神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(29)
先週に続き、火箱氏の陸幕広報時代、どんより時期の続きからです。
陸幕広報報道担当となって間もない頃に、「募集難のこの時期、少しでも貢献できれば」という思いから写真週刊誌の記者へ新しく作成したポスターを貸したところ、なんと日教組のポスターと並べて掲載されることになってしまった。最初からそれがわかっていたら、もちろんポスターを貸したりするはずがない。貸した後に、写真週刊誌の企画が変わってしまったのだ。これは週刊誌側の完全なルール違反である。
当初は「自衛隊の募集ポスターも時代に合わせて雰囲気重視のものに変わってきた」という趣旨でポスターを紹介する話だったから、火箱は乗り、東京地連の協力も得たのだ。おそらく編集サイドが、ただ「自衛隊がこんなポスターを作りましたよ」と紹介するよりも、日教組のポスターと並べたほうが誌面としてよりおもしろいと判断したのだろう。
そして推測になるが、火箱への連絡はあえて、すでに輪転機が回りどうにもできない時点とした。事前に変更を伝えれば、まず掲載NGと言われることがわかっているからだ。
募集に貢献するどころか、自衛隊をやゆされるような記事に陸幕広報が自ら協力する形になってしまったかもしれない。募集課長に報告すると火箱同様青くなり、その様子を見ているだけでも事の重大さが伝わってきた。
そして話はなんと陸幕長にまで上がり、火箱は寺島泰三陸上幕僚長(当時)に呼ばれて「なんでこんなもん出すんだ!」と大目玉を食らった。
陸上自衛隊のトップから3佐が直々に叱られるとは、考えられない事態である。自分の軽率な行動を悔やんだ。「クビかな。辞表書くことになるか」と、覚悟した。
つてを頼って、書店に並ぶ前に肝心の写真週刊誌の中身を確認することができた。
記事は自衛隊をやゆしているものではなく、「自衛隊も日教組も大変だね」という比較的好意的な内容であったことは不幸中の幸いだった。
そのため、直属の上司だった広報室長や募集課長からも叱られたものの、自衛隊を否定するような記事ではなく特に影響はなかったということで火箱への処分はなし、陸幕長も「じゃあしょうがない」と矛を収めてくれた。
それでも自分の軽率な行動を悔やむ火箱に、監理部長が「募集広報に使える限られた予算の中、少しでも募集に貢献したいと積極的に動いた結果なんだからいいよ。陸幕長には俺からも謝っておくから、これからもその積極姿勢でやれ」と言ってくれた。救われる思いがした。
この一件で、広報への意識が変わった。広報が発信するものがどれほどの影響力を持つのか骨身に染み、過大評価も過小評価もない、ありのままの自衛隊を国民に知ってもらうために全力を尽くそうと決意した。
とはいえ、当時のマスコミは一部をのぞき、基本的に自衛隊のことは「叩いて叩いて叩きまくる」というスタンスだった。戦前の暴発した軍への回帰を極端に恐れ、自衛隊のような武装集団は叩いておけば平和が維持できる、そういう時代だった。一方的な記事を目にするたびに、火箱は「俺たちは戦争好き集団じゃないんだぞ。ちゃんと等身大で評価してくれよ」と悔しい思いをした。
だが、当時の自衛隊には隠ぺい体質と受け取られても仕方がないところもあった。戦車砲弾などが演習場外の国有林に出てしまう事案や弾薬不符合事案、隊員の不祥事事案が続くと影響が大きいので、原因究明に戸惑い発表が遅れたり、発表を控えたりするようなところがあったのだ。それも火箱は気に入らなかった。いくら等身大に見てもらいたいと思ってもそんなことをしているようでは、実現は程遠い。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)12月29日配信)