自己紹介

こんにちは。ライターの渡邉陽子です。
 このたび並木書房から「オリンピックと自衛隊 1964-2000」を刊行することとなりました。
「自衛隊とオリンピックの関わりについて書いてみませんか」と、並木書房の編集者さんよりご連絡をいただいたのは、約1年前のことです。この軍事情報で毎週配信していただいているメルマガを目にして、声をかけてくださったのでした。
 それまで自衛隊アスリートの取材をしたことはあっても、オリンピックにおける自衛隊の支援についてかえりみたことはなかったので、お話をうかがった瞬間から「知りたい」「調べたい」「書きたい」「紹介したい」という気持ちがどかんと噴き出しました。
 目の前の締め切りに追われて思うように執筆のペースが上がらず、気持ちばかりが焦る時期もありましたが、ようやく1冊の本にまとめることができました。
 作業を進める中でなによりも驚いたのは、1964年の東京オリンピックでは、発足して10年足らずの、まだまだ世間から向けられる目も冷たい時代の自衛隊が、驚くほど多くの支援を行なっていたということです。自衛隊におんぶにだっこ状態の競技まである始末で、自衛隊の支援なしに東京オリンピックの成功はありえなかったことを初めて知りました。
 また、それほど多大な支援を行なったことを、現役自衛官がほとんど知らないことにも驚きました。そのような支援を行なったという事実を知る機会が、自衛官ですらなかったということです。
 自衛隊でその状態ですから、国民が知っているわけがありません。
 自衛隊の取材をするようになって、僭越ながら、いつでも「自衛隊と国民の架け橋になりたい」と思ってきました。ときに(自衛隊用語を世間一般用語に訳す)通訳として、ときに解説者や船頭としてわかりやすい言葉で発信することで、微力でも国民が自衛隊を知る手伝いができればと思ってきました。今回、その思いを書籍というひとつの形にできたことを、とてもうれしく思います。
 なお、本書では自衛隊体育学校と自衛官アスリート、2020年東京オリンピックにも触れています。現役選手、指導者、そしてメダリストのインタビューでは、みなさん実に魅力的で、かつ、飾らない言葉で本音を語ってくださいました。いま思い出しても楽しい取材でした(体育学校に入り浸り密着取材したいと本気で思いました)。読了後に私同様、「自衛官アスリートを応援しよう! めちゃくちゃひいきにしよう!」と思っていただけたら本望です。
 つたないメルマガを読んでくださっている読者の方はとうにご存じのことですが、私は軍事評論家でも装備マニアでもない、すべての知識が中途半端なフリーライターに過ぎません。そんな立場の人間でも、自衛隊を世に紹介することはできるのだと、この本によって再認識することができました。
 多くの方にお力をお借りして、公式文書以外で1964年の東京オリンピックと自衛隊との関わりをここまで追求した書籍はないと、自負できる本になりました。ぜひ、ひとりでも多くの方に読んでいただき、東京オリンピックにおける自衛隊の活躍を知っていただきたく思います。そして「こんなことまで手伝ったのか!」「そんなことまで頼まれたのか!」「なんという完璧な支援!」と、大いに驚いていただければ幸いです。
2016年5月 渡邉 陽子
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はじめまして。ライターの渡邉陽子です。

