【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2
ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の二回目、「敵を知る」楠木正成の優れた情報活動についてです。
前回、楠木が行った「飯盛の敵に米100石・酒樽50荷・肴10種を贈った」という懐柔策につきまして、『太平記秘伝理尽鈔』の口伝聞書集である『陰符抄』という本では、これを「ももに首」と称して、次のように解説しています。
ももに首と云う理由は、「首」は身体の内でも特に重要な箇所である。それに比べれば、「もも」は軽い箇所である。その軽い箇所である「もも」を敵に与えて、重要である首を見方の方に取るということである。兵糧や酒・肴といったものを敵に贈るのは、少しの損であるけれども、味方は終始を通じての勝ちを取るのである。これは孫子の「始計」が意味するところである。敵と我の利益を計り比べて、小さな利益を敵に与えて、大きな利益を我が方に取るのである。敵にも小さな利益を与えるのが秘訣である。丸勝ちは成功しないものである。 (以上、『陰符抄』再三篇より)
それでは、本題に入りましょう。
【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2
(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)
再び「ももに首」を装って、敵に近づく
宮中の法会が終了し、やっとのことで、「それでは、正成は討手として向え」との仰せがあった。
楠木は500余騎で摂津の国を経て、河内へ下ったのであるが、同時に飯盛へ恩地左近太郎を再び使者として遣わし、次のように言わせた。
「この度の討手のお役目を、正成こそが仰せ付けられました。弓矢取る身の習いとて、親をも捨て、君主の命令に従うのは、その昔からの法にてございますれば、好むと好まざるとにかかわらず、貴殿らと戦うほかありません。そうではありながら、公家と武家が仲直りして協力し合うならば、我らにも、貴殿らにも、国土のためにも望ましい事でしょう。和睦を願われるのであれば、この正成が御使いとして申し伝えましょう。また、京都からの土産を持たせてまいりました。」
そして、樽酒十個を贈ったところ、敵の大将・憲法僧正を始めとする敵将は、
「仰せのこと承りました。どのようにすべきかを老中と相談してから、お返事いたしましょう」
と云って、これらの贈物を返したのであった。
恩地の情報収集 ― 飯盛城を偵察
恩地はこの往復の間、高い場所に上って、飯盛城を偵察していた。城中の人々の陣屋を見ると、100軒をひとかたまりとして、それらが12~13ほどあった。
「所領を持ちながら出陣した人々であれば、1万2~3千の兵になるであろうか。この一、二年は国を捨て、所領を取り上げられ、やむを得ず出陣した人々であれば、陣所の合計よりも兵は多くいることであろう。それでも、1万5千よりも多いことはないであろう、・・・・」
このように敵兵力を見積もっていた。この間に楠木は、千早に帰り着いていた。
恩地の情報収集 ― 敵方の旧友と接触
恩地は、昔から親しかった武田十郎兵衛を訪れて、
「予想外に兵が多くおられる御陣でございますなあ。こうして見たところ、合わせておよそ3万もおられましょうか」
と語りかけると、武田は何とも嬉しそうに語った。
「そのとおりでございます。この陣に兵は4万余りはいるに違いないと、人々も申しております。楠木殿が明日、ここへ向われたとしても、手痛い損害を避けられない合戦となりましょう。」
そこで恩地は、小声になって、
「実に驚き入りました。正成がここへ向うといたしましても、兵は1万には足りないでしょうから、中々城の近くに寄せることもできないことでしょう。他の国の軍勢を味方に付けるような方策もないので、由々しき事態になるものと思われます。ただし、最終的には諸国が朝廷に随うであろうことは間違いありません。貴殿とは気心知れた仲であるがゆえ、このように申すのです」
と言ったならば、武田は
「頼りない武運とは誰もが思いながら、弓矢取る身の習いとして、義によってこそ、このように思い立ったのです」
など、細々(こまごま)と語った。恩地は、
「それにつけても、和睦のこと、少しでも早くなされるのがよいでしょう」と申して帰った。
恩地による敵情分析
恩地は正成を訪ねるため、急いで河内へやって来た。恩地が千早で、このことを楠木に語ったところ、正成が
「さて、どのように思われましたか」
と尋ねた。恩地が云うには、
「武田は敵方の大将の一人であります。昔から意思が弱いことは知っておりましたが、数年間会っておりませんので、人はどのように智恵が発達することもありますれば、と思いまして語ったのでございます。
先ず、私が敵の兵を1万5千と見ながら、『3万余りもおられるのでしょうか』と申したのを聞いて、嬉しさを隠せずにいたのは、いかがなものでしょうか。私のことはずっと前から知っていたのですから、よもや兵の多少を見誤ることはないと思うべきでしょう。にもかかわらず、私が1万5千の兵を3万と言ったのを、いかなる謀であろうかと疑うこともなく、嬉しそうにしているのは、智が浅いからです。彼が大将として向おうとする所へ、謀により一撃を与えるならば、簡単に撃滅できるものと思います。
また、敵の陣を見ると、山や谷を選ばず、飯盛山周辺の荒れ乱れた集落のように陣を敷いているので、忍びを入れて一方から火をかけてば、よもや堪えられますまい。一勢一勢の陣がきちんと区分されていないので、忍びの兵も簡単に潜伏できましょう。
外側の構築物につきましては、塀さえもこしらえず、芝もきちんと積み上げておりません。芝の上には一重の貫(横木)がございますが、過半が崩れ破れております。木戸の外から忍びが入りこむのは容易いことです。夜回りの番もおそらく置いていないものと思われますが、それでも白昼に攻めることができる地形ではございません。岸が高く切り立っております。
さらに諸兵卒は皆、貧しいものと思われました。財貨をちらつかせて招けば、必ずや逆心を抱く者が出てくることでしょう。大将は僧正のお坊さんですので、戦(いくさ)の勝敗は恐るに足らず、でしょう。また、兵は皆、自分にとっての一大事とは思っていない(あまり緊張感がない)様子でございました」
とのことであった。
楠木、恩地の情報活動を賞賛
正成は、つくづく聞いて、
「よくぞ、そこまで見てこられた。忍びの者たちが申すことと少しも違わぬぞ」
と笑ったのであった。そして、すぐに
「十市(とおちの)左兵衛助が陣を堅めている平群(へぐり)には、どれほどの敵兵がいるのか」
と問うたところ、郎従であった古市(ふるいちの)右衛門が申したことには、
「敵兵、およそ5千余りはおりましょう。諸兵の陣屋の数は、およそ400余りと見ております」
とのことで、平群にある城の様子を詳細に語ったのであった。
(「飯盛城攻略作戦 その3」へ続く)
(いえむら・かずゆき)
(平成26年(2014年)11月14日配信)
関連ページ
- 【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバーです。【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
- 【第2回】兵士たちを命令に従わせるには
- 『楠木正成の統率力』 【第2回】兵士たちを命令に従わせるには です。
- 【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)です。
- 【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる です。
- 【第5回】神仏を信じるということ
