「ウィロビーの対中観」 朝鮮戦争における「情報の失敗」 ~1950年11月、国連軍の敗北~(29)

2020年4月21日

From:長南政義
件名:ウィロビーの対中観
2012年(平成24年)9月20日(木)
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軍事情報特別連載 戦史に見るインテリジョンスの失敗と成功
 朝鮮戦争における「情報の失敗」 ~1950年11月、国連軍の敗北~(29)
1950年11月に起きた「中国人民義勇軍の参戦に伴う国連軍の敗北」を
素材として、朝鮮戦争における「情報の失敗」を検討します。情報を
提供「された」側(高級指揮官や作戦立案者)だけでなく、情報を
提供「する」側にも、失敗への責任はあるのです。
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□前回までのあらすじ
中国の国益はモスクワの戦略目的と異なっていたにもかかわらず、
ウィロビーは共産主義陣営を一枚岩として見ていた。
その結果、ウィロビーは、中国の国家目的がソ連の国家目的とは
正反対であるにもかかわらず、中国がソ連の操り人形であり、
朝鮮戦争への中国の参戦にもソ連の承認が必要であると考えていた。
そして、ウィロビーのミラー・イメージングが1950年11月の
国連軍の敗北の原因の一つになった。
また、ウィロビー1人に責任を押し付けてきた先行研究とは異なり、
1950年11月の情報の失敗の原因となったミラー・イメージング
は、「情報提供者」であるウィロビー率いる極東軍司令部参謀部
第二部だけではなく、情報を要求する側である「カスタマー(政策
立案者)」の側にも存在した。
たとえば、ルイス・A・ジョンソン国防長官は、「1950年6月
の時点でソ連との戦争に巻き込まれるリスクを中国との戦争に
巻き込まれる可能性よりもより深刻に考える」との意見を持って
いた。また、ディーン・ラスク国務長官は、「もし、ソ連が世界戦争
を引き起こそうと決断しない限りは、朝鮮半島への中国の介入は
起こりえないと、強く感じていた」と証言している。
また、統合参謀本部は、1950年7月13日の報告書の中で、
「ロシアが共産主義者による世界支配計画の全く新たな段階に乗り
出したことは、韓国の情勢から今や明白となった」と述べている。
さらに、統合参謀本部は、この共産主義者による世界支配計画の
新たな段階が、ソ連の従属国が周辺国に彼らの意思を軍事的に
押し付ける性格を持つものであると考えていたのである。
▼「北京はロシアによる支援の確証がなければ宣戦布告をしない」(マッカーサー)
では、ウィロビーの上官であるマッカーサーは、中国の脅威をどの
ように認識していたのであろうか。
極東担当国務次官補ディーン・ラスクは、ウェーク島会談の際、
中国が朝鮮戦争に参戦する脅威に関しマッカーサーに特に意見を
求めた。マッカーサーは中国の選択について「ソ連の支援を算入
しなければならない」という条件を付けてコメントした。
ラスクによれば、中国が宣戦布告をするかどうかと尋ねられた時の
マッカーサーの反応は以下のようなものであったという。
「マッカーサーは、北京はロシアによる支援の確証がなければ
米国に対し宣戦布告をすると信じていなかった。マッカーサーは、
中国がジェスチャーで宣戦布告をするようなことはないだろうと
信じてもいなかったし、米国は宣戦布告を厳粛に受け止めなければ
ならないとも思っていなかった」
このマッカーサーの発言は、10月中旬の時点において、
マッカーサーが中国による介入の可能性をどのように理解していた
のかを雄弁に物語っている。
▼日中戦争史研究からウィロビーが得た知見~中国軍の戦闘能力は貧弱である~
では、ワシントンとマッカーサーに提出されたウィロビーの情報分析
は彼のどのような認識に基づいてなされたものであったのだろうか。
ウィロビーの最もひどい欠点の1つは、中国人を劣悪な戦闘能力しか
持たないものと見なしていた点である。ウィロビーはこのような偏見
を1937年から始まり第二次世界大戦終結まで継続した日中戦争に
おける中国軍の戦闘能力を観察することで有するに至った。
