【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀
ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
今回は、機に臨んで兵や軍勢を勇気づけ、敵を惑わした、楠木正成の「湧くがごとき智謀」についてのお話を紹介いたします。
それでは、本題に入りましょう。
【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀
(「太平記秘伝理尽鈔巻第十 新田義貞謀叛事付天狗越後勢催事」より)
楠木と筒井・矢尾の対決
その昔、楠木正成は大和国の住人筒井浄継と遺恨の事があって、仲違いした。当時はまだ楠木氏と対立していた矢尾の別当(第7回掲載文参照)が、折を見て筒井に誘いがけしたところ、浄継は1千余騎を率いて百日までの在陣を条件にやってきた。これにより別当の兵は、合計して2千余人となった。正成も一門の助力を頼んで800余騎となり、境の津(現在の堺市)から東、金田(こんた:現在の堺市北区金岡)の北に一つの城を築いて、要害をきびしくして陣を張ったのであった。
国中の軍勢の多くが別当に与力したことから、敵の軍勢は3千余騎となり、柚頭(ゆかみ:現在の松原市天美)と神道(かんとう:現在の松原市新堂)という場所に陣を張った。それぞれの間は、二里(約1.1Km)と少々離れていた。筒井は正成の勇猛さを恐れて攻め寄せてこない。正成は、
「敵は大勢なので、国人は皆、彼に与力したのであろう。どのような謀もあるだろうが、ここは敵の動きに応じて転化して戦おうと思うので、待つことにいたそう」
と云ってこちらからは動かなかった。こうして十日以上が過ぎた。
嘘でも兵士の勇を鼓舞すればよい
そこで正成は、花田の郷(現在の堺市南花田町)まで移動し、敵陣近くへと向かった。対抗して浄継も兵を出してきたが、それは池を前にし、一本の道を中央にして兵を立たせ、足軽10人から20人を一組にして、4~5組を前に出していたに過ぎなかった。
正成は筒井方の足軽のかけ引きを見て、
「大和勢の軍は恐れるに足らず。今から各々に手柄を立てさせてやれるぞ」
と欺(あざむ)いたのであった。実際には足軽のかけ引きが悪かったのでもなく、また陣の張り方も無謀というほどでもない。これは、味方の兵に勇気を奮い起こさせるためだったのだ。
池近くの兵の配置と戦法
また、楠木はあることに気づいていた。池の岸が少し高くなっていたが、岸の上には兵を一人も出していない。岸の向こう側の下に兵を置いているのは、正成を恐れているものと思えた。また、兵の配置も池に近い。これは良将のやることではない。正成ならば、池から一町(109m)か二町(218m)後ろに退いて兵を備えるに違いない。その理由は、敵が中央の道を越えて来ようとするのに対し、池のすぐ近くに配置している軍勢は攻めかかろうとするにも、その先の距離がない。あまりに近すぎて気おくれするものである。
池と池に挟まれた細道を通ってくるような敵は、覚悟を固めているものである。このようにして戦う時は、味方が負けるものである。また、前を進む敵兵が弱くて、逃げる者があったとしても、後から続く者が声を発して勇ましく突進してくるので、意思に反してこちらが備えている軍勢の中に懸け入るものである。こうした場合、十のうち九は負けるものである。また、このように勇気づいた敵の軍勢は、いかにも強いものである。味方がこれと戦ってどうして負けないことがあろうか。
そうであれば、味方の先頭の備(そなえ)が千であるならば一町五反(約170m)、二千もあるならば二町まで退いて備えれば、敵は池の中の道を越えて来て、広い場所へ二十間(約40m)ほども過ぎて来ようとするところへ、味方の先頭の備が乱れずにかかり合うならば、必ず勝つことになる。これは、盲将の図り知らないところである。良将のみがなせる業である。そこで楠木は、大和勢の戦術・戦法は感心できるものではないと思って、このように述べたのであった。
備と備の間隔については秘伝
また、二番目、三番目の備も良いものではなかった。備の間隔も遠いようであった。備の間隔の遠近については口伝がある。将たる者は習得しておくべきことであるぞ。その段階は様々である。重要な事ではあるがこれをあえて書かない。小さくして二十間(約40m)、次は三十間(約60m)、謀によっては五町六町(約545m~654m)、あるいは一里、または一里半などである。
正成はこれらのことをよくわきまえた上でこのように言ったのである。
自軍を鼓舞するための策
そうしているところに、正成本陣の左側方に旗が風になびいて立っており、その数およそ500余りもあろうかと見える敵の軍勢が、味方の陣へ横合いに進んできた。その後ろを見ると備えも多い。楠木がこれを見て言ったことには、
「かねてから私が、いつも『四隊の陣(注)』を好んで構えてきたのは、この時のためであるぞ。敵のように備えている先に敵がいるとだけ思って兵を配置すれば、最もあわてふためくことになるぞ」
