【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)


【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける

ごあいさつ

 

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

 第6回から4回にわたり、『太平記秘伝理尽鈔』の
巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた経緯と、
それぞれの巻の作者について紹介してまいりました。
前回は、尊氏・直義一代の悪逆などが記された
二十二巻が消されたことについてでしたが、
今回は最後として、全四十巻となった経緯と、
この書が明国に渡ったことについてです。

 

(引用開始)

 

 また、和泉国の多武峰(たふのみね)において
書かれたものが十二巻あった。その作者は
六人である。

 

 教円上人、南都(奈良)の人である。

 

 義清法師、これは高徳入道のことである。

 

 寿栄法師、これは玄恵の弟子で、和泉国十市の
人である。

 

 北畠顕成、これは顕家の子で、二十六歳で
出家して、法号を行意と号した。歌道の達者である。

 

 証意法眼、これは興福寺の住僧である。

 

 そして、日野入道蓮秀である。

 

 このようにして、十一の巻から以後の虚実を
正し、次第を連ねて、虚を除き、実を加えたのであった。

 

 また、永徳壬戊、山名氏清が南方に出向いて
帰京した時、義用・義可(山名氏清の祐筆)等
に申しつけて、この書を記すること五巻であった。
こうして、全部で三十九巻となった。

 

 この後、この書を記す者はいなかった。
年を久しく経て、横川の僧天界坊能隣が、
これを改めて四十巻とした。

 

 また、応永の頃、唐船が来日した。唐の官人
である明尹(みんいん)が、この書を所望した。
将軍義持(室町幕府第四代将軍・足利義持)は、
諸山の僧に申しつけてこの書を清書して、
官人に渡したのであった。

 

(以上、「太平記秘伝理尽鈔巻第一 名義並由来」より)

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける

 

(以下、「太平記秘伝理尽鈔巻第七 千剣破(ちはや)城軍の事」より)

 

 

ものの道理を知れば、恐れず驚かず

 

 『太平記』には、「千早城への攻撃軍は百万騎、
この大軍勢に恐れをなすこともなく、わずか千人
にも満たない軍勢で、誰かを頼りにしたり、何かを
期待することもなく、城中で辛抱強く防ぎ戦い
続ける楠木正成の心の中こそ、不敵というべき
ものである」と記されている。

 

 これについて解説すれば、およそ世の中に
道理というものなくして事をなすということは、
一切ありえないのである。智恵のある人はその
道理を知り、愚かな人はそれを知らないという
ことだけである。

 

 例えば、田楽・放下といった神業のような
曲芸にも、皆それぞれに道理がある。これを
知らない者は、不思議な思いを抱くけれども、
その道理を知っている田楽師は、不思議に
思うこともない。その田楽師に絵を画かせよう
としても、どうしてよくその業をなすことができる
だろうか。できはしない。それは絵画の道と
いうものを知らないからである。

 

 野狐が変身し、天狗が姿を消すといった類
にも皆、道理がある。人間はこれを知らずに
不思議な思いを抱くけれども、野狐は不思議
と思うことはない。天地の間には、道理がない
ことは、一切存在しないのである。

 

 そうであれば、物の意(こころ)を知らない
愚将は、かねてこのことを知らず、油断して
用意が無いことから、驚き騒いで亡びるもの
である。正成は、かねてこのことを知っていた
ので、城の用意をして、百万の敵を千騎の
味方にて戦おうと思い定めていたのであり、
それゆえ驚きも、恐れもしなかったのである。

 

 

千早籠城(ろうじょう)のめどを二年間とした正成

 

 楠木正成は、

 

 「この城において二年間は戦おう。そうすれば、
そのうちに高時(鎌倉幕府の執権・北条高時)
に背く者はいくらでも出て来るだろう」

 

 と考えていた。それは、高時の「不義」を知って
いたからである。天下の人々が、等しく恨みを
抱いているのを知っていたのである。恨みを
抱いている者は、高時の威厳を恐れて表向き
は背かなかった。そうであればこそ、楠木は

 

 「高時に背いて城に籠(こも)り、二年の春秋
を送るならば、高時は数度の戦いで利を失う
に違いない。利を失えば、高時の威厳は
弱まるだろう。威厳が弱くなれば、天下にも
彼に背いて味方に与するような士が多くなる
であろう。その時こそ、高時は亡ぶことになる」

 

 と未来を予測していた。楠木の智恵こそが
最も賢かったので、数万の軍勢で攻めて来ても、
全く驚くことも無かった。

 

