マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(14)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(13)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

前々回から戦間期ポーランドの暗号解読活動について詳しく述べている。前回は、ポーランド軍参謀本部暗号局が「ボンバ」を開発し、エニグマ暗号解読で大きな進歩を見せたにもかかわらず、ドイツがエニグマのローターを増加させたため、暗号が強固となったことや、ポーランドには強固になった暗号を解読する理論的知識はあったが、それを実践する人的・予算的資源がなかったため、一九三九年七月開催の情報関係者協議の席で、ポーランドがイギリスとフランスに、ワルシャワの南方に所在するピレ郊外のカバティの森にある暗号局の秘密基地で自国が保有するエニグマ暗号解読の能力を公開したことなどを詳述した。

 

つまり、戦間期ポーランドのエニグマ暗号解読活動は、イギリスの「ウルトラ」計画の前史というべき重要性を持っていたのである。

 

今回から数回にわたり、イギリスの「ウルトラ」計画について述べることとする。今回は主として第一次世界大戦中のイギリスの暗号解読プログラムについてと、大戦後の政府暗号学校創設の経緯について説明する。

 

ポーランド単独でのエニグマ解読プロジェクトの終焉

 

一九三九年九月一日、ドイツ軍がポーランドへの進攻を開始した。ドイツに続き、九月十七日にはソ連軍がポーランド領に攻め込んだ。独ソによるポーランド侵攻により、ポーランド単独でのエニグマ暗号解読プロジェクトは終焉を迎えた。

 

マリアン・レイェフスキ、ヘンリク・ジガルスキおよびイェジ・ルジェツキの三人を含む多くのポーランド軍参謀本部の暗号局員が、様々な移動ルートでポーランドから亡命した。暗号局員は南方へと逃げ、ルーマニアに避難した。そして、ルーマニアで、フランス政府が暗号局員をフランスへ亡命することを許可した文書がフランス側より交附され、フランス側によりフランスへの脱出ルートが提供された。

 

暗号局員に対する保護を断ったイギリス

 

彼らがフランスに逃れたのには次のような理由がある。ルーマニアのブカレストにあった避難民収容施設で、レイェフスキ、ジガルスキおよびルジェツキーはイギリス大使館と接触を維持していたが、イギリスは彼らの保護を断った。そこで、ギュスターブ・ベルトランを通じて暗号局員と深い関係のあったフランスが彼らを保護することとなったのである。

 

こうして、彼らはフランス大使館員の助けを借りて、一九三九年九月末頃にフランスに到着したのである。そして、フランスに亡命したポーランドの暗号局員はベルトラン率いるD部のメンバーとなり、再びドイツ軍の魔の手を逃れてイギリスに亡命するまで、フランスで暗号解読作業に携わったのである。

 

第二次世界大戦以前のイギリスの暗号プログラムの状況

 

欧州大陸に戦火が拡大する以前のイギリスの暗号プログラムは、大変な資金不足と人手不足とに悩まされていた。

 

連合軍にとって幸運なことに、イギリスは、全力で暗号プログラムを推進し始めるようになった時に、暗号プログラムのためにリクルートできるその方面に才能を持った人物がかなり多く存在した。この経験豊富な人物がイギリスの新たな暗号解読プログラムの中核を形成することになる。彼らは、大学の学問研究分野で活躍していた一部の有能な人物と共にエニグマ暗号解読のために政府暗号学校に結集することとなる。

 

連合国がナチス・ドイツを打倒する努力を開始した時、この経験豊富な老練者、風変わりな天才および新規採用者からなる混合チームは、連合国の財産となって大活躍する機能的組織へと迅速に変貌を遂げることとなる。

 

MI1bとは?

