楠木正成の統率力 家村和幸

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

楠木正成の統率力のバックナンバーです。

バックナンバー記事一覧

【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿

(「太平記秘伝理尽鈔巻第十六 正成兵庫へ下向の事」より)楠木正成、兵庫へと向かう 1336(建武3)年1月、京都から九州へ敗走した足利尊氏は、光厳院の院宣を得て建武の新政に不満を持つ諸豪族を味方に付け、4月3日、京都に向かい大宰府を発進した。途中、四国の水軍を加え総勢5万の軍勢で陸路と海路の二手に分...

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【第2回】兵士たちを命令に従わせるには

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 本メルマガ記事のタイトルを現代風にわかりやすく「楠木正成のリーダーシップ」とせずに、あえて「楠木正成の統率力」としたのには深い意味があります。 そもそも「統率」とは何でしょうか。それは読んで字のごとく、指揮官や指導者などのリーダーが多くの人々の...

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【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 兵法の天才・楠木正成は没後、室町幕府により賊とみなされ、著しく名誉を失墜していましたが、戦国末期には恩赦され、武士たちの間でも『太平記』が盛んに読まれるようになりました。同時に楠木正成の戦術・戦法の研究も盛んになりました。 桃山時代の日蓮宗本国...

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【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる

▽ ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一には、最初に『太平記』という書物の名称の変遷が記されています。この書は、名を改めることがこれまでに四度あったといいます。 最初の名は、『安危来由記』でした。その意味は、古今の世の安定と危機の移り変わりを記して、後世...

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【第5回】神仏を信じるということ

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。『太平記』を読んで驚かされるのは、そこに出てくる軍勢の兵数の多さです。小さな山一つを「数十万」や「百万」余騎で囲むといった、現実にはありえないような描写がいくつも記されています。 『太平記秘伝理尽鈔』では、こうした軍勢の兵数の誇張について、それぞれ...

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【第6回】恩賞の与え方と受け方

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一には、『太平記』全四十巻が書かれた経緯や、それぞれの巻の作者について記されています。それによれば、『太平記』という書物が、後醍醐天皇のご発意により、長い年月をかけ、多くの人々の手によって記されたものであることが分かりま...

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【第7回】敵意を解いて服属させる

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会の家村です。 前回に引き続き、『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた経緯と、それぞれの巻の作者について紹介いたします。(引用開始) (建武御親政の頃、後醍醐天皇が二条の馬場殿にて新田義貞を召されてから)数日を経た後、万里小路藤房(までのこうじ...

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【第8回】小勢をもって多勢に勝つ

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 前回に引き続き、『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた経緯と、それぞれの巻の作者について紹介いたします。前回は十巻までについてでしたが、今回からは、十一巻以降についてです。(引用開始) 後醍醐天皇は、題号(書の名称)が定まっ...

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【第9回】叱るよりほめよ

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 前回に引き続き、『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた経緯と、それぞれの巻の作者について紹介いたします。前回は楠木正成について記した十一・十六巻や、足利尊氏の陰謀、直義の悪逆などを記した十三・十四巻などについてでした。今回は、尊氏・直...

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【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 第6回から4回にわたり、『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた経緯と、それぞれの巻の作者について紹介してまいりました。前回は、尊氏・直義一代の悪逆などが記された二十二巻が消されたことについてでしたが、今回は最後として、全四十...

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【第11回】千早城外での夜討ち

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。読者の伊賀山猿さまから、メールで次のようなご指摘をいただきました。いつも楽しく拝読させていただいております。下記、「和泉国」は、「大和国」だと思います。    伊賀山猿 これは、前回の冒頭で『太平記秘伝理尽鈔』巻第一から『太平記』が全四十巻となった...

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【第12回】 敵将の短慮につけいる

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 以前の記事(第5回掲載文)で、『太平記』に出てくる「数十万」や「百万」余騎といった現実にはありえないような軍勢の兵数について、その目的が「異国に誇張した兵数の情報を流す」ことにあったと述べました。 千早城を包囲した鎌倉幕府の軍勢につきましても、『...

