第3普通科連隊から第3即応機動連隊へ(4)

第3普通科連隊の連隊小銃射撃競技会(冬季の部)の続きです。
隊員たちは各自3発の弾薬が配当され、一度につき12名が300m先に身長170cmの敵が立っているという想定の正面の敵に対して12秒以内に射撃します。
採点は3発のうち1発でも当たれば命中、1発も当たらなければ不命中というシンプルなもので、3発命中でも1発のみ命中でも結果は「命中」と変わりません。ちょっと意外に思われるかもしれませんが、これは「戦闘では1発でも当たれば負傷するし、負傷者を下げるための人も必要になる」という考えからです。1発以上命中させた割合をもって各中隊の勝敗を決定します。
射座は夏季の小銃用掩体を模していて、射手が掩体の中に入って射撃をします。
結果、冬季の部の1位は重迫中隊、2位は3中隊で夏季の部との合計点は同点でしたが、実施規定により下記の部の上位中隊が上位となるため3中隊が優勝。後日、名寄駐屯地で表彰式が行なわれました。
ちなみにベストシューターのK3曹は全発命中、しかもすべての弾が指先第1関節程度の中にまとまっていました。これが野戦特科から異動してきて間もない重迫中隊の隊員というから驚きです
さて、2021年2月現在の第3普通科連隊は連隊本部、本管中隊、第1~第4中隊、重迫中隊、そして整備支援部隊で編成されています。いわゆる普通科連隊のスタンダードな編成です。
連隊長は名寄駐屯地司令も兼ねており、第一線級の戦闘部隊が配置された駐屯地としては日本最北に位置するため、冷戦時代はまさに最前線の地でした。そのため3連隊の精強さは広く知られ、これまでに3連隊長経験者の陸上幕僚長を3名も輩出している全国で唯一の部隊でもあります。第1次イラク復興支援群も3連隊が基幹、連隊長である番匠幸一郎1佐(当時)が群長でした。
山﨑連隊長も着任前から3連隊に対して「日本でもっとも寒さの厳しいところで、冷戦時代に第一線部隊として北方の守りを担っていたこと、そしてイラクへ最初に派遣されたすごい部隊」という印象を抱いていたそうです。
「上級部隊の第2師団は陸自唯一無二の作戦基本部隊です。普通科戦闘団を3個組め、新しい装備も持っていて、かつ道北防衛の要です。3連隊はその2師団の中においてもっとも北に位置しているというのは大きな特性です。また、今回の訓練検閲で戦闘団を編成するにあたり、配属を受ける第2特科連隊の連隊本体は旭川駐屯地にいますが、コンバットを組む2大隊は名寄に所在しているので、いつでも組める状態にあるというのも特性と言えるでしょう」
「それからこれは3連隊というより駐屯地全体に言えることですが、地元の方々が応援してくださっているのをひしひしと感じます。コロナ禍とあって、歴代の駐屯地司令に比べて地元のみなさんと直接お会いできる機会がなかなかないのが残念ですが、それでも駐屯地司令として大切にしてくださっているのも伝わってきます」
3連隊は1952年からの長い歴史の幕を閉じ、2021年度末に2師団唯一の即応機動連隊に改編され、新たな歴史を刻み始めます。
改編後は4個普通科中隊が3個になり、第1中隊のみ装備していたWAPCはほかの普通科中隊にも装備されます。また、重迫中隊が火力支援中隊と名称を変更、装備品はそのままで職種が普通科から野戦特科に変更となります。
そのため、これまで重迫中隊にいた隊員はナンバー中隊の81mm迫撃砲小隊等、もしくは新たに教育を受けてMOS(特技)を取得し、軽火器を扱う部隊に就くことになります。
さらにMCV(16式機動戦闘車)中隊が新編するほか、本部管理中隊の中に高射特科の近SAM部隊ができ、連隊本部には輸送科の幹部が入ります。つまり即応機動できるコンパクトにまとまった諸職種の連合部隊となる。
「第3即応機動連隊に改編されるという大きな節目に、連隊長としてここで隊員たちと共にいられるというのは、陸上自衛隊人生の中でこれほど幸せなことはないと思います」と山﨑連隊長。
 通常の練成訓練に加えて改編の準備、新たな教育、隊員によっては引っ越しを含む異動もあるなど、2021年度の3連隊は慌ただしい1年を送ることになります。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)4月7日配信)