そして、中国軍の戦闘能力に関するウィロビーの意見は、彼が米陸軍
指揮幕僚学校の教官時代の間に研究した日中戦争研究を通じて形成
されたものであった。
ウィロビーの著書『戦争における機動』(Maneuver in War)を
繙くと、この本には数的に劣勢な日本軍が数で優る中国軍を撃破した
多くの事例が引用され、機動戦の重要性が強調されている。
上海攻略戦および南京攻略戦に関する作戦を説明する際に、ウィロビー
は、日本軍が数的に圧倒的優勢を誇る中国軍を完全に撃破するために
いかにして陸海統合作戦を展開したかについて詳述している。
ウィロビーは、兵力数では日本軍に対し約3倍近くの優勢を誇る
中国軍を撃破するために日本軍がいかにして機動作戦を展開したのか
について細かく言及している。数的優勢と海外からの兵器支援を受けて
いた中国軍が、数的に劣勢な日本軍に完全に撃破された戦史の例証は、
ウィロビーが1950年に中国軍と戦火を交える可能性が出てきた
ときに、ウィロビーの脳裏に深い印象を植え付けており、これが
ウィロビーの情報分析に悪影響を与えることとなった。
▼ウィロビーによる台児荘の戦いの分析
日中戦争において徐州会戦で日本軍が中国軍の殲滅を企図し殲滅に
失敗したのは有名な話である。この徐州会戦の引き金となった戦闘
に台児荘の戦いがあった。
台児荘の戦いは1938年3月から4月7日にかけて山東省最南部
の台児荘近辺で戦われた戦いで、台児荘攻略を企図した日本軍2個
師団が約10万の中国軍に包囲され撤退したため、中国側が「抗戦
以来の大勝利」と大宣伝した戦闘である。中国側は日本軍の「死傷
2万人余、捕虜無数、敵の板垣・磯谷両師団の主力は我軍のために
潰滅された」と誇大発表を行ったため、中国軍を率いた李宗仁の
名前と共に台児荘の戦勝は中国国内ばかりではなく世界各国にまで
広がり、プロガンダの面で非常に大きな効果を発揮した。
「潰滅」という中国側発表と異なり、中国軍司令官の李宗仁は大規模
な追撃命令を発令しなかった。このため日本軍は中国軍による包囲の
環を逃れることに成功し、中国軍は日本軍を殲滅することに失敗
した。中国軍のドイツ人軍事顧問であったアレクサンダー・フォン・
ファルケンハウゼンは、中国軍が追撃を実行しなかったことを聞き
「頭髪をかきむしって」焦慮を表現したといわれる。ちなみに実際
の日本軍の損害は、戦死約2370人、負傷者約9600人という
ものであった。
ウィロビーは、日本軍に対し約6対1の優位であった中国軍が
1938年4月に台児荘の反攻作戦で日本軍の後方連絡線をあともう
少しで遮断することに成功しそうになったことを知っていた。
逆に言うと、ウィロビーは、緒戦の敗北にも屈せず、日本軍が戦線を
安定させ中国軍の決定的勝利を防いだことを評価したのである。
ウィロビーは、このことを考慮して、中国軍と交戦するときの数に
対する質の重要性に関して以下のように書いている。
「日本は常に優勢な兵力を有する敵と交戦し、日中戦争を通じて
十分でない兵力比で敵と戦った。このことは即席に編成された部隊
[中国軍]に対する十分な近代兵器を装備した部隊[日本軍]の有効性
を物語るものといえる」
▼ウィロビーの「日中戦争アナロジー」
ウィロビーは、兵力で優る敵と交戦し勝利をおさめるためには
大胆な機動を利用する指揮官の能力が重要であると考えていた。
1938年5月に日本が反攻を企図した徐州会戦について描写した
ウィロビーは以下のようにコメントしている。
「日本軍は中国軍に対し5対1の劣勢であったが、日本軍は敵軍を
包囲するために機動を使用することができ、中国軍に退却を
強いることができた」
つまり、ウィロビーは、台児荘の戦いや徐州会戦の分析を通じて、
数的に劣勢な日本軍が戦術的機動をもって機動性で劣る中国軍を
撃破するイメージを確立するに至ったのである。
ウィロビーによる日中戦争の戦史研究と朝鮮戦争とを比較すると
面白い事実が浮かび上がる。本連載では、マッカーサーが太平洋
戦争で日本に勝利した戦略を朝鮮戦争において中国に対しても
使用し失敗したとして、「パシフィック・アナロジー」という概念
