マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(11)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(11)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスは、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

前回から「ウルトラ」情報について述べている。前回はイギリスのウルトラ情報解読について説明した。

 

エニグマ暗号解読に関しては二つの誤解が存在する。第一の誤解は、イギリスがエニグマ解読に成功したのは、イギリス単独の業績であるというものだ。だが、前回説明した通り、イギリスの「ウルトラ」計画の系譜は、ポーランドのウイッチャー計画に直接遡ることができる。というのも、ポーランドがドイツの暗号通信を解読することで蓄積した、ウルトラ計画以前の十三年間に及ぶ諸経験なくしては、ウルトラ計画が現在かたられているような成功譚となったかどうかは極めて疑わしいからだ。たとえ小規模であっても、戦間期になされたポーランドの解読作業は効果的なものであり、後にイギリスにより実施された解読作業に劣らないどころか、イギリスによる解読作業以上の重要性を持つものであった。

 

ウルトラに関するもう一つの誤解として、ウルトラの唯一の任務はエニグマの暗号コードを解読することであった、というものがある。だが、ウルトラ計画の裾野は広く、エニグマ暗号の「鍵」を発見しようと努力する数学者たちの集団だけの努力にとどまるものではなかった。現実には、ウルトラ計画は以下のようなあらゆる段階を含む総合的な計画であった。すなわち、それらの段階には、

 

@ドイツ軍が送受信する情報を傍受する
A傍受した暗号の「鍵」を解読する日々の努力
B情報文を読みやすくする
Cインフォメーションをインテリジェンスに高めるために情報文を分析する
D解読・分析が済んだインテリジェンスを第一線部隊の指揮官に伝達する
Eそれを読んだ部隊指揮官たちが「ウルトラ」情報を決断のために利用する

 

といった諸段階が含まれていた。

 

今回は、フランスとアメリカによる戦間期暗号解読の状況について概説する。

 

戦間期フランスの暗号解読の状況

 

ドイツの暗号解読に関するフランスの状況イギリスと同じような状態であった。フランス陸軍参謀本部第二局の無線情報の責任者であったギュスターブ・ベルトラン大尉は、フランスによるドイツ暗号解読の努力を語る際に重要となる人物の一人である。

 

一九三〇年、ベルトランはフランス情報部D部部長に就任し、ドイツ暗号解読に関する彼の努力を継続していた。フランスがエニグマ暗号解読に不成功であった期間、D部はエニグマ暗号解読に精を出すポーランドを助けることで、エニグマ解読に重要な役割を果たした。すなわち、D部は、エニグマ計画に関与していたドイツ人と接触することによって得た情報をポーランドに提供したのである。

 

ベルトランは、技術的手段ではなく、秘密裡に入手した文書をポーランド側に渡すことにより、ドイツの暗号通信を解読する手助けをしたのみならず、最終的には第二次世界大戦勃発時にポーランド人暗号専門家がパリに亡命する手助けをすることで、フランスとポーランドとを結びつける紐帯の役割を果たしたのである。

 

以下、ベルトランとD部について詳細に述べてみたい。

 

ギュスターブ・ベルトラン

 

日本の読者にはなじみがないかもしれないが、ギュスターブ・ベルトラン(一八九六〜一九七六)は、一九三二年にドイツのエニグマ暗号の解読に成功したポーランドの暗号局による暗号解読に死活的に重要な役割を演じた情報将校の一人である。ベルトランが果たした役割が、有名な第二次世界大戦中のイギリスによるウルトラ作戦の成功につながったのだ。

 

ベルトランの軍歴は第一次世界大戦が勃発した一九一四年に一兵卒としてフランス軍に従軍したことから始まる。翌一九一五年にはダーダネルスにおける作戦で負傷している。ベルトランが無線情報に関与したのは一九二六年からのことである。戦間期の一九二〇年代、大戦中大きな部門であったフランスの無線情報部門は分権化された。外国暗号の解読――主としてドイツおよびイタリアのものを解読していた――が参謀本部暗号部の責任となる一方で、無線監視・無線傍受は参謀本部情報部により実施されていたのだ。

 

ベルトラン、「アッシュ」から機密文書を購入する

 

一九三〇年末、暗号解読が参謀本部情報部の役割となり、D部が創設され、ベルトランがD部部長に就任した。情報部のベルトランの同僚たちは、暗号名「アッシュ」の名で呼ばれていたハンス=ティロ・シュミットからエニグマ暗号機に関する文書を購入した。シュミットはドイツ軍の暗号局に勤務していた人物であった。

 

機密文書、フランスからポーランドに引き渡される

 

一九三二年十二月、ベルトラン大尉(当時)はポーランド軍暗号局の局長であったグイド・ランガー少佐にアッシュから購入した文書を引き渡した。

 