のたびご縁あって、長年購読している軍事情報にコラムを執筆させていただくことになりました。
 2001年からフリーランスのライターとして活動していますが、自衛隊に関わるきっかけは「セキュリタリアン」という防衛庁(当時)の広報誌で取材&執筆したことでした。その後「セキュリタリアン」の後継ともいえる「MAMOR」でもさまざまな部隊に行かせてもらったり有識者の話を聞かせてもらう機会を得たりして、気がつけばどっぷり自衛隊にはまっていた次第です。
 つての私は、従兄にレンジャー隊員がいるのにその意味も価値もまるでわかっていない人間でした。自衛隊は違う世界に存在する自分とは無縁の組織だと、なんの根拠もなく漠然とそう考えてもいました。
 んな私がなぜ自衛隊の記事を書くようになったのか、さかのぼれば原点は高校時代の部活動だったのだと思います。高校にはちょっと珍しく「航空部」というグライダーを操縦する部があり、私はそこに所属して3年間、毎週日曜日、埼玉県栗橋の利根川の滑走路でグライダーに乗っていました。上空で360度旋回すると都心の高層ビル(当時はまだサンシャイン60が一番のっぽでした!)から富士山、南アルプス、そして西に傾く赤い太陽が次々と目の前に現れ、翼のある乗り物にすっかりやられました。そしてもっと早い飛行機に乗りたいと、高校卒業後は旅客機にのめり込み、仕事とプライベート両方合わせると、70回ほど渡航しました。そのうち今度は旅客機よりももっと早い乗り物に興味を持ち、そこで戦闘機に行き着いたというわけです。
 れど人混みが苦手なので航空祭に足を運ぶわけでもなし、最寄りの基地に写真を撮りに行くわけでもなし、ただ「戦闘機、速くていいよね」と思っているだけです。ゆるゆるです。
 機になったのはフリーランスになったことだと思います。最初はJ-Wingを読んで満足していましたが(それ以前はAB-ROADとエアライン愛読者でした)、次第に戦闘機を運用するためにどんな部隊があるのか、その部隊はどんなところに所属しているのかと興味の範囲が広がっていき、最終的には「防衛庁は、自衛隊はなにをやっているんだろう」という大きな問いにたどり着いたのです。当時の防衛庁のHPは素人感満載のしょうもないつくりで、情報収集するにも心もとないということで、防衛白書を買って熟読しました。書店に防衛白書が売っていると知ったのも、このときが初めてでした。
 んなわけで月日だけは経ちましたが、私は軍事の専門家と言えるほどの知識はまだまだありません。装備品なら一般のマニアの方のほうがよほど詳しいでしょう。政策についても軍事ジャーナリストの方の足元にも及びません。あえて言うなら、専門家と一般国民の真ん中辺りに位置していると思われます。そういう立場だと、「自衛隊のなにがわからないのかもわからない」という国民の思いがよくわかります、私自身がそうでしたから。だから背伸びをせず、取材した部隊の紹介から記事にできなかった裏話まで、自衛隊に興味のない人が最後まで読んでくださるようなものをふわりと発信できたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
渡邉陽子
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「神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生」が書籍化されました

月刊『PANZER』に2021年10月号まで連載していた「神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生」が書籍化され発売の運びとなりました。火箱さんと名刺交換したのが2013年、取材を始めたのは2014年。何十時間もインタビューを重ね、「えらい人の俺様自伝」とは一線を画す1冊になったと自負しております。陸曹を目指す陸士、陸曹を極めたい陸曹、幹部を目指す陸曹、若い幹部、そしてなによりも一般企業に勤める方々に読んでいただきたい内容です。
福岡の田舎でのびのび育った少年が防大に進学して迷い悩みながら進んだ半生、包み隠さず話してくださった火箱氏の懐の深さあってこその1冊となりました。ぜひ! ご一読いただければ幸いです!
★陸幕長は「陸上自衛隊のいちばんえらい人」ですが、これを企業に当てはめると約14万人の従業員がいる会社の社長ということになります。国内でもっとも従業員が多いトヨタ自動車で約7万人。背負うものの重さが数字だけでもわかります。
★書籍を読んだ方から「面白い」と言っていただけて大変うれしいです。火箱氏の半生をひたすら追った本ですが、ビジネス書でもあり伝記でもあり教本でもありエンタメ本でもあることを意識して書いたので。自衛隊に詳しくない方でも楽しく読んでいただけます。
★書籍の元となったPANZERでの連載時、火箱氏にはいつも結果的に無茶ぶりばかりしていました。「もっと現場の写真はないですか」「今週末までに赤字を戻してください」。火箱氏が「この話も載せたい」と依頼されても「今月号はもう文字数がいっぱいです」と、ばっさりとか…よくぞ最後までブチ切れずお付き合いくださったと思います。この本は火箱さんの忍耐からできています。
★火箱氏は防大時代、学業と柔道に明け暮れましたが、たまに高校時代の友人に誘われて合コンにも参加しました。ところが自分の日常と華やかな飲み会とのギャップが「ものすごすぎた」。で、あまり楽しめなかったそうです。
★幹部候補生学校に入校する直前、火箱氏はまさかの「骨肉腫疑惑」に襲われます。幹候行ってる場合じゃない! その後の顛末は書籍で。なお、幹候名物の高良山登山走、当時のコースは25分以内にゴールするとされていました。幹部候補生時代の円谷幸吉が残した18分9秒というタイムはぶっちぎりの速さで、今もこの記録は塗り替えられていません。
Amazonだと送料がかかっていしましますが楽天ブックスなら無料です(ただし該当ページには著者&書籍情報が一切掲載されていません…)
「神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生」
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令和4年(2022年)3月
渡邉陽子