朝鮮戦争における「情報の失敗」 ~1950年11月、国連軍の敗北~(35)
(C)Department of Defence 前回までのあらすじ
1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。
マッカーサーは、朝鮮戦争の性格がソ連もしくは中国の介入によって劇的に変化することを明確に理解していた。それにもかかわらず、マッカーサーが鴨緑江への進撃にこだわった背景には、マッカーサーのある信念があった。
すなわち、マッカーサーは朝鮮半島から北朝鮮軍を追い出し韓国による朝鮮半島統一を目指していたのだ。したがって、北朝鮮領内から共産主義国の軍隊を完全に除去する以外のいかなる手段も、マッカーサーの観点からすると宥和政策以外の何物でもなかった。
ウィロビーが極東軍の情報日報(Daily Intelligence Summary)をコントロールしたことは、客観性を必要とする情報の分析評価に、不釣り合いなほどの個人的影響力を及ぼすことを可能とさせる結果を招いた。
情報技術が発達した現代では、ウィロビーのように特定の個人が情報分析過程で過度の影響力を発揮することは予防可能なことかもしれないが、それでも、2002年の国家情報見積り(NIE:National Intelligence Estimate)が、2003年にイラクに侵攻する際、ブッシュ政権の正当性の根拠の一つとなったように、情報技術も情報の失敗を防ぐ有効な手段とはなっていない。
指揮官の主観的な直観が情報将校の客観的な情報見積りを打ち負かす
米国は歴史的にみてある同じ傾向を何度も繰り返している。その傾向とは、紛争が決定的勝利を達成する以前に終了するものだと早まって思い込む傾向である。
ウェーク島における統合参謀本部議長オマー・ブラッドレーとの会談の結果、マッカーサーは朝鮮半島に展開中の第8軍をクリスマスまでに日本に再配置し、朝鮮半島に展開している1個師団を欧州へ転進させる計画を立案した。
米国陸軍のドクトリンでは「情報が作戦を動かす」ように定められているが、朝鮮戦争や2000年代の紛争でも、しばしば指揮官の主観的な直観が、情報将校の客観的な情報見積りを打ち負かしてしまう傾向がある。
北朝鮮陸軍を撃破し、国連軍と韓国政府の統治下で朝鮮半島を統一したいというマッカーサーの希望は、潜在的な中国による朝鮮戦争介入がもたらす諸結果から彼の目をそらす結果をもたらしてしまった。マッカーサーは願望を優先するあまり現実を直視できなかったのだ。
そして、ミラー・イメージングと共に、米国が早まって戦勝を宣言してしまう傾向は、テロとの戦争でもみられた傾向であった。読者諸賢は、ブッシュ大統領がイラクとの戦争で勝利を宣言した後も、同地での紛争において米軍が苦戦した事実をご存知であろう。
誤りは繰り返されるが、歴史は繰り返されない
2001年、アフガニスタンで体制転換(レジーム・チェンジ)を実行するために実施された不朽の自由作戦では、米国を中心とする圧倒的軍事力が敵対勢力を撃破した結果、主たる戦闘は約二ヶ月という短期間で終結し、タリバン政権は打破された。
不朽の自由作戦の迅速な成功は、マッカーサーの仁川上陸作戦と同様にワシントンの政策中枢を幻惑させ、2003年にブッシュ政権がイラクでアフガニスタンにおけるのと同様の政策を実施しようとした際に、それに反対する声は小さなものとなってしまった。
2003年の事例では、アフガニスタンで成功したやり方なのでイラクでも成功するに違いないという考え方をした多くの軍事的・政治的指導者が数多く存在したのである。
軍事的・政治的指導者はある大規模軍事作戦に関する諸々の背景的事実を注意深く分析しなければならない。というのも、ある軍事作戦が成功に終わった背景に存在する諸条件は別の軍事作戦でも再現されるとは限らないからである。つまり、人間が誤りを犯す思考過程は繰り返されるが、歴史は繰り返されないのだ。
難しい撤退の時期
イラクにおける米国の経験は、政治指導者が戦略目標は達成されたと早まって結論づけてしまった多くの事例を示している。
1991年の湾岸戦争を終結させたのは政治主導による停戦命令であったが、この停戦命令はサダム・フセインの共和国防衛隊の大部分を多国籍軍の包囲の環から逃亡させることを許す結果をもたらした。共和国防衛隊の残存部隊を攻撃できる距離に米陸軍の2個軍団が存在したが、当時の米国大統領ジョージ・H・W・ブッシュは指揮官たちに作戦の停止を命じたのである。