 

ウルトラ計画に参加した経験豊富な暗号の老練者たちは、自身の経験を第一次世界大戦中に得ていた。

 

第一次世界大戦当時、陸軍省(War Office)の一部門に、情報収集活動を行なう陸軍情報局(DMI:Directorate of Military Intelligence)が存在した。後にDMIと呼ばれるようになった組織が最初に歴史の舞台に登場した時、その名称は地誌統計部であった。地誌統計部は、一八五四年、クリミア戦争初期にトーマス・ジャービス少佐によりつくられた機関である。

 

第一次世界大戦中、陸軍情報局内にはMI1(Military Intelligence, Section 1)という組織がつくられた。MI1にはMI1a(報告書類の配布などを行なう)からMI1g(防諜を担当)までの分課が存在した。そのうちのMI1bが通信傍受および暗号解読を担当しており、MI1bは大戦中のイギリス政府機関で最初に暗号解読を実施した部署であった。

 

第一次世界大戦中のMI1bによる暗号解読活動

 

MI1bは創設して間もない組織であったにもかかわらず、ドイツの暗号の多くを解読することができた。というのも、第一次世界大戦中の暗号は第二次世界大戦中に使用されていた暗号の水準と比較して、比較的単純であったからだ。第一次世界大戦期の暗号作成読解能力はまだその程度の水準であったのだ。

 

暗号解読分野でのMI1bの最初の大きな成功は、一九一六年のクリスマス中に起きた。中東において、あるドイツ軍少佐がクリスマスメッセージを部隊に出した。このクリスマスメッセージは隷下の指揮官たちにより指揮系統を下って何度も繰り返されて出された。

 

このクリスマスメッセージが出される以前、MI1bは限られた数のドイツ軍暗号を解読できていたにすぎなかった。このクリスマスメッセージにはMI1bが解読できない六つの異なる暗号コードが存在していた。しかし、クリスマス休暇時季で通信量がそれほど多くなかったため、このメッセージは容易にイギリスの傍受網に引っかかり、MI1bの暗号解読者たちは六つの新しい暗号コードを解読することに成功したのである。

 

第一次世界大戦中のイギリス海軍による暗号解読活動

 

時の海軍大臣ウィンストン・チャーチルの下で、海軍省は自身の暗号解読プログラムを実施していた。この暗号解読プログラムにはルーム40の名が与えられていた。ルーム40という変わった名称は、この暗号解読担当部門が海軍省の古い庁舎の中の一室を占めていたことに由来する。

 

ルーム40がなした最も顕著な成功はツィンメルマン電報の解読であろう。一九一七年一月十六日、時のドイツ帝国外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンがメキシコ政府に電報を送った。ツィンメルマン電報は、来る二月初頭からドイツ帝国は無制限潜水艦戦を開始することを意図しており、万が一アメリカが参戦したならば、ドイツはメキシコと同盟を締結したいと提案していた。そして、その見返りとして、第一次世界大戦でドイツが勝利した暁には米墨戦争でメキシコが失ったテキサス州・ニューメキシコ州・アリゾナ州をメキシコに返還すると述べていた。

 

暗号解読プログラムの成功と失敗

 

以上見てきたように、第一次世界大戦中、たしかにイギリスの陸軍および海軍は敵国であるドイツの暗号解読には成功していた。だが、翻って国内をみてみると、両機関の協調・調整には必ずしも成功していなかった。というのも、両機関は各機関の暗号解読の成果は共有していたが、各機関がどのようにして暗号解読という果実を手にしたのかという技術的手法に関しては情報を共有していなかったからである。結局、この状態は戦争終結まで変化することはなかった。

 

政府暗号学校の創設と外務省管轄であったことの弊害

 

一九一九年に、MI1bとイギリス海軍のルーム40は解散して、両機関が合併する形で有名な政府暗号学校(GC&CS)が創設された。この時、ルーム40には両機関から選ばれた二十五人の要員が配属された。

 

最初の頃の政府暗号学校は海軍省の管轄下にあった。そして、一九二二年、政府暗号学校は、海軍省の管轄から外務省の管轄へと移管された。だが、この変更は、戦間期に多くの弊害を作り出す結果となってしまった。というのも、政府暗号学校に予算を附与し、政府暗号学校を統制する機関が外務省であったがため、政府暗号学校の主たる対象が軍事通信ではなく外交電報分野に向けられてしまったからである。そしてこのことが、イギリスが暗号解読分野でポーランドのはるか後塵を拝するようになってしまった理由の一つであるといえる。

 

イギリスは一九三〇年代になりドイツの軍事通信を傍受・解読することに資源を集中し始めた。そしてこの時、再活性化した政府暗号学校の核となったのが、退役から呼び戻されたMI1bとルーム40のベテラン暗号解読者たちであった。

 

 

(以下次号)

 

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

(平成27年10月29日配信)

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