を筆者は提唱した。この「パシフィック・アナロジー」と同様に、
ウィロビーは、日中戦争における中国軍の戦闘能力の分析から
朝鮮戦争での人民義勇軍の戦闘能力を推し測ろうとしたのである。
筆者はこれを仮に「日中戦争アナロジー」とでも名づけることにしたい。
しかし、マッカーサーのパシフィック・アナロジー同様、
ウィロビーの日中戦争アナロジーも1950年11月の国連軍の
事例では通用しなかった。
1950年11月の事例では、中国軍は国連軍に対する兵力数の
優勢のみならず「機動性」の面でも優勢であったのだ。
なぜならば、人民義勇軍は、重砲や戦車といった装備が少なかった
ため道路に拘束されることなく、米軍であれば行動不能地域と
みなされる森林地帯や山間地帯に浸透し、国連軍を包囲することが
できたからであった。
つまり日中戦争における常に機動性に欠けるゆえに「包囲される」
中国軍というウィロビーの観察は、1950年11月には
ウィロビーにとって不利に働いたのである。1950年11月の
事例では、米陸軍および米海兵隊が十分な兵器を有し数的に劣勢な
日本軍の役割を演じ、満州に集結する数的に優勢な中国軍が、
質で優る敵軍によって撃破される役回りを演じる代わりに、機動力
を活かして質で優れる国連軍を撃破することに成功したのであった。
▼情報の失敗をもたらしたウィロビーによる中国人蔑視
では、ウィロビーはなぜ「日中戦争アナロジー」によって失敗を
犯したのであろうか。これにはウィロビーが心の中に抱いていた
中国人に対する偏見・蔑視が大きく関係していた。
たとえば、駐韓米大使ジョン・ムチオは、ウィロビーが中国人を
軽蔑していたとして以下のような証言を残している。
「ウィロビー将軍はあらゆる階級の中国人の能力を軽蔑していた。
中国人の能力に関するウィロビーの評価は、彼が共産中国の出現
以前の中国についてほとんど何も知らなかったということに起因
するものである」
ウィロビーは、太平洋戦域で経験を積む以前の時点ですでに中国人
の戦闘能力に関する自身の印象を形成し終わっていた。このウィロビー
の中国人の軍事能力に対する印象は日米開戦後に中国大陸で中国軍
が日本軍に対し優勢となった後も変わることがなかった。このような
ウィロビーの偏見は、中国共産党が朝鮮戦争に参戦する脅威を
分析評価する1950年11月にウィロビーが誤った判断をする
基礎を形成することとなったのである。
(以下次号)
(長南政義)
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●著者略歴
長南政義(ちょうなん まさよし)
戦史研究家。國學院大學法学研究科博士課程前期(法学修士)及び拓殖大学大学院国際
協力学研究科安全保障学専攻(安全保障学修士)修了。国会図書館調査及び立法考査局
非常勤職員(『新編 靖国神社問題資料集』編纂に関与)、政策研究大学院大学COEオ
ーラルヒストリー・プロジェクト・リサーチ・アシスタントなどを経る。
戦史研究を専門とし、大学院在学中より日本近代史の権威・伊藤隆の研究室で、海軍
中将中沢佑などの史料整理の仕事に従事、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料
情報辞典』3巻・4巻(吉川弘文館)で大山巌や黒木為もと(木へんに貞)など陸海軍
軍人の項目を多く執筆。また、満洲軍作戦主任参謀を務めた松川敏胤の日誌を発掘し
初めて翻刻した。
主要論文に「史料紹介 陸軍大将松川敏胤の手帳および日誌──日露戦争前夜の参謀
本部と大正期の日本陸軍──」『國學院大學法政論叢』第30輯(2009年)、「陸軍
大将松川敏胤伝 第一部 ──補論 黒溝台会戦と敏胤」『國學院大學法研論叢』第38
号(2011年)などがある。
最新刊 『坂の上の雲5つの疑問』 http://tinyurl.com/7qxof9v
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発行:おきらく軍事研究会(代表・エンリケ航海王子)
著者:長南政義
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