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【第13回】 千早における楠木の諜報活動

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 今回は、千早城の戦いで行った諜報活動についてです。 孫子兵法では、諜報活動により、敵の実情を事前に察知することが「戦争の要」であると強調し、次のように説いています。 戦争には莫大な出費がかさみ、敗ければ全てが無駄になる。それにもかかわらず、間諜(スパイ)...

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【第14回】 物と人を備えるということ

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。  『太平記秘伝理尽鈔』には、楠木正成が新田義貞や赤松円心、足利高氏らと対談する場面がひんぱんにあります。そのほとんどは、元弘の役で鎌倉幕府が滅亡して建武の親政となり、官軍側の武将たちが京都に詰めていたころに行われたものです。 そこでは、当時の名将とされる...

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【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 今回と次回の二回に分けて、敵の夜討ちや返り忠(裏切りを促す謀略)への対応策についての楠木正成と足利高氏・赤松円心との問答をご紹介いたします。そこには、いかなる時でも部下の心をしっかりつかんで動かす、楠木の統率力の「神髄」を垣間見ることができます。 それで...

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【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 前回に引き続き、敵の返り忠(裏切りを促す謀略)への対応策についての楠木正成と足利高氏・赤松円心との問答をご紹介いたします。 今回は、楠木正成が千早城外の賀名生(あなう=現在の奈良県五條市にある丹生川下流沿いの谷)の奥にある観心寺に極秘のうちに隠し置いた別...

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【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。千早城における楠木正成の戦いぶりは、孫子兵法にある「兵は詭道なり」をそのまま実践したものでした。 詭道とは、敵を詐り欺く(いつわりあざむく)ことで裏をかき、判断を誤らせるやり方ですが、これについて孫子兵法では具体的に次のように説いています。 能力...

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【第18回】 大将は戦場を離れるな

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 『太平記秘伝理尽鈔』には、合戦における「戦術・戦法」や「指揮・統率」に関する具体的な話がたくさん書いてあります。同じ楠流兵法書でも『河陽兵庫之記』や『楠正成一巻之書』が洗練された「理論書」であるのに対して、『理尽鈔』は「事例集」といった位置づけ...

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【第19回】 武家と庶民の違いは何か

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。楠木正成が活躍した元弘・建武の時代には、武家だけではなく、公家や寺の僧なども鎧に身を包み、武器を手に戦いに参加していました。豊臣秀吉による刀狩や、徳川家康による士農工商の身分制度よりも250年以上も前のことです。 同じように武装して戦っても、武家とそれ以外の...

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【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀

ごあいさつ 皆様、こんにちわ。日本兵法研究会会長の家村です。 楠木正成が数々の合戦で活躍したのは、38歳から43歳までのわずか5年間でした。それ以前には、元享2(1322)年8月、紀伊国安田荘の湯浅庄司(『太平記秘伝理尽鈔』では「安田庄司」とされている)を討伐したことだけが記録に残っています。そして...

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【第21回】 千早から退却する敵を追撃

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 楠木正成がわずかな兵で守る千早城を、幕府の大軍が落とせなかったことは、人々に幕府の衰えを感じさせ、後醍醐天皇に味方する武家を増大させる結果となりました。その中でも、源氏の子孫である足利高氏は、執権・北条高時への反感が強く、京都へ上る途中で天皇のも...

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【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 今回は、機に臨んで兵や軍勢を勇気づけ、敵を惑わした、楠木正成の「湧くがごとき智謀」についてのお話を紹介いたします。 それでは、本題に入りましょう。【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀(「太平記秘伝理尽鈔巻第十 新田義貞謀叛事付天狗越後勢催事」...

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【第23回】 柔を以て剛を制するの術

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 今回は、孫子兵法の教えをみごとに実現した楠木正成の智謀についてご紹介いたします。 幕府方の武将である宇都宮公綱(きんつな)は、その勇猛果敢さで幾度も楠木を苦労させました。渡辺橋・天王寺の戦いでは、楠木が引き退いて戦わず、千早城の戦いでは櫓(やぐ...

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【第24回】 泣き男の謀(はかりごと)

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 今回は、特異な技能を有する人材を登用し、活用することで見事に敵をだまし、京都を奪還した楠木正成の智謀についてご紹介いたします。 ここには、現代社会にもそのまま通用する「人を活かして使う」ノウハウが書かれています。 それでは、本題に入りましょう。【第24回...

