海上自衛隊 第111航空隊 (7)

搭乗員たちはそれぞれ担当する機種がありますが、整備員にはその分担がありません。
 列線整備隊隊長によれば、整備員の人数が少ないため機種をわけて担当する余裕はなく、整備員はみなどちらの機種も整備できるのが基本だそうです。
 また、こうも話してくれました。
「MH-53Eはコックピットがアナログなので、故障したときの原因の探求は断然MH-53Eのほうがやりやすいです、今までの蓄積もありますし。MCH-101はエラー表示が出ても、何が原因でそのエラーが出ているんだろうと悩むこともあります。それから小さなことではありますが、MH-53Eはアメリカ製ですからインチ、ポンド表示。一方、欧州製のMCH-101はメートル、キログラム表示で、ネジや工具まで違います。私達の頭の中は、整備に関しては完全にインチ、ポンド仕様でしたから(笑)、慣れるまでは換算表を作ったりして、その切り替えが大変でした」
 取材時の111空司令は、3回目の111空勤務でした。
「海上自衛隊唯一の航空掃海部隊ですから、おのずと勤務が長くなります。規模もこぢんまりしているので、家族的な雰囲気の強い部隊ですね。メジャーな機種でない分、教育や研究開発などにも関わるので苦労が尽きません」
 大変なんですよと笑う声には、111空への愛情がにじみ出ていました。航空掃海一筋に生きてきたからこそ、思い入れも強いのでしょう。
「われわれは日本全国すべての港湾に展開する可能性があるので、通常の訓練も各地で行います。年中旅烏のように起動展開することに慣れているので、東日本大震災でも私が何かいうまでもなく、すぐさま対応できました」
 パイロットは震災当日の夜、フライトの目印にする灯台の明かりが見当たらず海岸線も漆黒の闇、けれど上空から部分的に見える妙に明るい光が火災炎だと分かったとき、愕然としたそうです。それにベテランパイロットである彼らですら、緯度と経度だけ伝えられ「グラウンドがあるはずだからそこに降りて」と言われるのは、初めての経験でした。しかも上空にはほかの部隊や報道のヘリまで飛び交い大混雑、管制による情報提供も指示も一切ありません。目的地に向かうのも降りる場所を探すのも、そして実際に降りられるのか確認するにも難儀しました。
 着替えも持たず着の身着のまま向かった東北で、それでも彼らはしっかりと任務を果たました。MH-53Eの機長は数週間ぶりに岩国に戻ってきたとき、改めて感じ入るものがあったといいます。
「われわれは災害派遣のための訓練はしていないので、有事を想定して行っている訓練を応用しているにすぎません。けれどその応用がちゃんとうまくいった。つまり、普段通りの訓練を積み重ねていれば、未曽有の災害にもしっかり対応できるのだと改めて思いました」
 有事を想定して備える、それは自衛隊の存在理由にもつながります。
 この取材でつくづく感じたのは、機雷という安価な兵器が持つ効果の大きさでした。
 極論でいえば、「機雷を撒いた」とデマを流すだけでも、その海域の船舶の航行に影響を与えることができるのです。
 日本は四方を海に囲まれた島国です。生活基盤の多くを海外から輸入し、加工貿易により経済が支えられている部分も大です。
 日本にとって生命線である海上交通を害する手段として最も手軽に用いられ、しかも費用対効果の高いものが機雷なのです。
 司令は111空の今後についても触れました。
「島しょ防衛を考えたとき、真っ先に出るのはうちの部隊です。機雷除去だけでなく、輸送任務も行うことになるでしょう。MCH-101については、不審船対処やテロ対処などの新たな付加任務に向けての試験も実施中です。また、かつて掃海部隊がペルシャ湾まで派遣されたことを考えれば、今後海外での活動も出てくるかもしれません。艦艇で寝起きしながら発着艦することは、日ごろから訓練しているとはいえ、厳しい任務になることでしょう。それでもわれわれには昔から培ってきた『掃海魂』があります。それは自分を律し、忍耐強く、チームワークを大切にし、掃海に命を賭けるという伝統でもあります」
 この取材から時間を経て法整備が進んだ今、司令のコメントがより重く感じられます。
 111空の隊員たちからは、「自分は海上自衛隊唯一の航空掃海部隊にいる」という誇りが感じられました。それは掃海部隊を持つ 米海軍をもうならせる航空掃海の技量の高さ、同じ機種を運用する他国から称賛される整備力、そして先人から継承した伝統があるからこそ。彼らの任務は今後さらに増えていくはずですが、111空はことごとくやり遂げてくれることでしょう。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成27年(西暦2015年)11月12日配信)