神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(43)

一選抜で1佐になる者の中から将来は陸上幕僚長が生まれるかもしれない。一方で「これが昇任最後のチャンス」という「先輩の2佐」もいる。しかも人事のことだから他者に相談することも、ましてや愚痴を言うことも許されない。人事資料収集を通じて対象者の実績、能力、人間性などは把握するものの、すべてひとりで分析、判断し、結論を得るのは胃に穴が空きそうなほどの重圧だった。

半年に一度の昇任の該当機会に一佐になれる人数は限られているので、まずは約1000人の候補者の、期別の序列をつける必要がある。その際に参考にするもののひとつが勤務評定だった。勤務評定はいわば通信簿のようなもので、部隊長が記載して上級の指揮官に上申する。
勤務評定は昇任を検討する重要なツールではあるが、誰が記載したかによって内容が変わってくる可能性がある。そこも考慮して参考にしなければならなかった。また親心なのだろうか、部隊長は基本的に部下をほめるので(特に補任課に対しては)、鵜呑みにしない慎重さも必要だった。
そのため、部隊長をはじめ、先輩、同期や昇任の対象者本人のところへも足を運び、直接話を聞くこともしばしばだった。そうして上司の真意、本人の意欲・組織に対する献身度を多角的に確認した。

「補任課の担当者が会いに来る」というのは相手には大きなプレッシャーだったろうが、火箱にとっても気の休まることのない、しんどい仕事だった。
もっとも神経を使ったのは、一選抜の昇任と最終昇任者の選考だ。将官の多くは、通常は一選抜で1佐になった者の中から選ばれる。つまり一選抜で1佐になれない限り将官になれる可能性は下がり、その後どんなポストを任されるかも、定年の時期も変わってくる。また2佐で定年を迎える人と1佐に昇任する人では当然、給与や退職金も違ってくる。「人の人生を左右するような昇任者を、俺が選ぶのか」
重責に耐えるには、とことん苦しみ考え抜いて結論を出すしかなかった。常に「人間とは組織の中でどうあるべき」と自身に問いかけ、「なにをもって人を評価するのか」を追求した。
そして火箱がたどり着いたのは、勤務評定に書かれている実績や能力を将来の伸展性まで掘り下げて見ることだった。

自衛隊における実績は、企業の営業職のように数値で表すことが難しい。職種もさまざまだから、「こっちは訓練を、こっちは整備をよくやった」と、同じ土俵でないものの優劣はつけにくい。だからこそ本人の実績、能力から、知識、資質、体力、健康管理まで含め「人間力」について一人ひとり検討した。
そして火箱が最終的に判断する基準は「有事のときにどれだけ役立つ人物か」だった。最後の一兵になろうともあきらめず任務を遂行する気概があるという「人間力」は、表層的なことが記されている勤務評定では見えにくい。普段は粗削りだったり少々行儀が悪かったりしても、いざというときは力を発揮してくれる、そんな伸展性を評価した。
若い頃とびきり優秀だった先輩が昇任を重ねるほど守りに入り、「長い物には巻かれろ」状態になってしまったのも見ていたからこそ、火箱はあと伸び、伸びしろのある人間に期待した。

(つづく)