オリンピックと自衛隊(14)

ライフル射撃支援のお話を続けます。
監的勤務員がいるのは選手から300m離れた標的の下、
深さ2mの監的壕の中です。
弾が当たるとすぐに標的を下ろして当たり具合を調べ、
長い棒で標的の上に点数を記し選手に伝えます。
そして射撃2発につき1枚ずつ、計60枚の的をひたすら貼り替え続けます。
この的の上げ下ろしのタイミングも非常に重要で、
選手の呼吸とぴったり合っていないと、選手の集中力や精神安定に
支障をきたします。射撃は選手のメンタルが成績に大きく関係する競技
とあって、監的勤務員にかかる重圧は並々ならぬものがあありました。
選手と監的勤務員はお互いに姿は見えないものの、両者の息が
ぴったり合って初めていい成績が生まれるのです。
だから監的勤務員は、自分が担当している顔のわからない300m先の
選手の勝利を祈りつつ支援しました。これはスモールボアライフルや
フリーピストルの行なわれる50m射場でも同様でした。
雨が降ればずぶ濡れ、晴れれば的が反射して目が痛みます。
けれど選手は6時間半以内に120発撃てばいいルールなので、
その間は緊張の糸をゆるめるわけにはいきません。
思い出したようにときどき撃つ選手、機関銃のように一気に撃ちまくる
選手など十人十色で、隊員は「いつ撃ってくるか」と、標的を見上げた
ままの姿勢を保っていなければならなりませんでした。
『東京オリンピック支援集団史』によれば、ライフル射撃支援隊長の
倉重翼1等陸佐は、新聞記者に「各国選手が一様に自衛隊の支援を
素晴らしいと絶賛しているが、このような支援ができた秘訣や苦心談
を聞かせて欲しい」と取材されました。倉重1佐の脳裏に、隊員たちに
課した厳しい訓練の日々がよみがえってきます。
射場内外での支援隊員の行動が軍人の目で評価されるという重圧
に打ち克てるよう、注意力と忍耐心の養成、ルールの研究、規律訓練
の徹底など、射撃勤務に直接関係のないものまで試験、検閲を強行
しました。それは落伍者が出るほど厳しいものでした。
これが、「ライフル射撃は支援準備に余裕があるといえど楽というわけ
ではない」と前述したゆえんです。
公式練習が始まってからは1カ月近く、休みなしで支援を続けました。
そしてこうやって本番を迎え、隊員たちはこれまでの成果を存分に発揮し、
こうして高い評価を得ています。
梅沢支援集団長が支援上の心構えのひとつとして示していた
「縁の下の力持ちに徹せよ」を承知していたものの、倉重1佐は
「新聞記者の質問に対して部下の苦労に思いを馳せ、つい口を滑らし
翌朝の新聞に載せられ反省」したとあります。軍隊が傲慢であっては
なりませんが、自衛隊の謙虚さは今も昔も突き抜けています。
50m射場ではスモールボアライフル伏射、フリーピストル、
スモールボアライフル3姿勢が行なわれました。
この射場ではちょっとしたサプライズがありました。
スモールボアライフル伏射は73名の選手が参加したのですが、
そのうち18名がオリンピック新記録、さらに上位3名が世界新記録
という予想外の好成績を収めたのです。
52名の選手が参加したフリーピストル射撃は、朝から雨という最悪
のコンディションでした。標的は雨に叩かれ、弾痕補修のテープは
濡れてくっつかず、監的壕で弾着を待って標的を見上げる隊員の顔
には雨が降り注ぎます。
雨天だからと訓練が中止されるわけではないし、軍人は私服でない限り
傘をささないので、自衛官は日頃から雨に濡れることは慣れています。
しかしオリンピックの競技支援という特殊な状況下での全身ずぶ濡れは、
当然ながら初体験です。
隊員の苦労は大変なものでしたが、この日は荒天にも関わらず
 皇太子殿下がご来場され、隊員たちの大きな励みとなりました。
さらに期待されていた日本の吉川貴久選手がローマ大会に続き銅メダル
を獲得、日の丸が揚がったことは、隊員の苦労を吹き飛ばしてくれる
うれしい出来事でした。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)6月23日配信)