マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(4)
前回までのあらすじ
本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが1944年9月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。
指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。
前回から数回にわたり、マーケット・ガーデン作戦が立案されるまでの経緯について説明している。前回は、アイゼンハワーの広正面戦略の長所と短所について説明したうえで、広正面戦略が兵站面で大きな問題を抱えていたことを指摘した。そこからさらに、連合軍高級司令部で蔓延していた勝利の幻想について筆を進めた。
今回は、アイゼンハワーがマーケット・ガーデン作戦を承認した背景や、モントゴメリーの狭正面戦略について述べることとする。
アイゼンハワーがマーケット・ガーデン作戦を承認した理由
欧州連合国派遣軍最高司令部(Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force :SHAEF)最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー陸軍大将が、マーケット・ガーデン作戦を承認した理由は、単に戦術的理由にのみあるのではない。戦術的要素の他の種々の要素がこの決定に影響を与えていた。
例えば、国家レヴェルでは、政治がアイゼンハワーの決定に影響を与えていた。英国のマスマディアは自国のバーナード・モントゴメリー陸軍大将率いる第二十一軍集団を犠牲にして、オマー・ブラッドレー陸軍大将率いる第十二軍集団やジョージ・S・パットン率いる米第三軍が補給面で優遇されていると批判的な報道を行っていた。英国首相ウィンストン・チャーチルは、この問題について合衆国大統領フランクリン・ローズヴェルトと協議し、モントゴメリーが担当する戦区により多くの注意が払われるべきであるとの要請を行っていた。
合衆国陸軍省からの圧力
政治的圧力以外の要素もアイゼンハワーの決定に影響を与えていた。アイゼンハワーは合衆国陸軍省から空挺部隊を作戦的任務で使用せよとの圧力を受けていたのである。
米国の空挺師団のみならず英国の空挺師団も統合した第一連合空挺軍(First Allied Airborne Army: FAAA)が、1944年8月に、作戦レヴェルの任務を遂行するために創設されたばかりであった。なお、第一連合空挺軍司令官は、米国のルイス・H・ブレアトン陸軍中将であった。
その当時、空挺部隊は追撃戦で大きな役割を果たすことが出来ると信じられていた。その時までに、なんと十七もの作戦計画が立案されたが、そのどれも実行に移されることなくお蔵入りとなっていた。というのも、地上部隊の快進撃が、計画されていた空挺作戦の目標地点を追い越してしまっていたからである。
モントゴメリーの狭正面戦略
兵站的には、広正面戦略(広範囲の戦域で一斉に攻勢に出るという戦略)はもはやうまくいきそうになかった。もし、アイゼンハワーが前進を継続することを望んでいるならば、狭正面戦略を実行しなければならない。しかも、その当時、モントゴメリーが、狭正面戦略を熱烈に売り込んでいた。狭正面戦略はモントゴメリーの持論であった。モントゴメリーの狭正面戦略は、ドイツ国境を一点突破し、ルール地方に侵入してドイツ心臓部へと進撃し、戦争を早期に終結させるという戦略であった。
モントゴメリーは1944年の夏以来、アイゼンハワーの広正面戦略には不同意であり、狭正面戦略で自己の戦域が主攻方面になることを希望していた。既述したように、モントゴメリーの狭正面戦略は、一点突破により北部平原地帯を通過して一挙にベルリンまで進撃しようというものであり、彼はアイゼンハワーの広正面戦略が戦争を不必要に長引かせるものだと考えていた。
モントゴメリーが提唱する狭正面戦略の利点