2003年の春、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラク自由作戦を終え本国に向けて航行中の空母に航空機で降り立った。その時、彼の背後には「任務は達成された!」と書かれた旗が掲げられていた。
その旗を設置したことの背後に存在する意図はさておくとして、その旗が持つ象徴的意味は明確であった。すなわち、アメリカ軍はイラクで勝利し、戦争はほぼ終結したというわけである。
2008年の大統領選挙キャンペーンでは、イラクに展開する米軍をいつ撤退させるのかという問題が、民主・共和両党の間で(あるいは政党内部でも)主要な論点の1つとなった。
1950年の事例では、戦争が終結する前に朝鮮半島に展開中の米軍部隊を日本や欧州に再展開することが計画されたが、それから50数年後の事例でも、イラクでのテロ活動が続いている最中に米軍はイラクから撤退することを決めたのである。
政治指導者が軍事指揮官に適切な指針を与えることの必要性
マッカーサーが極東軍司令官としてきわめて強力な権力を持っていたことは、政治分野および国際関係分野における軍事指揮官の役割について多くの示唆に富む問題を提起している。
T.R.フェーレンバッハは、政治指導者の意図をこえて軍事指揮官が作戦行動を行わざるを得ない原因について以下のように述べている。
「ワシントンが時々、軍人が軍事の分野をこえる決定を行うことを認めたため、ワシントンが本質的に政治的なことであっても純粋に軍事的思考で考えるよう軍人に強制したため、ワシントンが戦争と政治との間に存在する仕切り壁のように行動したりすることがあるため、軍事指揮官は時に政治指導者の意図をこえた決断をすることが必要になる」
フェーレンバッハの指摘は、政治指導者が軍事指揮官たちに適当な指針を与えることの必要や、軍事指揮官たちが国家の政策目的と協調することの必要性を再認識させてくれる。マッカーサーや米国の統合軍の指揮官たちを見てもわかるように、高級軍事指揮官が付与された責任と権限の巨大さは、外務省(国務省)やその他の政府機関のそれとは比べ物にならないくらい巨大だからである。
1950年11月の失敗が現代に与える教訓
1950年11月の国連軍の情報の失敗の原因となった事は、現代でも起こり得ることばかりである。つまり、ウィロビーが敵の意図を精確に予測するという彼の任務に失敗した原因を研究することで、その教訓を現代に生かすことが可能なのである。ミラー・イメージング、マッカーサーのような巨大な権力を持った指揮官の影響力、過去の作戦の成功が新たな作戦を呼び込むという人間の心理、そして戦争が終わってもいないのに終わったものであると考えてしまう思考経路は、朝鮮戦争だけではなく、イラク戦争などの現代の戦争でも見ることの出来る失敗なのである。
(おわり)
次回からは、「戦史に見るインテリジェンスの成功と失敗」第2弾「米軍のアフリカキャンペーンにおけるインテリジェンスの成功(仮題)」として、トーチ作戦を情報戦の観点から分析する記事を予定しております。
(長南政義)
1950年11月の朝鮮戦争における「情報の失敗」の原因となった、(1)予測分析の問題、(2)制度的機能不全、(3)人的・政治的要因という3つの問題に関する考察が終了し、前回から結論としてその要点を概観している。
マッカーサーは、朝鮮戦争の性格がソ連もしくは中国の介入によって劇的に変化することを明確に理解していた。それにもかかわらず、マッカーサーが鴨緑江への進撃にこだわった背景には、マッカーサーのある信念があった。
すなわち、マッカーサーは朝鮮半島から北朝鮮軍を追い出し韓国による朝鮮半島統一を目指していたのだ。したがって、北朝鮮領内から共産主義国の軍隊を完全に除去する以外のいかなる手段も、マッカーサーの観点からすると宥和政策以外の何物でもなかった。
ウィロビーが極東軍の情報日報(Daily Intelligence Summary)をコントロールしたことは、客観性を必要とする情報の分析評価に、不釣り合いなほどの個人的影響力を及ぼすことを可能とさせる結果を招いた。
情報技術が発達した現代では、ウィロビーのように特定の個人が情報分析過程で過度の影響力を発揮することは予防可能なことかもしれないが、それでも、2002年の国家情報見積り(NIE:National Intelligence Estimate)が、2003年にイラクに侵攻する際、ブッシュ政権の正当性の根拠の一つとなったように、情報技術も情報の失敗を防ぐ有効な手段とはなっていない。