当時、ポーランドの暗号研究者マリアン・レイェフスキは、エニグマ解読の第一段階として、エニグマ暗号機の暗号化ローターの配線を復元する作業を行なっていた。レイェフスキは、エニグマ暗号機のローターやプラグボードを流れる電気信号を未知数を含む方程式で書くことに成功していたが、未知数が非常に多いため、彼の方程式はとても複雑であった。レイェフスキによれば、彼の方程式に多くは、追加のデータが無ければ解を与えないものであったという。

 

しかし、幸運なことに、フランスがポーランド側に引き渡した文書に、エニグマ暗号機の設定が含まれていた。こうして、レイェフスキの方程式から未知数の箇所が減少することとなったのである。

 

レイェフスキの証言によれば、実際に、エニグマ暗号機の配線復元に関する数学的解決にとってフランスがアッシュから購入した文書は極めて重要であった。レイェフスキの回想には、フランス情報部からの「情報が、暗号機の解読を決定づけたと考えるべきである」と書かれている。

 

ポーランドとの仕事に際して、ベルトランはポーランドから与えられたコードネーム「ボレック」を使用していた。だが、ベルトランがポーランドによるエニグマ暗号解読の成功を知ったのは、それから約六年半が経過した後のことであった。それは、ポーランド・イギリス・フランスの三国の関係者による会談がワルシャワ南方のカバティの森で開催された一九三九年七月二十五日のことで、第二次世界大戦が勃発するわずか五週間前のことであった。

 

第二次世界大戦中のベルトランの数奇な人生

 

一九三九年九月、ドイツ軍がポーランドに侵攻した後、当時少佐であったベルトランは、一九三九年十月から一九四二年十一月まで、ポーランド暗号局の要員の仕事を後援し続けた。初期の拠点はパリ郊外のPCブルノに置かれ、ドイツによるフランス侵攻の後はヴィシー政権の自由区域の南部にあったキャディックス・センターで、それは実施された。ドイツ軍による逮捕を回避するために、キャディックス・センターが解散されてから一年以上が経過した一九四四年一月五日、ベルトランは、ロンドンからのクーリエをモルマントンのサクレ・クール寺院で待っていた時に、ドイツにより逮捕された。

 

ベルトランを逮捕したドイツは有能な情報将校であったベルトランに目を着け、ドイツのために働くことを要請した。これに対しベルトランは同意した振りを装った。こうしてベルトランは、イギリス情報部と接触するために、妻のマリーと共にヴィシーに帰ることを許された。ヴィシーに戻ったベルトランは、仲間たちを地下に潜伏させ、自身も地下に身を隠した。

 

ノルマンディ上陸作戦四日前の一九四四年六月二日、フランス中央高地に即席で作られた仮設滑走路で、ベルトランとその妻、およびポーランドのレジスタンス活動家とのクーリエを務めていたイエズス会の司祭が小型で非武装のライサンダー機に乗り込み、イギリス諸島へと飛び去った。

 

イギリスに到着したベルトランとその妻はポーランド軍の無線傍受局と暗号部門が置かれた村からすぐの所にあるハートフォードシャー州のボックスムーア村に居を構えた。ボックスムーア村近在のポーランド軍の無線傍受局と暗号部門ではマリアン・レイェフスキらが働いていた。

 

第二次世界大戦後、ベルトランは一九五〇年にフランスの情報部から退役し、南フランスのあるコミューンの市長に就任している。

 

戦間期アメリカの暗号解読活動

 

アメリカも積極的な暗号解読計画を持っていたが、その主たる対象はドイツではなく日本であった。確かに、アメリカの分析官たちはドイツの暗号能力に対し強い関心を抱いており、ベルリン駐在の武官が一九二七年にエニグマ暗号機のコピーを購入していた。だが、このことはエニグマ解読のうえであまり大きな重要性を持たなかった。というのも、当時のアメリカの関心は日本の外交通信に置かれていたからである。

 

一九二九年、国務長官ヘンリー・スチムソンが「紳士はお互いの手紙を盗み見ない」と語り、国務省の暗号解読局MI−8を閉鎖した時に、アメリカの全体的な暗号解読能力は大きく後退してしまった。

 

だが、アメリカの暗号解読の努力は一九二九年の時点で終了しなかった。暗号解読は部署の名前を変える形で継続され、その活動はより慎重なものになっただけであった。アメリカはエニグマ解読の初期段階においてはエニグマ解読に大きな関心を持っていなかったが、結局はイギリスなどと並んでウルトラ情報の最大の消費者となるのである。

 

 

(以下次号)

 

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

(平成27年7月30日配信)

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