オリンピックと自衛隊(13)

先週に続き、ライフル射撃支援のお話です。
 先週は、競技会場は朝霞駐屯地内の朝霞射撃場、かつ、すでに支援経験があったことなどから、一見余裕に見えたライフル射撃支援ですが、実は選手の多くが軍人であったことから「同業者相手に決してみっともない姿は見せられない」という激しいプレッシャーを背負っている支援であったことをご紹介しました。
 より完璧な支援を目指し、英語学習が行なわれたことにも触れました。
 防衛庁の記録によれば、「射場勤務以外の分野においても他国の軍隊に劣らないように特に留意して、精神教育および基本訓練等を実施した」とあります。
 最低限の英語力がないと、自衛隊そのものの評価が下がるという懸念があったとしても不思議ではありません。
 また、ライフル協会の理事長、副理事長を招いて講話を聴く機会も設けました。これは人間関係の樹立にも大いに役立ったそうです。
 支援の準備は「夏からで間に合う」という姿勢でしたが、出場する選手たちの練習の支援があったため、実際の支援が始まったのは早い時期からです。
 9月15日から競技が始まる10月13日までの28日間、台風の日ですら休むことなく、6種目計51か国、延べ1822名の選手の練習を支援しました。
 1日も休まずって……休んでくださいよ! と思わず言いたくなります。
 さて、射場には25m、50m、300mがあり、支援隊員はそれぞれ担当の射場を割り当てられていました。
 25m射場は95名が担当しましたが、近距離射場だけに観衆の目も近く、隊員たちの一挙一動に注目が集まりました。
 目立つことに慣れていない隊員たち、さぞや緊張したことでしょう。
 観衆の支援を浴びつつ、射撃指揮の補助・監的・得点の読み上げおよび表示、審査の補助、記録などを実施しましたが、隊員は動作や 態度のみならず、数字の書き方や発声にいたるまで最新の注意を払ったといいます。
 なお、この射場では最初に近代五種ピストル射撃が行なわれたのですが、その際、選手のひとりがなんと覚せい剤を使用しトラブルが発生したという記録が残っています。
 詳細は不明ですが、25m射場支援の責任者である射場長の的確な証言が運営委員会の判断の参考となり、競技に混乱はなかったそうです。
 このほか、25m射場はライフル射撃のラピット・ファイア・ピストル射撃でも使われました。
 この競技は進行のテンポが速く射手の動作が変化に富んでいるので、観衆の盛り上がりも大きいものでした。
 特に採点手である支援隊員の迅速かつ正確な点数表示は、厳正な動作もあって各国選手や役員の注目を引きました。おそらく一生懸命とか、真面目とか、そういう言葉が隊員からにじみ出ている支援だったに違いありません。点数表示が手動でなくなった現在では、もう見ることの叶わない雄姿です。
 300m射場では、射撃競技としてはもっとも伝統のあるフリー・ライフルが行なわれました。
 この競技の選手のほとんどは軍人です。
 個々の動作のひとつひとつが自衛隊の評価につながるものとして、隊員たちの緊張度は一段と増します。
 しかもこの競技は時間が長いのです。
 支援は連続6時間半にもおよび、132名の監的勤務員はその間、食事(いなりずしとの記録が残っています。アメリカ人選手からなにを食べているのか聞かれ、ジェスチャーで狐の真似をしたけれど通じなかったとか)は立ったまま、トイレにも行けないので水分の摂取も控えるなど、肉体的・精神的負担も大きいものでした。
 防衛庁の記録には「煙草ものまず」という一節もあり、時代を感じます。
 来週は、ライフル射撃支援でちょっとじーんと来るエピソードもご紹介します!
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)6月16日配信)