海上自衛隊幹部候補生学校(13)

ごあいさつ

こんばんは。渡邉陽子です。
新型コロナウイルスの影響で仕事が減ってから、仕事以外のことで初めて取り組んでみたものがあります。その結果、自分がいかに仕事を好きかということを知りました。もちろん仕事が好きだということは以前からわかっていましたが、「これほどまでに好きだとは!」と驚くレベルであることを知ったのです。それに改めて、当たり前のことですが、仕事を好きでいるためには努力もしなければならないということも再認識しました。
Kさま
教官をされていたのですか。海と空の文化の違い、肌で感じられたことでしょうね。「航空機好き」が私が自衛隊と関わることになった原点なので、パイロットにはいまだに強烈な憧れがあります。メッセージありがとうございました。

海上自衛隊幹部候補生学校(13)

起床から就寝まで分刻みのスケジュールを走ってこなす、未来の幹部たち。
その厳しい生活は覚悟の上で入校したのか、あるいは想像よりもはるかにきついのか? そんな疑問を5名の候補生たちに聞いてみました。
<回答者のプロフィール>
Kさん(男性) 防大卒 潜水艦・艦艇希望 23歳
Oさん(女性) 防大卒 航空装備・研究科希望 23歳
Fさん(女性) 一般大学大学院卒 航空(戦術航空士)希望 25歳
Hさん(男性) 一般大学卒 航空装備希望 28歳
Iさん(男性) 一般大学卒 潜水艦希望 25歳
Kさん、Oさんは防大卒の同期。
Fさんは教育大学の大学院卒で、希望している戦術航空士とは哨戒機P-1やP-3Cに搭乗して戦術指揮を取るTACCO、通称「タコ」と呼ばれます。タコとパイロットと階級の高い方が機長になります(機長=パイロットのイメージがありますが、そうとは限りません)。
Hさんは部内出身、曹候補士として入隊したので(現在は廃止されている制度です)、すでに7年の部隊勤務経験がある既婚者。
Iさんは一般大学出身。学生結婚しているので、この選択を妻も賛成してくれたということなのでしょうね。
Q1 入校前に抱いていた幹部候補生学校のイメージは?

Kさん 「防大出身だと江田島の厳しさを知っているだけに、防大を卒業するのが憂鬱じゃなかった?」と聞かれることもありますたが、私はむしろ早く卒業してここに行きたかったです。というのも、教育期間はどんどん終わらせて、1日も早く部隊で勤務したいと思っていたので。
Oさん 私は航空自衛隊希望が通らず海上になったという流れもあったせいか、防大卒業後に江田島に行くのはちょっと怖いなと怯えていました(笑)。ただ海上にも航空要員があるので、その後の切り替えは早かったです。
Fさん 私の場合、江田島に対してはとにかく厳しいところというイメージを持っていました。入校前に海上自衛官だった方とちょっとお話しする機会があり、その方から「ああ、江田島行くんですか! それはぜひ頑張ってくださいね!」と言われたことで、よりその思いが強くなりました。
Hさん 私はもともと呉の部隊出身なので、幹部候補生学校の厳しさは十分聞いていました。ただ、幹部になるには誰もがかならず通らなくてはならない道だし、現在の幹部はみんな江田島での1年間をやり遂げているわけなので、厳しいながらもなんとかなるかなと思っていました。
Iさん 私にとっては江田島イコール海軍兵学校という感じでした。入校前に一度研修で江田島を訪れ、先輩にあたる方々の話を聞く機会があったんですが、その話を聞いて「ここはやっぱり厳しいところなんだな」という認識を新たにしました。

Q2 一般大学を卒業した人は、なぜ海上自衛官になろうと思ったんですか?

Iさん 祖父は旧海軍、父も海上自衛官だったので、結構自然な流れで「大学卒業後は自分もこの道に進もう」と決めていました。
Fさん 私も祖父が旧海軍出身だったり、身近に海軍兵学校の先生をされていた方がいたりしました。また、海のそばで育ったので海も身近な存在です。幸い、両親も応援してくれました。
Hさん 
大学生の頃は普通に就職活動もしたんですけど最終的には自衛隊を選び、そのときは補士で入隊しました。陸海空の中では海が好きだから海上を選んだんですが、実は自衛隊に入る前にちょうど『坂の上の雲』を読んでいて、海上がいいなあと(笑)。海士として勤務していたときは決まったことを繰り返すだけの作業が多く、それにはスペシャリスト養成という目的があってのことだったんですが、物足りなさも感じたんです。そこで、幹部だったらいろいろな部隊を回れるなと思い、一般幹部候補生の試験を受けてみようと思いました。

次週に続きます。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)3月18日配信)