【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5

ごあいさつ

 

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

さて今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の五回目、飯盛城攻めの中盤です。

 

 今回も兵法の天才といわれた楠木正成が、作戦上の判断を誤ります。しかし、それを下の者に指摘されたことに対する態度にこそ、楠木正成の高潔な人格や、リーダー・統率者としての偉大さを感じずにはいられません。

 

 また、勇気を持って殿の誤りを指摘できる郎従がいた、というのも楠木勢の強さの秘訣だったのかもしれません。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5

 

(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)

 

 

飯盛の城兵、出撃に懲りて守備に徹する

 

 その後、楠木勢は敵を城から引き出そうとして、あれこれと謀ったのであるが、以前のことに懲りていた敵は、城を出て戦おうとしなかった。

 

 楠木は小勢であったので、城を攻めることもできずに日々が過ぎていった。その間に敵はあちらこちらに要害をこしらえ、構えも非常に厳しくなっていったので、夜討ちで攻め寄せることもできなくなってしまった。正成は、

 

 「そうであれば、こちらが小勢であるのを見せよう」

 

と云って、城の近くまで兵を出した。約6千余騎を三軍に分け、備えは11であった。しかし、城ではそれぞれの陣に兵を立てたままで、打って出ようとはしなかった。城兵は全部で約1万5千はいたであろう。

 

 楠木は敵をおびき出そうとして、備えを崩して引いたけれども、敵は出撃せず、元の陣にそのまま居たのであった。

 

 

正成、家の子・高畠を敵に通じさせる

 

 それから数日を経て、楠木は家の子(一族出身の家来)である高畠才五郎と云う者に命じて、主人である正成に対する不平不満を言わせて敵に近づかせた。そして、高畠に味方の情報を敵に提供させ、彼が言ったとおりに、あるいは夜討ちし、あるいは兵を出撃させた。

 

 城中の人々も始めのうちは疑っていたが、後には高畠を信頼するようになって、すったり打ち解けてしまった。

 

 

城兵と高畠が密談して出撃を準備

 

 城中では糧が尽いてしまったので、諸大将は、

 

 「楠木一人の小勢により城に籠められ、多くの者たちが餓死してしまうことこそ口惜しいではないか。日本中を敵に回すことなど本意であろうはずがない。さあ、楠木との一合戦を快くして、名を後代に残そうではないか」

 

と申していたが、

 

 「幸いにも高畠がいるので、彼と作戦を話し合おう」

 

と言えば、「そうだ、それがよい」とのことで、高畠の陣に人を遣わし、あるいは城中へ忍びを入れて作戦を談義したのであった。

 

 その結果、「早朝に合戦するのが最も良い」ということになり、宵から高畠の陣に200余人の兵を遣わした。

 

 彼等は「戦が半ばになろうとする時に、(楠木の)陣中に火をかけよう」とのことで合意した。

 

 

正成、先手を打って高畠の陣を攻める

 

 これらは、あらかじめ楠木が指示していた事だったので、敵が攻め寄せる時機がきたものと判断した楠木は、前もって2千余騎の兵を隠密に飯盛城下に伏せておいた。そして、高畠の陣所へは選りすぐった精兵500余騎を遣わして云わせた。

 

 「才五郎が私に対して陰謀をたくらんでいるとのこと、常々聞いていたけれども、家の子であるからには、よもやそのようなことはあるまいと思っていたのだが、敵の陣の取り方、兵を進める様子などは尋常ではない。どうやら本当の陰謀のようである。

 

 代々仕えてきた家人が陰謀を図るとあっては、正成の運命ももはやこれまでと思われる。正直に思うところを申せ。そうすれば私は腹を切って、おぬしの恨みを晴らしてやろうではないか。」

 

 高畠は、使いの者に面と向って、

 

 「ゆめゆめそのような事はございません。あるいは身内の人々の中に、そのような事があるかもしれませんが、それは知りません。私につきましては、神に誓ってそのようなことはございません」

 

と申し開いた。正成は重ねて、

 

「そうであれば今日の戦は勝ったも同然」

 

と伝えて打って出たところ、敵は1万5千の兵の中から1万を出撃させ、残りの5千を城に置いたのであった。

 

 

高畠の郎従、主(あるじ)に謀反をおこすふりをする

 

