神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(42)
入校中の1993(平成5)年1月、火箱は1等陸佐になった。このとき、九州に暮らす母親は体調が悪化し入院しており、意識も半ば朦朧としていた。もっと近くで面倒を見てやりたいという思いはあってもそれができなかったから、いい病院を必死に探しも ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(41)
西方総監部で訓練班長を務めた後、火箱は1992(平成4)年58月から統合幕僚学校第32期一般課程学生(目黒)に入校した。
自衛隊は階級に応じた教育があり、陸自の場合、CGS(指揮幕僚課程)を修了した幹部自衛官は2佐または1佐で ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(40)
さて、雲仙普賢岳では火砕流、雨が降れば土石流の危険がつきまとっていたが、九州全体でも土石流の危険が高まっていた。梅雨の時期は迫っているし、梅雨の後は台風の季節になる。
地盤のゆるんだ場所の倒木を放置しておけば、土石流、土砂流が ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(39)
西部方面総監部で災害派遣を担当したのは防衛課運用班で、訓練班
長の火箱が直接関わったわけではない。しかし奔走する運用班長を
支援し、運用班を手伝うことはよくあった。
火砕流に巻き込まれ、運転席に座ったまま亡くな ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(38)
雲仙普賢岳の大規模火砕流は死者・行方不明者43名、家屋焼失・倒
壊179棟という大惨事を引き起こした。
普賢岳は、1792年には日本史上最悪の火山災害が起こり、肥前、肥
後両国で1万5000名以上の死者が発 ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生 (37)
特科群は戦闘職種なのでまだ勝手がわかった。検閲時、特科群長が考える戦法も理解できたし、検閲官に講評の指導報告の際、それを是としない西方総監に意見具申、反論するほどの素地もあった。しかし会計隊や音楽隊は、これまたさっぱりわからない。有事 ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生 (36)
西方総監部防衛部には訓練班と防衛班などがあり、防衛班は年度の防衛・警備や災害派遣などを担当する。火箱が班長を務める訓練班は、西部方面隊の師団などへの演習場の割り当てや訓練経費の配分、演習日程調整など部隊訓練全般や、直轄部隊に対する訓練 ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(35)
思いもよらなかった異動先に気落ちしたものの、駆け出しの頃、世話になり尊敬していた上司が自分を買ってくれていたのはうれしかった。それに行きたくないと言ったところで、行かねばならないのが自衛隊である。気持ちを切り替えるしかなかった。着任し ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(34)
1986(昭和61)年、初めて開催された日米共同実動演習で九州の日出生台演習場が使用されたのだが、その際の地元民の反対の声は防衛庁・自衛隊の想像をはるかに超える激しさだった。というのも、湯布院や別府は朝鮮戦争時に米軍の戦力回復地として ...
神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(33)
陸幕広報室の報道担当として働いていた最初の一年、火箱は第一空挺団普通科群の中隊長着任に伴い引っ越してきた習志野の官舎から、六本木の防衛庁まで通勤していた。
広報の朝は早い。七時までに新聞各紙朝刊に目を通して自衛隊に関する記 ...
