マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(9)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(9)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが1944年9月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

前回からインテリジェンス活動の基幹をなす暗号と暗号解読についてみてきている。その際にキーワードとなるのは、ドイツ軍が使用した暗号機「エニグマ」とそれを解読した「ウルトラ」情報であるが、前回は「エニグマ」誕生の概略と「ウルトラ」情報の概略とについて説明した。

 

第一次世界大戦後にエニグマは商業用暗号機として開発・使用され始めた。だが、ドイツがヴェルサイユ講和条約に違反して再軍備を開始した時に、エニグマの運命は大きく変化することとなった。というのも、再軍備計画を秘密裡に継続実行するためには、安全な通信手段が必要とされたため、ドイツ軍がエニグマに目を着けたからだ。

 

第二次世界大戦においてドイツ軍の敵国となるポーランド、フランスおよびイギリスは、開戦以前からエニグマの暗号を解読しようと試みていた。エニグマ暗号を解読するという任務は、エニグマ暗号機が作り出すことができる複雑な暗号コードを考慮すると気が挫けるような困難な任務であった。そして、エニグマ暗号機でやりとりされる電文を解読するプログラムに与えられたコードネームが「ウルトラ」であった。

 

だが、エニグマ暗号機の機種が数多くあることに加えて、エニグマ暗号機を使用するドイツ陸海空軍およびドイツ政府各機関がそれぞれ独自の運用手続きでエニグマ暗号機を使用していたため、暗号解読には多くの困難が伴った。

 

エニグマ解読の歴史を書くことの困難さ

 

エニグマ暗号を解読しようとするプログラムの起源と成功の歴史を詳細に書くことは、エニグマ暗号機の進化の過程を追跡するのと同じくらいの困難が伴う。

 

これまでこのテーマについて執筆した執筆者は、執筆者各人の観点からこのテーマに挑戦してきた。だが、エニグマ解読プログラムの全体像を覆い隠している秘密は、解読プログラムの進化に対する正確な評価を行なうために必要不可欠な過去の記録文書がすべて公開されているわけではないので、いまだ解き明かされていない。

 

ポーランドは、エニグマ暗号を解読しようと真剣に試みた最初の国々の一つであり、ポーランドによるエニグマ解読の努力はフランスの支援を多分に受けていた。

 

だが、最終的にエニグマ暗号解読のために大規模な資源を投入できたのは英国であり、エニグマ暗号解読から獲得したインテリジェンスを効果的に利用し得たのも英国であった。

 

「ウルトラ」情報獲得のための努力は、現在ではインテリジェンスの歴史の中で最も成功したプログラムの一つとして認識されている。

 

今回はエニグマ誕生の経緯についてより詳しく述べることとする。

 

二人のエニグマの父と、企業の関心が低かったエニグマ暗号機

 

エニグマ暗号機にはオランダ人とドイツ人二人の父がいる。

 

エニグマ暗号機はオランダ人ヒューゴ・アレクサンダー・コッホのアイデアにその起源を有する。コッホは後に自身のアイデアを一九一九年に特許登録している。そして、発明家であり暗号に関心のあったドイツ人技師アルトゥール・シェルビウスが後にコッホの特許を買い取った。

 

エニグマ暗号機の基本原理を開発し、エニグマ暗号機の販売を商業的に成功させた人物がシェルビウスである。

 

シェルビウスは一八七八年、フランクフルトで誕生した。彼はミュンヘン工科大学で電気工学を学び、その後ハノーヴァー大学に移り、一九〇三年三月にハノーヴァー大学を卒業している。一九〇四年には「間接水力タービン調整機建設のための提案」と題する論文を書いて工学博士号を授与された。

 

彼はその後、ドイツとスイスの電気会社で働き、一九一八年、シェルビウス&リッター社を設立した。シェルビウスは、電気枕、セラミック発熱部品、非同期モーターなど数多くの発明をしている。彼の名は、非同期モーターに関するシェルビウス原理として有名である。

 

シェルビウスは有線歯車を回転させることで暗号化を行なう暗号機に関する特許を申請した(一九一八年二月二三日出願)。そして、既述したように、シェルビウスは一九一九年に同様の原理を特許申請していたコッホから権利を購入した。だが、シェルビウスのビジネスは順調なものとはいえず、一九二〇年代に少なくとも二度の企業再編を行なっている。

 

一九二三年、シェルビウスは通信の安全に関心を有する大企業に暗号機を販売するための小さな会社を起業した。しかし、どの企業もシェルビウスの事業がビジネスとして成功するに十分な数の暗号機を購入してくれなかった。

 

ドイツ海軍、エニグマ暗号機に興味を持つ

 

シェルビウスの暗号機は一九二六年まで事実上無視されていた。だが、一九二六年になりシェルビウスの暗号機の運命は一変する。

 

この年になり、ドイツ海軍がシェルビウスの暗号機を通信システムに採用する決定を行なったのである。

 

海軍がシェルビウスの暗号機の持つ潜在的能力を理解した最初の軍種であったことは自然のことであった。というのも、海軍は船舶・陸上間通信、船舶間通信のすべてを無線通信に依存していたからである。

 

シェルビウスが開発したエニグマ暗号機は、一九三四年に改良されるまで大きな改良を加えられることなく使用され続けた。

 

英国政府に見過ごされたシェルビウスの特許申請

 

シェルビウスの会社はドイツ海軍が暗号機を艦隊に配備し始めて以降も商業的努力を行ない続けた。

 

一九二七年八月一一日、シェルビウスの会社は暗号機が動く原理の説明書と関連図面つきで英国特許局に特許申請している。だが、この特許申請は英国政府により見過ごされた。英国政府は第二次世界大戦が開始されてから、この機械がどのように動くのかを理解しようとしたのだ。

 

シェルビウスの死と拡大するエニグマ暗号機の採用

 

シェルビウスは自身が開発したエニグマ暗号機が大活躍する光景をみることなく、一九二九年、馬車の事故によりベルリンで死亡した(享年五〇才)。

 

ドイツ陸軍、ドイツ空軍およびその他のドイツ政府機関はドイツ海軍の動きに追随し、エニグマ暗号機をそれぞれの通信システムに導入するようになった。そして、第二次世界大戦終了までに、エニグマ暗号機は軍のあらゆる部門のみならず、軍以外の政府内のあらゆる機関でも使用されるようになった。

 

第二次世界大戦の全期間を通じて、ドイツは自国の通信の安全が損なわれていたとの疑念を持つことはなく、自国の通信が安全なままであったと信じ続けていたのであった。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

(平成27年5月28日配信)

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