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【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1

ごあいさつこんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。今回から数回にわたり、大阪平野を臨む要衝・飯盛山を攻略した楠木正成の名作戦についてご紹介いたします。 この話の中には、戦わずして勝つことを狙った楠木の智謀や、敵を知り己を知るための情報活動、敵を油断させ、その意表を突いての急襲、戦場において軍法を厳...

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【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の二回目、「敵を知る」楠木正成の優れた情報活動についてです。 前回、楠木が行った「飯盛の敵に米100石・酒樽50荷・肴10種を贈った」という懐柔策につきまして、『太平記秘伝理尽鈔』の口伝聞書集である『陰符抄』と...

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【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。読者のH.Y様からのお便りをご紹介させていただきます。20年ほど前にウクライナである老人から聞きました。彼の祖父は日露戦争の従軍者で松山に捕虜でいたとのことです。祖父は思い出を語るごとに「マツヤマ」と言っては日本人の軍民あげての捕虜への立派な応対...

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【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。さて今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の四回目、いよいよ飯盛での城攻めが始まります。 楠木正成は、まず平群の小敵から攻め滅ぼし、その勢いを以て、飯盛の大敵を討ちます。これは、後の世で織田信長がまず浅井・朝倉・本願寺などの弱敵を討って、甲州へは一...

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【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。さて今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の五回目、飯盛城攻めの中盤です。 今回も兵法の天才といわれた楠木正成が、作戦上の判断を誤ります。しかし、それを下の者に指摘されたことに対する態度にこそ、楠木正成の高潔な人格や、リーダー・統率者としての偉大さ...

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【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。 さて今回は、「飯盛城攻略作戦」の最終回、いよいよ飯盛城を攻略します。 それでは、本題に入りましょう。【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)楠木の軍法の厳格さにより飯盛城が落ちる...

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【第31回】 楠木正成の領民統治

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。楠木正成は、兵法の達人であると同時に、きわめて優れた統治者でもありました。智・仁・勇(知恵と仁愛と勇気)に富んだ人物とは、戦時にも平時にも、人並みはずれた優れた能力を発揮するものだということがわかります。 そこで今回と次回の二回にわたり、楠木正成...

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【第32回】 馬を盗んだ男の処断

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。今回は楠木正成が平時に行った領民統治の具体的な事例を紹介いたします。 それでは、本題に入りましょう。【第32回】 馬を盗んだ男の処断(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十六 正成兄弟討ち死にの事」より)病母をかかえた貧しい男が馬を盗む 楠木正成が湊川で散っ...

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【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段)

ごあいさつ 皇紀2675年、平成27年、あけましておめでとうございます。日本兵法研究会会長の家村です。 今から約680年前、後醍醐天皇の討幕挙兵にいちはやく出陣した大楠公・楠木正成は、その天才的な兵法で鎌倉幕府を滅亡に追い込み、さらに足利尊氏の賊軍を散々な目にあわせました。こうした楠木正成の活躍を余...

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【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段)

ごあいさつ こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。今回は楠木正成の最期を飾った「湊川の戦い」の後段です。 早速、本題に入りましょう。【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段)(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十六 正成兄弟討ち死にの事」より)志貴の先陣、猛射にひるまず突入 先陣となった志貴右衛門が30...

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【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成

ごあいさつ こんにちは!日本兵法研究会会長の家村です。 大楠公・楠木正成こそ、我国の歴史上「最高の統率力」を発揮して、最強の軍勢を育てた人物でした。そして、その秘訣は、「人の心を見抜き、それを思いやる」能力にあったといえます。特に、苦しい立場にいる者、失意にある者、悲運ゆえに貧しき者などの弱者の気持...

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【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る

ごあいさつ こんにちは!日本兵法研究会会長の家村です。 昨年の5月23日から続けてまいりました『楠木正成の統率力』も、いよいよ今回が最終回です。 第1回・第2回掲載文の冒頭でご説明したことですが、 「統率」とは、指揮官や指導者などのリーダーが多くの人々の心を統一し、目標とする所まで率(ひき)いて、組...

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