日の丸を背負う自衛官アスリート

昨夏、1964年の東京オリンピックにおける自衛隊の支援について紹介した『オリンピックと自衛隊』を上梓しました。
その際、調べものや取材を通じて私自身も初めて知ることが多々あったのですが、なかでも自衛隊体育学校と自衛官アスリートについては、その歴史と現状、そして今後について、いろいろ思うところがありました。
オリンピックを開催するだけでなく、開催国にふさわしい結果を出すための選手養成機関として設立されたのが体育学校です。それまでのオリンピックでの成績がぱっとしなかった日本は、開催国の威信をかけてメダルを狙える選手を育てなければならなかったのです。
1961年に設立された体育学校の一期生に、重量挙げで金メダルを獲得した三宅義信選手と、陸上1万mで6位入賞、そしてマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手がいました。彼らはメダル獲得という目標を見事に達成、体育学校の存在意義を確固たるものにしました。
以来、不参加だったモスクワ大会を除き、体育学校は1992年のバルセロナ大会まで7大会連続で自衛官アスリートのメダリストを輩出してきました。
ところがその後、2大会続けてメダルを逃します。幸い2004年のアテネ大会で銅メダルを1つ獲得でき、「12年間オリンピックのメダルなし」という最悪の事態は回避されました。昨年のリオオリンピックでもふたりの自衛官アスリートがメダルを獲得、面目を保ちました。
アスリートの育成は自衛隊の本来任務ではないので、体育学校は「部隊における体育指導者の育成と体育に関する調査・研究」が目的だとしています。
確かにその側面はありますが、やはり最大の目的は国際大会、特にオリンピックでメダルを狙える選手を育成することです。ですからオリンピックでメダルが獲得できないと、体育学校の存在意義が揺らぐことは否めません。
また、民間企業でもアスリートを抱えるようになっている今は、「有望選手の取り合い」という体育学校設立当初にはなかった状況も生じ、「民間でこれだけ競技としてのスポーツが普及してもなお、体育学校は必要なのか」という見方もあります。
ただ、射撃や近代五種競技など、自衛隊だからこそトレーニングできる競技もあるし、国を挙げて盛り上げたい競技を「まず体育学校で始めて欲しい」と頼まれることもあります。
それにメダリストはその知名度を生かし、「自衛隊の顔」として行なえる活動も少なくありません。たとえば被災地を訪問して災害の被害に遭った方を励まします。ロンドン大会のメダリストたちは多数のイベントに参加し、2020年オリンピックの東京開催の実現にも尽力しました。自衛官アスリートならではの活躍の場があることは、体育学校がこれからも存続する理由のひとつになるのではないでしょうか。
一方、私としては選手に対しても要望があります。
まず「自分が競技に専念できる環境は税金によるものだ」と、しっかり念頭に置いていてもらいたいということです。体育学校が世間から「税金の無駄遣い」といった攻撃を受けなかったのは、よくも悪くもこれまでその存在があまり知られていないからであって、現実には結果を出せない選手にいつまでも税金を使ってやってもいいと思う国民はいません。自衛官アスリートが背負う日の丸が重いのは当然なのです。
そして「自衛官である」という自覚も持ってもらいたいと考えます。部隊勤務の経験もなく、いわゆる「普通の隊員」と接する機会もなければ、なかなか難しいことかもしれません。それでも「アスリートとしての自分」だけでなく「自衛官としての自分」も意識し、自衛官として競技で活躍することがどういうことなのかを考えてほしいのです。そうすれば、おのずと日の丸の重みを競技へのエネルギーに変えることができるでしょう。
これからも彼らの活躍を期待しつつ、体育学校も熱く見守り、応援していきたいと思っています。
(おわり)
(わたなべ・ようこ)
(平成29年(西暦2017年)2月16日配信)