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第5回】神仏を信じるということ(2014/6/20配信)です。
- 【第6回】恩賞の与え方と受け方
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第6回】恩賞の与え方と受け方(2014/6/27配信)です。
- 【第7回】敵意を解いて服属させる
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第7回】敵意を解いて服属させる(2014年7月4日配信)です。
- 【第8回】小勢をもって多勢に勝つ
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第8回】小勢をもって多勢に勝つ(2014/7/11配信)です。
- 【第9回】叱るよりほめよ
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第9回】叱るよりほめよ((140718配信)です。
- 【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける 2014/7/25配信 です。
- 【第11回】千早城外での夜討ち
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第11回】千早城外での夜討ち 平成26年(2014年)8月1日配信です。
- 【第12回】 敵将の短慮につけいる
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第12回】 敵将の短慮につけいる (平成26年(2014年)8月8日配信)です。
- 【第13回】 千早における楠木の諜報活動
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第13回】 千早における楠木の諜報活動(平成26年(2014年)8月15日配信) です。
- 【第14回】 物と人を備えるということ
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第14回】 物と人を備えるということ(平成26年(2014年)8月22日配信) です。
- 【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ (平成26年(2014年)8月29日配信) です。
- 【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る 平成26年(2014年)9月5日配信です。
- 【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』 平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月12日配信です。
- 【第18回】 大将は戦場を離れるな
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第18回】 大将は戦場を離れるな (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月19日配信) です。
- 【第19回】 武家と庶民の違いは何か
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第19回】 武家と庶民の違いは何か (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月26日配信)です。
- 【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月3日配信)です。
- 【第21回】 千早から退却する敵を追撃
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第21回】 千早から退却する敵を追撃 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月10日配信) です。
- 【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月17日配信)です。
- 【第23回】 柔を以て剛を制するの術
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第23回】 柔を以て剛を制するの術 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月24日配信)です。
- 【第24回】 泣き男の謀(はかりごと)
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第24回】 泣き男の謀(はかりごと) (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月31日配信)です。
- 【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月7日配信)です。
- 【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月21日配信)です。
- 【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)11月28日配信)です。
- 【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月5日配信)です。
- 【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月12日配信)です。
- 【第31回】 楠木正成の領民統治
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第31回】 楠木正成の領民統治 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月19日配信)です。
- 【第32回】 馬を盗んだ男の処断
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第32回】 馬を盗んだ男の処断 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月26日配信)です。
- 【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段)
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月9日配信)です。
- 【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段)
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月16日配信)です。
- 【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成 (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月23日配信)です。
- 【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る
- 『楠木正成の統率力』のバックナンバー【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月30日配信)です。