マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(13)
前回までのあらすじ
本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。
指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。
前回から、イギリスの「ウルトラ」計画について述べている。前回は主として第一次世界大戦中のイギリスの暗号解読プログラムについてと、大戦後の政府暗号学校創設の経緯について説明した。
戦間期のイギリスの暗号プログラムは、大変な資金不足と人手不足とに悩まされていて、暗号解読分野ではポーランドの後塵を拝していた。
第一次世界大戦中、イギリス国内で暗号解読を担当していたのは、陸軍情報局(DMI:Directorate of Military Intelligence)内のMI1(Military Intelligence, Section 1)であった。MI1にはMI1a(報告書類の配布などを行なう)からMI1g(防諜を担当)までの分課が存在した。そのうちのMI1bが通信傍受および暗号解読を担当していた。また、MI1bとは別に、海軍省も独自の暗号解読プログラムを有しており、その部門はルーム40と呼ばれていた。
一九一九年、MI1bとイギリス海軍のルーム40が解散して、両機関が合併する形で有名な政府暗号学校(GC&CS)が創設された。
当初、政府暗号学校は海軍省の管轄下にあったが、一九二二年、政府暗号学校は外務省の管轄へと移管された。だが、この変更は、戦間期に多くの弊害を作り出す結果となってしまった。
というのも、政府暗号学校に予算を附与し、政府暗号学校を統制する機関が外務省であったがため、政府暗号学校の主たる対象が軍事通信ではなく外交電報分野に向けられてしまったからである。そしてこのことがポーランドと比べてイギリスの暗号解読能力が後れをとる一因となった。
今回もイギリスの「ウルトラ」計画について述べることとするが、今回は特にブレッチリー・パークについて説明したい。
コードネーム「ステーションX」
ドイツとの戦争が不可避であることが明白となった時、イギリス政府はその政府機関の多く、特に国防関係の機関を、ロンドンの外へと移転させ始めた。ブレッチリー・パークはロンドンから移転してくる政府機関を収容する目的でイギリス政府により購入された多くの場所の内の一つであり、ここが政府暗号学校の新たな拠点となった。
当時、政府暗号学校が最高機密に属する活動を展開していたため、この場所がブレッチリー・パークと呼ばれることはなかった。そのため、ブレッチリー・パークには「ステーションX」という暗号名が附与された。このステーションXという奇妙な名称は、MI6により十番目に購入された用地であり、MI6が用地を呼称する際にローマ字を使用していたことに由来する。
理想的環境にあったブレッチリー・パーク
ブレッチリー・パークは政府暗号学校にとって理想的な場所に位置していた。というのも、ブレッチリー・パークはロンドンの北西約七十キロメートルの地点に所在しており、政府暗号学校に多数の人材を輩出したオックスフォードとケンブリッジの中間に位置していたからだ。しかも、ブレッチリー・パークはイングランドの田園地帯に孤立していたにもかかわらず、ここには道路と鉄道とが存在し、これが必要が生じた時にはロンドンへの容易なアクセスを提供していた。つまり、人材面および交通アクセスの両面で地理的に好環境であったのだ。
一九三九年における政府暗号学校の限られた規模を考慮すると、初期の頃の建物の規模は適切な大きさであった。しかしながら、成長し続ける政府暗号学校の関係者を収容するためには増築が必要であることが間もなく明らかとなった。
ちなみに、戦争が終了する前、ブレッチリー・パークでの活動を支援するために周辺地区に建設された多数の施設およびブレッチリー・パークで働いていた人の数は約一万人にも及んだ。
ブレッチリー・パークの改修作業と小屋番号
一九三九年の夏、元は荘園であったブレッチリー・パークを単なる大邸宅から連合軍の暗号解読拠点施設へと改装する仕事が開始された。最初の改修作業は電気・水道・道路などといったインフラ施設を改良することから始まった。
そして、そうこうするうちに、現在使用可能な面積よりもより多くの作業スペースが必要であることが明らかとなった。
「ウルトラ」計画が一握りの暗号解読者集団からなるプログラムからより組織的なプログラムへと拡大するにつれ、増加する所要スペースを充たすためにブレッチリーの地には多数の小屋が建てられた。
各小屋はウルトラ情報の生産過程で異なる役割を演じていた。これらの小屋には番号が附与されていたが、この小屋番号はよく考えられて附けられたものであった。というのも、小屋番号は単に物理的な位置を示すだけでなく、各小屋でなされている作業の種類をも示していたからである。
Yサービス
いかなる暗号解読作業も電文を解読する前に最初に通信を傍受しなければならないが、通信傍受を担当していたのが「Yサービス」である。
Yサービスの主たる職務は敵が送受信している通信を傍受して、傍受した通信をさらなる分析のためにブレッチリー・パークに送信することにあった。最初の頃の傍受諸施設はイングランドにあったが、ウルトラ計画が拡大するにつれて、傍受施設も世界中に設置されることとなった。
Yサービスの任務
Yサービスの任務には、@敵の通信を傍受することの他に、A敵の無線ネットワークや通信運用手順に関する広範な知的基盤を開発することが含まれていた。後者は長期的にみてとても有益であった。というのも、ドイツが周波数を変更したり、コールサインを二十四時間ごとに変えはじめるようになったりした時に、このことがウルトラ計画にとってたいへんな強みとなったからだ。
周波数が変更された場合、傍受した通信文をブレッチリー・パークに送信して解読・分析作業が行なえるようにするために、傍受する側のオペレーターは迅速に新しい周波数を特定することが緊要となってくる。もし、Yサービスが周波数を特定できず敵の通信との接触を上手く保持することができなかったら、それはウルトラ計画プロセス全般の遅延を生じさせてしまう。
ハット6(第六号棟)の任務
ブレッチリー・パークに送られてくる傍受された通信文の受取り窓口や暗号解読作業の中心部となったのがハット6(第六号棟)であった。ハット6では暗号解読のために集められた数学者たちが、その日のエニグマのセッティングを特定し、それをハット3(第三号棟)で働く分析官たちが判読できる通信文とするため二十四時間働いていた。
ここで注意が必要なのは以下の点だ。すなわち、ハット6は通信文を分析することを一切行わないだけではなく、通信文を英語に翻訳したわけではないということだ。ハット6の仕事は単に傍受した暗号化された通信文をドイツ語で読める通信文にして、それをハット3に送ることだけであった。
(以下次号)
(ちょうなん・まさよし)
(平成27年11月26日配信)
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