それに対して、多くの場合、大将が愚かであるため、
良好な城に籠りながら、敵が大勢であるのを見て、
どうしてよいかわからなくなる。これは、智恵が
無く、勇気も無いからである。将から兵に至るまで
知っておくべきことである。

 

さらに、その将が常日頃から愚かであって、
軍(いくさ)に心を懸けず、いたずらに遊んで
ばかりして暮らし、兵に対する情けが無く、
強欲にして下々の民を貪(むさぼ)るようであれば、
大敵が寄せ来る時には、どうして郎従たちが
命を捨てて防ごうとするであろうか。

 

(※筆者注:実際の千早城での籠城期間は半年ほどであった)

 

 

軍を心に懸ける

 

 そうであればこそ、正成は次のように云うのである。

 

 「およそ、将は常日頃から軍(いくさ)を心に
懸けておかねばならない。軍を心に懸けるという
ことは、具体的に多くのことがある。

 

 第一には、軍書から学べ。

 

 軍書を知って、その著者や登場人物の手立て
(作戦)が現在でも相応するか、不相応であるか
を知れ。

 

 第二には、常に郎従に軍(戦いの仕方)を習わせよ。

 

 軍を習わせるというのは、常に軍について
説いて聞かせよ。また、鹿狩りや鷹狩りなどに
出て、笠じるし(指揮官である事を示す小旗の類)
を持って下知(命令)して、軽快に随わせよ。
時には、軍法を発出して随う者があれば賞し、
随わない者があれば軽い罰を与えよ。罰は
少なく行い、賞は大いに与えるようにせよ。

 

 第三には、下の者への態度である。

 

 郎従を見るのに、他人と思ってはならない。
法に背く者があれば、睨みつけてこれを驚かせよ。
租税の取り立てを少なくして、下民が貧しいよう
であればこれを患(うれ)いよ。口に出したこと
は必ず実行せよ。実行しなければ、郎従は
その下知することを聞かなくなる。

 

 第四には、歩行訓練である。

 

 将は常に山や谷を歩行して郎従にも歩行
をさせるようにせよ。遠路を行くにも乗馬を
好むな。およそ兵士が、山谷、遠路を歩行
するのに早く疲れてしまうようでは、戦場に
おいて不覚があるものだ。馬の足だけを
頼みにして歩行を嗜まないのは、軍事を
怠っている兵なのだということを知れ。

 

 

戦場での忠節心と規律心

 

 第五には、軍忠の道(戦場での忠節心と規律心)を養え。

 

 敵を討つことだけを思って、将の下知に
従わないのは不忠である。これを罰するには、
罪を重くせよ。
 敵国に入って財宝に目を懸けることは、大い
に無道である。諸兵がこのようになれば、
その軍は敗れる。
 兵たちに向かって、味方が凶であることを
説いてはならない。敵の優れている面を
語ってはならない。
 諸兵の中にいて、隠しごとがあるかのように
私語して(ささやいて)はならない。
 同輩の悪いことを説いてはならない。
 将の下知が無いのに進んではならない。
 進むのに軽く、退くのに軽快であれ。
 敵の襲撃に驚いてはならない。
 敵が引くのは、策略かもしれないので、

乗せられてはならない。
 これらの事を常に嗜(たしな)むようにさせる
ことで、軍忠の道を習わせるのである。」

 

 と舎弟の七郎(正季)に教えたのである。

 

 

尽度廻り(じんどまわり)

 

 こうしたことから、楠木は赤坂城に居た時、
「尽度廻り」と名付けて、夜ごとに城の四方、
一周五町(約五五〇メートル)余方を走らせて、
辻々に番を置いて、息をも継がせず、十周
あるいは十五周、二〇周など、兵の身分に
応じて走らせた。これで勝負をさせ、また一回り
を左右に分けて走らせ、何間何尺の遅いか
速いかを争わせた。下は十一、二歳から、
老いたるも若きも皆、このようにさせた。

 

 正成も時々は一緒に走ったりした。冬の寒い日
には、なお正成も積極的に参加したのである。
もちろん、夏の夜は、いうまでもない。

 

 このようにして、人よりすぐれて早く走るか、
または何度も勝った者には、それに相応(ふさわ)しい
賞品を与えたりした。上級者が好むことは、
下級者もなすものであるから、家中の郎従も
皆、好んでこの業をなしたのである。

 

 これは皆、武を習わせるための道である。

 

(「軍(いくさ)を心に懸ける」終り)

 

 

(以下次号)

 

 

(いえむら・かずゆき)

 

(2014年7月25日配信)

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