陸上自衛隊 中央輸送隊(3)

先週は中央輸送隊が米国で訓練を終えた装備品の積み下ろし作業を仙台港で行なう、その始まりの部分までご紹介しました。今回はその続きからです。
税関での仕事に続いて行なわれる荷役調整会議には中央輸送隊と契約を交わしている複数の運送業者などが参加、翌日の荷役作業についての調整を進めていきます。
貨物船に載っている大量の装備品を積み下ろすのは中央輸送隊の仕事ではなく運送業者の担当で(民間の人が自衛隊の車両を操縦するというきわめてレアなシーンが見られます)、中央輸送隊はその装備品を各部隊へ引き渡すまでの一連の流れを統括する役割を担います。
翌朝、岸壁に大きな貨物船が接岸。
RO-RO船(ローロー船)と呼ばれるこの船は船尾にランプウェーを備えており、クレーンなどを使わずに積み込みが可能というすぐれもの。
ランプウェーを下げればそこが船と岸壁をつなぐ道路となり、自走できる貨物は自走し、できない貨物の荷役にはタグ・マスターと呼ばれる牽引車を使います。
作業が始まると、まず作業員たちが一斉に貨物船に乗り込みアンラッシング(荷役を固定していたワイヤやフックの解除)を、続いて積み下ろしを実施(ここがレアなシーンですね)。中央輸送隊の隊員たちは作業が滞りなく進められるか、それぞれ担当する場所で確認を行なっています。
午前中のうちにコンテナ以外の積み荷はすべて降ろされ、埠頭の定められた場所に整然と並べられました。
積み下ろし作業と並行して、部隊に同行していた宰領者たちは税関の荷物チェックを受けています。
彼らは3か月間日本を不在にしていたわけですが、ただ荷役に付き添って往復していたわけではありません。往路の航海中は現地到着時に装備品が問題なく使用できるよう随時チェックし、復路では牽引車と120mm迫撃砲を切り離す作業なども部隊に代わって担当しています。現地でも追送品の手配や現地輸送業者との調整、撤収時のサポートなど、やるべき仕事が山ほどあります。
午後には税関のほか農水省の検疫所による食防が行なわれ、戦車の履帯に泥がついていないかなど、かなり細かいチェックを受けました。
ここで許可が出ないと、せっかく日本まで戻ってきた装備品もこの保全地域から出ることが許されません。とはいえ、どの車両のタイヤの溝1本取っても汚れひとつ見当たらず、無事に上陸の許可が出ました。
FH-70りゅう弾砲を積んでいるマーフィートレーラーは、夕方には出港してしまう貨物船に返却しなければなりません。そこでFH-70をクレーンでつり上げマーフィーを外すのですが、ここでも中央輸送隊が業者に指示を出しながら作業が進められました。輸送業務だけでなく、こういった各種装備品に対する知識をも求められるのが中央輸送隊なのです。
翌日は各部隊からやってきた隊員たちと運送業者、中央輸送隊、そして宰領者立ち会いによるダメージチェックが行なわれました。米国出港前と相違点はないか、整然と並ぶ車両を、チェックリストを使って1台ずつ丁寧に確認していきます。チェックが終わった車両は、これで晴れて駐屯地へと帰れるのです。
輸送は、特に災害派遣や国外への輸送において統合運用が当たり前の時代となっています。輸送業務プロ集団の活動するフィールドは、今後も広がっていくことが予想されます。
最後に。
中央輸送隊がまだ中央輸送業務隊という名称だったとき、取材をさせていただきました。そのひとつが仙台港での積み下ろし作業でした。
強風を遮るものがない晩秋の港は思い出すだけでも凍える寒さで、けれどちょうどブルーインパルスが訓練している場面を目にすることができて(ご存じの方が多いでしょうが、ブルーインパルスのベースは松島基地です)、うれしかったことをよく覚えています。
フェリー会社の方、部隊の車両を運転してフェリーから降ろす、通称「ギャング」と呼ばれる複数の運送業者の方など、たくさんの民間業者の方にもお世話になりました。
荷役調整会議の取材をさせていただいた建物やほかの社屋はみな港に隣接していて、取材から間もなく、津波ですべて流されてしまいました。
建物は跡形もなく津波がさらってしまいましたが、あのときお世話になった方々がご無事であったよう、今も心から願っています。
(陸上自衛隊 中央輸送隊(おわり))
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)11月11日配信)