と、いつもより愉快げに打ち笑って、池の後方に一町を退けて配置した軍勢に、軍使を遣わして下知した。
「この敵が池の中央の道を越えたならば、いつものとおりに攻めかかれ。遅れて時刻を延ばしてはならない。」
このように言い伝えて味方を見ると、陣は騒然として、諸兵が臆している様子であった。楠木は、これでは戦っても不利であると思ったのであろう、諸兵に向かって言った。
「今日、私が軍をこのように向かわせたのは、いつもとは異なり、敵の中に味方がいるからである。恩地はいるか。池のこちら側の高い塚のある場所に上って、日を三つあげよ。」
これを聞いた諸勢は、気をとり直して勇気がわいてきた様子であった。恩地は、これは合図に違いないと思って、高所に上って火を三つあげたけれども、こちらに寝返ろうとする兵は来なかった。
(注)四隊の陣とは、前後左右どの方向にも振り向くことのできる陣形である。
動揺する筒井の軍勢
横合いに迫ってきた敵の軍勢は、矢尾の別当、並びにその国の者たちであった。この火に驚き、
「この軍勢の中に、おそらく楠木に意気投合している者があるに違いない。後ろから何者かが敵となって、楠木と力を合わせるのであろう。これは一大事だぞ」
と考えた。その上、「大和勢が何を思っているのかもわからない」と面々に思って進まない。
浄継の兵は、
「どのような意味ののろしであろうか。全くわからない」
とささやきあっているうちに時間が過ぎていった。正成は味方に向かって、
「今少し火を早くあげてもらえぬか。和田の一勢は虚(そら)くづれして引いて、敵に見せよ」
と言うと、和田は「承知いたしました」と云って、諸勢にこれを知らせて、崩れふためいて引いた。これを見た敵の大将は、
「あれは逃げたふりをしているのであろう古狐に化かされてたまるか。若い衆で馬をすっ飛ばして見て来い」
と下知したところ、「承知いたしました」と3騎から5騎ずつで打ち連れて行ったのであるが、矢が届くところまでは来ようとはしなかった。帰って、
「あそこのくぼみに軍勢がいるように見えました」
など見てもいない虚言をさも勇ましい顔つきで言ったので、「そうかもしれない」と、元々が集まり勢なので、一人の頭(かしら)が率いる小勢が引いて帰るようであった。
敵が動揺しているのを見て、「さあ、攻めてきなさい」とばかりに、楠木軍が引いて帰るのを追尾する筒井軍の兵は一人もいない。結局、筒井の全軍が足早に引いて帰ることになった。
急場をしのいだ正成の謀計
実際に「返り忠」があったわけではなかった。敵が意外にも後ろに回ってきたので、戦っても不利であると考えて、ただ引けば敵が必ず追尾してくるのであるから、味方が多く討たれることになると思って、この謀に出たのだった。
実は兼ねてから企てていた謀でもなく、事が急を要するに及んで、にわかに出て来た方策であった。そこで、
「正成は普通の人ではない。誰よりも戦の謀に賢い男である」
と、後になって人々が語っていたという。
奇策を秘した楠木の思慮
この戦から数年が過ぎた後までも、正成はこれを自分の謀であったとは言わず、
「人にたぶらかされて、軍に損害を受けてしまうところであった」
とだけ言っていた。その真意は、この後に同じようなことが絶対にないとは云えないからであった。その時になって、兵に
「以前にもこのようにだましなされましたな」
などと言われないためであったと思われる。
何とも思慮が深いのであった。
筒井と矢尾、互いに疑心暗鬼に陥る
翌日から毎日、時間を変えて兵を進めては、敵の中に味方がいるようかのようにだけ見せたならば、いよいよ敵の中に大なる疑いが出来て、
「何某(なにがし)が楠木と通じ合っている。誰々が敵に与(くみ)するだろう」
と恐れ合って、軍の評議もなかった。そこで、口の悪い人々が、
「国人の何某こそ、楠木と与して、敵になる」
などと噂話をするようになると、その面々は身に覚えがないので、
「そのような噂を流されるのは、不愉快である。所詮、この戦は公儀のことでもない。また、楠木に私的な恨みもない。親しいままに別当や筒井に話を持ちかけられたまでのことだ。このように疑われてしまうのでは」
と陣を去って帰った。
こうして筒井・矢尾の両人に与していた兵は、それぞれに一人二人と引き、別々に落ちていくようになった。その結果、浄継は別当を疑い、別当は浄継を疑うようになり、筒井はある夜半に別当に何も言わずに陣を去って大和へ帰ったので、別当も矢尾の城に帰った。
その翌日、正成は兵を出して彼らの陣所を焼き払い、赤坂に帰ったのであった。
見事な謀であると云えよう。
(「急場をしのいだ楠木の智謀」終り)
(平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月17日配信)
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