マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(25)
前回までのあらすじ
本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。
指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。
数回にわたり、連合国によるマーケット・ガーデン作戦までの「ウルトラ」情報の利用について述べてきた。前回は、連合軍によるアントワープ占領とその影響について述べた。
一九四四年九月四日、連合軍は、アントワープを占領した。だが、アントワープは、連合軍によるドイツ軍追撃の限界点であった。ドイツ軍に対してさらなる攻撃を仕掛けることができなかった失敗は、ドイツ軍が防禦態勢を再編成する時間的余裕をヒトラーに与えた。
英国軍は、アントワープ占領に加えて、グスタフ=アドルフ・フォン・ツァンゲン歩兵大将率いる第十五軍の退却路を遮断することに成功した。約八万名の将兵で構成される第十五軍は、英第二軍とスヘルデ河の間で罠に落ちた形となった。
だが、連合軍は南ベーフェラント半島遮断に失敗し、第十五軍の大多数がオランダに逃走することを可能としてしまった。そして、包囲網から抜け出すことに成功した第十五軍の将兵は、オランダで、マーケット・ガーデン作戦に抵抗するための貴重な戦力となったのである。
さらに、連合軍は、ドイツがスヘルデ河河口北側の支配を維持し続けることを可能にするミスも犯した。ドイツ軍がこの地点を占領し続けることで、連合軍によるアントワープ港の使用を妨害できたからだ。実際、連合軍の最初の輸送船がアントワープ港に初めて入港したのは、一九四四年十一月九日のことであった。
今回は、マーケット・ガーデン作戦前夜の両軍の状態について述べる。
マーケット・ガーデン作戦前夜の両軍
連合軍がアントワープ占領を祝っている間、ドイツ軍はドイツ本土防衛の準備に忙しくしていた。
一九四四年七月二日、西方総軍司令官を解任されたルントシュテット元帥は、西方総軍司令官に復帰し、九月四日にヒトラーがいる総司令部を離れて前線に赴いた。
ルントシュテット元帥がゲルリッツを出発した同日、クルト・シュトゥデント上級大将は、新設された第一降下猟兵軍をオランダに配置するのに忙しくしていた。
ちょうど四年前、シュトゥデントはドイツ国防軍がオランダに突進するために使用する重要な橋梁を確保するために輸送機から空挺降下したが、今度は彼が四年前の彼と同様の企図を有する敵軍に対し抵抗する運命にあった。
絶望のドイツ軍にとって有利な諸点
連合軍がアントワープでの成功を利用することに失敗したことで、ドイツ軍はオランダおよびベルギーで堅固な防衛態勢を組織するのに必要な、死活的に重要な時間を得ることができた。
ドイツ軍にとって、戦況はいまだに不利なままであったが、ドイツ軍はいまや三つの利点を得ていた。
第一に、ドイツ軍が占領している地形は、フランスにおいて彼らが占領していた地形よりもはるかに守りやすかったことだ。ベルギーおよびオランダの低地地方は、平らな、湿地帯で構成されていた。そこには、湿地の多い土地を農業に適したものにするために、多数の堤防と運河が張りめぐらされていて、機甲部隊の作戦には不適な土地であった。
第二に、ドイツ軍はいまやドイツ国境に隣接する地域に追い込まれていて、本土を防衛する立場にあった。人間は追い詰められれば実力を発揮するが、他国領より自国領を防衛するほうが、軍隊の士気はあがる。驚くべきことであるが、連合軍の情報分析官も高級指揮官も、この単純な事実を過小評価していた。
チャーチルの見解
しかし、皆が皆、ドイツ軍の実力を過小評価していたわけではない。たとえば、最も有名な人物に、「ウルトラ」情報を初期の頃から熱烈に支持していた英国首相ウィンストン・チャーチルがいる。
チャーチルが、ドイツが容易に崩壊するだろうと信じていなかったことは明らかだ。たとえば、九月八日、チャーチルは次のように述べている。
「ヒトラーが(一九四五年)一月一日にも戦い続けている可能性は、ヒトラーの体制がそれまでに崩壊しているのと同じくらい可能性がある。もし、ヒトラーの体制がその時までに崩壊したとしても、その理由は軍事的理由というよりもむしろ政治的な理由だ」。
チャーチルの推論
チャーチルの推論は次のようなものであった。
「要塞化され、強化されたドイツ本土の国境地域で抵抗する効果は、過小評価されるべきものではない」。
ドイツ側の利点、最後のものは、ドイツ軍が第三帝国の防衛を指揮するのに最良の上級指揮官の1人を持っていたことである。
(以下次号)
(ちょうなん・まさよし)
(平成28年11月24日配信)
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