【第14回】 物と人を備えるということ

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【第14回】 物と人を備えるということ

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

  『太平記秘伝理尽鈔』には、楠木正成が新田義貞や
赤松円心、足利高氏らと対談する場面がひんぱんに
あります。そのほとんどは、元弘の役で鎌倉幕府が
滅亡して建武の親政となり、官軍側の武将たちが
京都に詰めていたころに行われたものです。

 

 そこでは、当時の名将とされる人々との問答を
通じて、戦術・戦法や指揮・統率などに関する
楠木正成の考えや思いが遺憾なく述べられており、
たいへん面白く、かつ学ぶべきことが多々あります。

 

 そこで、今回から数回にわたり、こうした談議
のいくつかを紹介してまいります。今回は、
新田義貞との問答です。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第14回】 物と人を備えるということ

 

 (「太平記秘伝理尽鈔巻第七 千剣破(ちはや)城軍の事」より)

 

 

正成、義貞に籠城の資材準備を説く

 

 世の中が鎮まって後、新田義貞が楠木正成に問うた。

 

 「千早に籠城された時、楠木殿はどのようにして、
諸事について不足なく、郎従を扶助し、金銀・米銭
などを貯えられたのか。」

 

 これに対し、正成は次のように答えた。

 

 「私には、生まれつき親が貯えておいた宝物が
多くありました。また、湯浅の城を攻め落として
(注:赤坂城を奪還して)からは、和泉・河内にある
敵の所領を皆、取り集めて郎従たちに与えております。
その残るところを、多くはありませんが、全て千早
に備蓄させたのです。

 

 その時、胡麻・榧(かや=実から上等の植物油が
取れる)は云うまでもなく、一切の木の実を取らせて
油とし、よろずの草の若葉を取らせて乾して城に
貯えました。また、和泉・河内の両国に出向いて
民屋を収奪した折、食物の類は云うに及ばず、諸事
籠城の役に立つであろう物は全て取り立てて城に
籠めました。

 

 例えば、摂津国中島へ出向いたことがありましたが、
時は9月17日であったので、あらゆる所の稲を刈り
取らせて、藁(わら)を捨て置き、馬に負わせ、人夫に
持たせて、千早に運ばせ、厚さ六寸(約18センチ)の
槙の板で、長さ二丈八尺(約8.46メートル)、
横一丈二尺(約3.63メートル)、深さ二間(約3.63メートル)
に箱を作って、この中に稲を満たしました。また、正成
が居た家屋の下には、二間の深さに土を掘り、ここに
およそ駄馬3千余分の炭を埋めましたが、その大方
は和泉・河内の一年分の取り立て物でございます。

 

 そうは云えども、正成にはただ今も、我が手下の
郎従3千8百人、所従(しょじゅう=家来・従者)や
眷属(けんぞく=一族・親族)およそ2万人おりますが、
私の備蓄をもって二年は養うことができます。
そうだからと云って、郎従が自らの蓄えを持たない
ということはございません。また、郎従につらい
思いをさせて、私一人が欲深いこともござりませぬ。

 

 

十分な蓄えと質素な生活

 

 また、私の家の子・郎従で、軍(いくさ)に従事
する者であれば、自分の郎従、所従を一年や
二年養うだけの蓄えをしていない者はございません。
それというのも、普段千早に居住する侍は、
一百人にも過ぎません。それ以外は全て、それぞれ
自分の領所に居住しております。そうでありますから、
我が領内に荒れた地があれば、これを開墾し、
山に樹を植え、村には竹を立たせ、身には麻布の
粗末な着物を着せ、会合での食事は、二汁三菜
(ぜいたくでも粗末でもない程度)の外は用いません。
毎日の食事は一汁二菜、これが正成の通常の食事です。

 

 家のつくりは、芦ぶきです。それから、馬・物具・在京
の小袖(注:京都滞在中の武士の衣装。鎌倉時代
以降、多く表着されるようになる)などは嗜(たしな)み
として二通り、三通り持たないものはおりません。
正成は、国において華奢(かしゃ=はで・ぜいたく)な
ことをしないので、郎従も皆、そうなのです。

 

 今、在京の武士は幾万騎かおりますが、正成の
郎従ほどに実に身ぎれいにしているのはおりません。
この夏も、5百人を召し上らせて京都警護の番を
務めております。この5百人を残る3千3百人により
世話をして上京させております。領四十分につき、
その一つ(=自分の所領から得る収穫の四十分の一)
を集めて彼らの賄賂(まいない=在京のための費用)
とします。私も領四十分につき、その一つを出すこと
は郎従に同じです。」

 

 

部下の身分を向上させる

 

 また、義貞が述べた。

 

 「その当時、楠木殿は昔から代々にわたり奉公してきた
中間(ちゅうげん=侍と小者の間の身分)、下部(下男)や
そのほかに侍(上級武士)たちにも賞禄を与えられる
ことがなく、しかも新たに無能・無芸の侍たちを召し
置かれたとうかがっておりますが・・・。」

 

 それについて、正成が語ったことには、

 

 「いや、そうではなくて・・・、私はその昔には中間
や下部まで(身分の低い者たち)5百余人を持って
おりましたが、その下部を中間にさせ、その中間を
侍にさせ、所領を持たない侍であれば、夫々に
所領を与えて領主にさせました。人並みの者は
このようにいたしました。そして、人より勝れた功績
が有った者に限って、その功績に随って賞禄を与えたのです。

 

 こうしたことから、新たには中間か下部としてしか
召し置かなかったのです。その外は、降参した人、
縁があってやってきた侍だけでした。

 

 今また、河内・摂津の国を手に入れましたので、
それなりに郎従たちにも所領を与えたのでございますぞ。
(義貞が述べた)当時の下部とは、今の中間、中間は
侍になっております。そのようなことから、私が
召し使う侍は、いかにも無作法で、礼儀作法も見苦しく
ございます。

 

 しかしながら、これは理にかなったことでしょう。
主が「体」であれば、郎従は四つの「手足」であると
さえ云われるものでございます。彼らは正成を頼り
とし、正成は彼らを頼みとしてこそ、大君の御大事
にも皆が一丸となって馳(は)せ参じることができたのです。

 

 ですから、正成が君恩を受けながら、何ゆえに
郎従を昔の身分のままで置くことができましょうか。
また、私が大事とするのであれば、彼らは何ゆえ
それに背くことがありえましょうか。こうした思いから、
このようにいたしたのでございます」

 

 とのことであった。

 

 これを聞いた義貞や(赤松)円心以下の人々は、
それまでに無いほどの深い感銘を受けたのであった。

 

 

(「物と人を備えるということ」終り)

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