 敵・味方が互いに矢合せをして合戦に及ぶと、その半ばで高畠は決めていた合図に従って、陣屋に火をかけたのであった。

 

 正成が残しておいた郎従は、「やはりそうだったか」と云って、高畠の陣に乱入した。その時、高畠の郎従が、

 

 「そもそも、これは何事か。三代にわたる御恩のある正成殿に背いて、やがてすぐに亡ぶであろう北条の残党と我らが与(くみ)することになるなど、何かの間違いではないのか。才五郎殿の恩義は一代限りであるが、高畠の御家からの恩義は末代まで及ぶのだぞ」

 

と云って、高畠を生け捕る真似をして、引っ張って出ていった。

 

 こうして高畠の郎従は、楠木の兵と一つになって、敵200余人をあちこちに追い詰めて討ち取り、火をかけたならば、城から出撃してきた1万余騎の敵は競うようにして攻めかかってきた。

 

 

出撃した敵を撃破し、城を攻めずに引く

 

 楠木は川岸が一段高い小川を前に当てて陣を取っていた。敵が川を渡って乱れ入るところを、楠木の射手が散々に弓を射ることにより、射立てられた敵は身動きが取れなくなった。そこへ、かねてから飯盛の山裾に伏せていた兵2千余騎が、一斉に時の声を挙げて敵将の陣へと懸け入ったので、敵陣は大混乱に陥り、数えきれぬほどの者が討ち死にした。

 

 楠木の先陣も、その一陣は過半が危うい状態になっていたが、その果敢な攻撃により勝つことができた。楠木は後に、「飯盛の城下に伏せていた兵は、攻撃開始が少し遅かったようだ」と語っていたという。

 

 それでも城は少しもどよめくことがなかったので、楠木勢の若い兵たちが「城を攻めましょう」と言ったところ、正成は「攻めない」とのことであった。その理由は、城に新手の兵が5千もいたからである。

 

 恩地が「敵は寄せ集めの軍勢でございますものを」と言ったけれども、正成は「味方は疲れておることだろう」と云って引き返したのであった。

 

 

恩地、城を攻めるべきであったことを具申する

 

 後に聞けば、「攻めれば容易く落ちたであろう」とのことであった。正成が、

 

 「落ちることもあっただろう。また、兵によっては遁(のが)れることができないと知ったからには、たちまち心を一つにすることもあるのだから、今度こそ必ずや城は落ちるにちがいないのであれば、一日二日延びたとしてもたいしたことではない。先が見通せないような戦いをして何になろうか」

 

と言ったその時、恩地が云うには、

 

 「仰せではございますが、それは味方に運がつかぬときのことではございませんか。これほどに運が開けていたときは、勝ちに乗れば、少しぐらい危うい戦にも勝つものではございませんか。その上、いつも語っておられるように、一方を開放して三方から攻め寄せれば、敵が落ちないということはあり得ないでしょう。ただし、敵の中に一人でも賢い者がいて、周囲の者たちに『とても遁れることはできまい。しかし、敵は疲れているぞ』と下知(命令)して、兵の士気を高揚し、勇気づけて戦わせれば、こちらも危うくなりましょう。・・・ところで、城中に誰かそれほどの将がございましたか」

 

とのことであった。これを聞いた楠木は、手をはたと打って、

 

 「仰せられることはもっともでございます。一つ一つ的(まと)を得ておられる。攻めれば必ず落ちていたものを・・・。必定の勝ちを不定と見誤って、今日の戦にもまた、最良の判断ができなかった」

 

とのことで、あえてこれを指摘してくれた恩地に深く感謝したのであった。そして、

 

 「多門丸のこと、これより後はあなた方にお任せいたします」

 

と約束して、銀剣一振りを千余貫の所領とともに与えたのであった。皆がこれをうらやましがったとのことである。

 

 

高畠は隠居し、後に賞を与えられる

 

 一方で高畠は、わざと隠居したのであった。このようにしなければ、後々の謀がやりにくくなるからとの思いからであった。高畠は、終生このことを人には語ることがなかった。

 

 その頃、人々は高畠の行為を実際の陰謀であったかのように噂していたのであった。

 

 飯盛の城が落ちて後、しばらくしてから高畠はあらためて召され、忠賞が行われたのであったという。

 

 

(「飯盛城攻略作戦 その6」へ続く)

 

 

(いえむら・かずゆき)

 

(平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月5日配信)

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