【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2

ごあいさつ

 

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の二回目、「敵を知る」楠木正成の優れた情報活動についてです。

 

 前回、楠木が行った「飯盛の敵に米100石・酒樽50荷・肴10種を贈った」という懐柔策につきまして、『太平記秘伝理尽鈔』の口伝聞書集である『陰符抄』という本では、これを「ももに首」と称して、次のように解説しています。

 

 ももに首と云う理由は、「首」は身体の内でも特に重要な箇所である。それに比べれば、「もも」は軽い箇所である。その軽い箇所である「もも」を敵に与えて、重要である首を見方の方に取るということである。兵糧や酒・肴といったものを敵に贈るのは、少しの損であるけれども、味方は終始を通じての勝ちを取るのである。これは孫子の「始計」が意味するところである。敵と我の利益を計り比べて、小さな利益を敵に与えて、大きな利益を我が方に取るのである。敵にも小さな利益を与えるのが秘訣である。丸勝ちは成功しないものである。 (以上、『陰符抄』再三篇より)

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2

 

(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)

 

 

再び「ももに首」を装って、敵に近づく

 

 宮中の法会が終了し、やっとのことで、「それでは、正成は討手として向え」との仰せがあった。

 

 楠木は500余騎で摂津の国を経て、河内へ下ったのであるが、同時に飯盛へ恩地左近太郎を再び使者として遣わし、次のように言わせた。

 

 「この度の討手のお役目を、正成こそが仰せ付けられました。弓矢取る身の習いとて、親をも捨て、君主の命令に従うのは、その昔からの法にてございますれば、好むと好まざるとにかかわらず、貴殿らと戦うほかありません。そうではありながら、公家と武家が仲直りして協力し合うならば、我らにも、貴殿らにも、国土のためにも望ましい事でしょう。和睦を願われるのであれば、この正成が御使いとして申し伝えましょう。また、京都からの土産を持たせてまいりました。」

 

 そして、樽酒十個を贈ったところ、敵の大将・憲法僧正を始めとする敵将は、

 

 「仰せのこと承りました。どのようにすべきかを老中と相談してから、お返事いたしましょう」

 

と云って、これらの贈物を返したのであった。

 

 

恩地の情報収集 ― 飯盛城を偵察

 

 恩地はこの往復の間、高い場所に上って、飯盛城を偵察していた。城中の人々の陣屋を見ると、100軒をひとかたまりとして、それらが12~13ほどあった。

 

 「所領を持ちながら出陣した人々であれば、1万2~3千の兵になるであろうか。この一、二年は国を捨て、所領を取り上げられ、やむを得ず出陣した人々であれば、陣所の合計よりも兵は多くいることであろう。それでも、1万5千よりも多いことはないであろう、・・・・」

 

 このように敵兵力を見積もっていた。この間に楠木は、千早に帰り着いていた。

 

 

恩地の情報収集 ― 敵方の旧友と接触

 

 恩地は、昔から親しかった武田十郎兵衛を訪れて、

 

 「予想外に兵が多くおられる御陣でございますなあ。こうして見たところ、合わせておよそ3万もおられましょうか」

 

と語りかけると、武田は何とも嬉しそうに語った。

 

 「そのとおりでございます。この陣に兵は4万余りはいるに違いないと、人々も申しております。楠木殿が明日、ここへ向われたとしても、手痛い損害を避けられない合戦となりましょう。」

 

 そこで恩地は、小声になって、

 

 「実に驚き入りました。正成がここへ向うといたしましても、兵は1万には足りないでしょうから、中々城の近くに寄せることもできないことでしょう。他の国の軍勢を味方に付けるような方策もないので、由々しき事態になるものと思われます。ただし、最終的には諸国が朝廷に随うであろうことは間違いありません。貴殿とは気心知れた仲であるがゆえ、このように申すのです」

 

 と言ったならば、武田は

 

 「頼りない武運とは誰もが思いながら、弓矢取る身の習いとして、義によってこそ、このように思い立ったのです」

 

など、細々(こまごま)と語った。恩地は、

 

 「それにつけても、和睦のこと、少しでも早くなされるのがよいでしょう」と申して帰った。

 

 

恩地による敵情分析

 

 恩地は正成を訪ねるため、急いで河内へやって来た。恩地が千早で、このことを楠木に語ったところ、正成が

 

 「さて、どのように思われましたか」

 

と尋ねた。恩地が云うには、

 

 「武田は敵方の大将の一人であります。昔から意思が弱いことは知っておりましたが、数年間会っておりませんので、人はどのように智恵が発達することもありますれば、と思いまして語ったのでございます。

 

 先ず、私が敵の兵を1万5千と見ながら、『3万余りもおられるのでしょうか』と申したのを聞いて、嬉しさを隠せずにいたのは、いかがなものでしょうか。私のことはずっと前から知っていたのですから、よもや兵の多少を見誤ることはないと思うべきでしょう。にもかかわらず、私が1万5千の兵を3万と言ったのを、いかなる謀であろうかと疑うこともなく、嬉しそうにしているのは、智が浅いからです。彼が大将として向おうとする所へ、謀により一撃を与えるならば、簡単に撃滅できるものと思います。

