

「私の考えでは、九月四日は、ラインの戦いにとって重要な日付である。もしわれわれがその日も前進することができたならば、敵の薄い防衛線を破って、北方へ前進することができたであろう。我々を止めるものは少し、もしくは何もなかった」(出典:ブライアン・ホロックス『軍団司令官』)。

 

ホロックスの機甲師団、アントワープ港を無傷で占領後、停止を命じられる

 

ホロックス将軍率いる第三十軍団の先頭師団である第十一機甲師団は、九月四日アントワープに入城し、直ちに港湾を占領した。こうして、アントワープ港はほぼ無傷のまま、連合軍の手に落ちた。これ以前の日々の英第三十軍団の迅速な進撃が、ドイツ軍にアントワープ港の重要インフラを破壊させる時間的余裕を与えなかったのだ。

 

英国軍は、アントワープ占領に加えて、グスタフ=アドルフ・フォン・ツァンゲン歩兵大将率いる第十五軍の退却路を遮断することに成功した。約八万名の将兵で構成される第十五軍は、英第二軍とスヘルデ河の間で罠に落ちた形となった。

 

コーネリアス・ライアンは、第十五軍の代替退却路を遮断するために、英国軍がアントワープの北方に向かって前進しなかった失敗を、「最大のミス」と評価している。ライアンは、以下のように述べている。

 

ルントシュテット元帥は、迅速に戦況を利用して、連合軍にアントワープ港を使用させないようにしながら、第十五軍を退却させる計画を考案した。ルントシュテット元帥は、ツァンゲン歩兵大将に対して、スヘルデ河を渡河してワルヘレン島に行くように命じた。そうすれば、第十五軍は、欧州大陸とつながっている南ベーフェラント半島へ後退することができるであろう。

 

ホロックス将軍によれば、「ブリュッセルとアントワープを占領した後、英第三十軍団は進撃停止を命じられた。示された理由では、われわれは軍事資源を使いつくしたということであった」。

 

南ベーフェラント半島遮断失敗の影響

 

連合軍が南ベーフェラント半島遮断に失敗したことは、第十五軍の大多数がオランダに逃走することを可能としてしまった。そして、包囲網から抜け出すことに成功した第十五軍の将兵は、オランダで、マーケット・ガーデン作戦に抵抗するための貴重な戦力となったのである。

 

さらに、第十五軍の将兵がマーケット・ガーデン作戦に参加できたことに加えて、ドイツがスヘルデ河河口北側の支配を維持し続けることができたというメリット(連合軍にとってはデメリット)もあった。というのも、そこを占領し続けることで、連合軍によるアントワープ港の使用を妨害できたからである。ドイツ軍がワルヘレン島と南ベーフェラント半島に大砲を配置すれば、連合軍はそれを除去しない限り、補給物資を満載した輸送船にスヘルデ河河口を通過させることができないのだ。

 

実際、連合軍の最初の輸送船がアントワープ港に初めて入港したのは、一九四四年十一月九日のことであった。

 

ドイツ軍、ワルヘレン島死守を命じる

 

ドイツ軍がいかにして連合軍によるアントワープ港使用を妨害しようとしているのかを示す最初の「ウルトラ」情報が報告書として提供されたのは、九月五日のことであった。ヒトラー総統の命令を転信する際に、B軍集団が、ワルヘレン島とフラッシング・ハーバーを保持する重要性について述べていたのだ。スヘルデ河河口部、しかも河口部が最も広がっている地点に位置する両所は、わずか2マイルしか離れていない。

 

九月六日附の「ウルトラ」情報は、「ワルヘレン島の指揮官には要塞司令官と同等の権力が附与されている」と報じている。さらに以前の報告書では、最後の一兵まで死守せよと命じられている、と書かれていた。

 

九月七日附の「ウルトラ」情報は、「六日遅くまでに、北部海軍司令官が、ワルヘレン島防衛がスヘルデ河口防衛の鍵として極めて重要なものとなった、と指摘している」と報告している。

 

第十五軍に対する九月七日朝附のヒトラーの命令は、「従って、スヘルデ河河口部は、歩兵を含む適切な占領態勢、ワルヘレンおよびスハウウェン島の堅固な防衛により閉じられなければならない」。

 

いまや、ドイツ軍が連合軍のアントワープ使用を妨害することに最重点を置いていることが明白となったのだ。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

 

 

(平成28年10月27日配信)

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