外部からの圧力や懸念要因を置いておくとしても、もともとモントゴメリーの計画には以下に述べる三つの顕著な利点が存在した。
利点1、狭正面に部隊を集結させることにより戦略的アドヴァンテージを確保できる。
利点2、計画案が極めて大胆であるので、ドイツ軍は連合軍がこのような作戦に出るとは予期していない(つまり、奇襲効果がある)。
利点3、しかも現状ではドイツ軍は完全な混乱状態にあるので、兵站的理由から継続困難な広正面戦略に代わる何らかの作戦により攻勢に出た方が有利であること。つまりは、このドイツ軍の混乱状態を黙って見過ごす理由はないのだ。
だが、これ以後の連載でみていくが、「ウルトラ」情報は、この2と3の点に関しては明らかに正反対の情報を伝えていた。
アイゼンハワー作戦実施を決定する
1944年9月10日に、アイゼンハワーがモントゴメリーの狭正面戦略に基づくマーケット・ガーデン作戦を実行せよとの許可をモントゴメリーに与えた時に、彼の脳裏に存在したのは上述したような諸要素であった。
2日後の9月12日、第一連合空挺軍がモントゴメリー率いる第二十一軍集団の指揮下に置かれた。こうして、モントゴメリーが担当する戦区が主攻正面となり、兵站面での優先権が与えられることとなったのである。そして、第二十一軍集団に兵站面での優先権が与えられたことにより、連合軍の他の軍はその進撃を一時的に停止せざるを得なかった。
作戦計画
こうして、マーケット・ガーデン作戦実施が決定された。では、同作戦の作戦計画はいかなるものであったのか。
マーケット・ガーデン作戦という作戦名が示すように、この作戦は二つの作戦から成り立っている。すなわち、空挺部隊の降下による「マーケット作戦」と、英第二軍の第三十軍団が先陣となり陸路北進する「ガーデン作戦」との二つである。
マーケット作戦はコメット作戦の強化版といえる作戦であった。コメット(彗星)作戦は、空挺師団一個半を使用してアルンヘムでライン川下流の渡河地点を確保するという作戦であった。そして、空挺師団が確保した渡河地点は、確保後、英第二軍がドイツ国内へ侵入するのに使用される。
コメット作戦は、使用戦力の不充分を理由に9月10日に取り消しとなり、モントゴメリーにより計画に修正が施され、同日、マーケット作戦としてアイゼンハワーにより承認された。
マーケット作戦は空挺師団三個半が使用され、英第三十軍団が彼らの最終目標であるゾイデル海へと通過するための回廊を確保することになっていた。空挺師団の作戦計画は次のようなものだ。すなわち、米第百一空挺師団はアイントホーフェンの北に投入され、アイントホーフェンとウェフヘルとの間の渡河地点を確保する。米第八十二空挺師団はナイメーヘンの南に投入されて、マース川とワール川との間の渡河地点を確保すると共に、グルースベーク高地を支配する。英第一空挺師団(ポーランド第一空挺旅団が配属されていた)は、アルンヘムの西方に投入され、ライン川下流に架かる橋梁を確保するために、アルンヘムを通過して八キロメートル以上移動する。
一方、ガーデン作戦を担当するのは英第二軍である。英第三十軍団は空挺部隊が降下した後、地上部隊進撃の先陣となる。英第八軍団と英第十二軍団は英第三十軍団の翼を守るために支援攻撃を実行する。英第三十軍団は、アルンヘムに居る英第一空挺師団と連絡するために、作戦開始日から3日までに六十五マイルの距離を進撃するという困難な任務を受け持っていた。英第三十軍団の最終目標は、九十九マイル以上先のゾイデル海であり、作戦開始から6日目までに到達する予定となっていた。英第三十軍団の任務は不可能な任務ではないにしても、この任務を困難にしたのは、英第三十軍団が一本の道路を使って二万以上の車輛を動かさなければならないという点にあった。周辺の地形も機動部隊にとって恵まれたものではなく、周囲は深い森、沼沢、堤防で囲まれ、車輌の道路外移動を著しく制限していた。
次回からはマーケット・ガーデン作戦がどのような経緯をたどったのか?について述べたい。
(以下次号)
(ちょうなん・まさよし)
(平成27年1月29日配信)
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