 

 また、敵の陣を見ると、山や谷を選ばず、飯盛山周辺の荒れ乱れた集落のように陣を敷いているので、忍びを入れて一方から火をかけてば、よもや堪えられますまい。一勢一勢の陣がきちんと区分されていないので、忍びの兵も簡単に潜伏できましょう。

 

 外側の構築物につきましては、塀さえもこしらえず、芝もきちんと積み上げておりません。芝の上には一重の貫(横木)がございますが、過半が崩れ破れております。木戸の外から忍びが入りこむのは容易いことです。夜回りの番もおそらく置いていないものと思われますが、それでも白昼に攻めることができる地形ではございません。岸が高く切り立っております。

 

 さらに諸兵卒は皆、貧しいものと思われました。財貨をちらつかせて招けば、必ずや逆心を抱く者が出てくることでしょう。大将は僧正のお坊さんですので、戦(いくさ)の勝敗は恐るに足らず、でしょう。また、兵は皆、自分にとっての一大事とは思っていない(あまり緊張感がない)様子でございました」

 

とのことであった。

 

 

楠木、恩地の情報活動を賞賛

 

 正成は、つくづく聞いて、

 

 「よくぞ、そこまで見てこられた。忍びの者たちが申すことと少しも違わぬぞ」

 

と笑ったのであった。そして、すぐに

 

 「十市(とおちの)左兵衛助が陣を堅めている平群(へぐり)には、どれほどの敵兵がいるのか」

 

と問うたところ、郎従であった古市(ふるいちの)右衛門が申したことには、

 

 「敵兵、およそ5千余りはおりましょう。諸兵の陣屋の数は、およそ400余りと見ております」

 

とのことで、平群にある城の様子を詳細に語ったのであった。

 

 

(「飯盛城攻略作戦 その3」へ続く)

 

 

 

(いえむら・かずゆき)

 

(平成26年(2014年)11月14日配信)

メルマガ購読・解除
 


↓ ↓ 筆者・家村和幸さんの著作集です ↓ ↓

関連ページ

【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
『楠木正成の統率力』のバックナンバーです。【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
【第2回】兵士たちを命令に従わせるには
『楠木正成の統率力』 【第2回】兵士たちを命令に従わせるには です。
【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)です。
【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる です。
【第5回】神仏を信じるということ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第5回】神仏を信じるということ(2014/6/20配信)です。
【第6回】恩賞の与え方と受け方
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第6回】恩賞の与え方と受け方(2014/6/27配信)です。
【第7回】敵意を解いて服属させる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー  【第7回】敵意を解いて服属させる(2014年7月4日配信)です。
【第8回】小勢をもって多勢に勝つ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー  【第8回】小勢をもって多勢に勝つ(2014/7/11配信)です。
【第9回】叱るよりほめよ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第9回】叱るよりほめよ((140718配信)です。
【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける 2014/7/25配信 です。
【第11回】千早城外での夜討ち
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第11回】千早城外での夜討ち 平成26年(2014年)8月1日配信です。
【第12回】 敵将の短慮につけいる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第12回】 敵将の短慮につけいる (平成26年(2014年)8月8日配信)です。
【第13回】 千早における楠木の諜報活動
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第13回】 千早における楠木の諜報活動(平成26年(2014年)8月15日配信) です。
【第14回】 物と人を備えるということ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第14回】 物と人を備えるということ(平成26年(2014年)8月22日配信) です。
【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ (平成26年(2014年)8月29日配信) です。
【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る 平成26年(2014年)9月5日配信です。
【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』 平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月12日配信です。
【第18回】 大将は戦場を離れるな
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第18回】 大将は戦場を離れるな (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月19日配信) です。
【第19回】 武家と庶民の違いは何か
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第19回】 武家と庶民の違いは何か (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月26日配信)です。
【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月3日配信)です。
【第21回】 千早から退却する敵を追撃
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第21回】 千早から退却する敵を追撃 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月10日配信) です。
【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月17日配信)です。
【第23回】 柔を以て剛を制するの術
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第23回】 柔を以て剛を制するの術 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月24日配信)です。
【第24回】 泣き男の謀(はかりごと)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第24回】 泣き男の謀(はかりごと) (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月31日配信)です。
【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月7日配信)です。
【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月21日配信)です。
【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)11月28日配信)です。
【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月5日配信)です。
【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月12日配信)です。
【第31回】 楠木正成の領民統治
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第31回】 楠木正成の領民統治 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月19日配信)です。
【第32回】 馬を盗んだ男の処断
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第32回】 馬を盗んだ男の処断 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月26日配信)です。
【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月9日配信)です。
【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月16日配信)です。
【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成 (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月23日配信)です。
【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月30日配信)です。