指揮官の主観的な直観が情報将校の客観的な情報見積りを打ち負かす
米国は歴史的にみてある同じ傾向を何度も繰り返している。その傾向とは、紛争が決定的勝利を達成する以前に終了するものだと早まって思い込む傾向である。
ウェーク島における統合参謀本部議長オマー・ブラッドレーとの会談の結果、マッカーサーは朝鮮半島に展開中の第8軍をクリスマスまでに日本に再配置し、朝鮮半島に展開している1個師団を欧州へ転進させる計画を立案した。
米国陸軍のドクトリンでは「情報が作戦を動かす」ように定められているが、朝鮮戦争や2000年代の紛争でも、しばしば指揮官の主観的な直観が、情報将校の客観的な情報見積りを打ち負かしてしまう傾向がある。
北朝鮮陸軍を撃破し、国連軍と韓国政府の統治下で朝鮮半島を統一したいというマッカーサーの希望は、潜在的な中国による朝鮮戦争介入がもたらす諸結果から彼の目をそらす結果をもたらしてしまった。マッカーサーは願望を優先するあまり現実を直視できなかったのだ。
そして、ミラー・イメージングと共に、米国が早まって戦勝を宣言してしまう傾向は、テロとの戦争でもみられた傾向であった。読者諸賢は、ブッシュ大統領がイラクとの戦争で勝利を宣言した後も、同地での紛争において米軍が苦戦した事実をご存知であろう。
誤りは繰り返されるが、歴史は繰り返されない
2001年、アフガニスタンで体制転換(レジーム・チェンジ)を実行するために実施された不朽の自由作戦では、米国を中心とする圧倒的軍事力が敵対勢力を撃破した結果、主たる戦闘は約二ヶ月という短期間で終結し、タリバン政権は打破された。
不朽の自由作戦の迅速な成功は、マッカーサーの仁川上陸作戦と同様にワシントンの政策中枢を幻惑させ、2003年にブッシュ政権がイラクでアフガニスタンにおけるのと同様の政策を実施しようとした際に、それに反対する声は小さなものとなってしまった。
2003年の事例では、アフガニスタンで成功したやり方なのでイラクでも成功するに違いないという考え方をした多くの軍事的・政治的指導者が数多く存在したのである。
軍事的・政治的指導者はある大規模軍事作戦に関する諸々の背景的事実を注意深く分析しなければならない。というのも、ある軍事作戦が成功に終わった背景に存在する諸条件は別の軍事作戦でも再現されるとは限らないからである。つまり、人間が誤りを犯す思考過程は繰り返されるが、歴史は繰り返されないのだ。
難しい撤退の時期
イラクにおける米国の経験は、政治指導者が戦略目標は達成されたと早まって結論づけてしまった多くの事例を示している。
1991年の湾岸戦争を終結させたのは政治主導による停戦命令であったが、この停戦命令はサダム・フセインの共和国防衛隊の大部分を多国籍軍の包囲の環から逃亡させることを許す結果をもたらした。共和国防衛隊の残存部隊を攻撃できる距離に米陸軍の2個軍団が存在したが、当時の米国大統領ジョージ・H・W・ブッシュは指揮官たちに作戦の停止を命じたのである。
2003年の春、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラク自由作戦を終え本国に向けて航行中の空母に航空機で降り立った。その時、彼の背後には「任務は達成された!」と書かれた旗が掲げられていた。
その旗を設置したことの背後に存在する意図はさておくとして、その旗が持つ象徴的意味は明確であった。すなわち、アメリカ軍はイラクで勝利し、戦争はほぼ終結したというわけである。
2008年の大統領選挙キャンペーンでは、イラクに展開する米軍をいつ撤退させるのかという問題が、民主・共和両党の間で(あるいは政党内部でも)主要な論点の1つとなった。
1950年の事例では、戦争が終結する前に朝鮮半島に展開中の米軍部隊を日本や欧州に再展開することが計画されたが、それから50数年後の事例でも、イラクでのテロ活動が続いている最中に米軍はイラクから撤退することを決めたのである。
政治指導者が軍事指揮官に適切な指針を与えることの必要性
マッカーサーが極東軍司令官としてきわめて強力な権力を持っていたことは、政治分野および国際関係分野における軍事指揮官の役割について多くの示唆に富む問題を提起している。
T.R.フェーレンバッハは、政治指導者の意図をこえて軍事指揮官が作戦行動を行わざるを得ない原因について以下のように述べている。
「ワシントンが時々、軍人が軍事の分野をこえる決定を行うことを認めたため、ワシントンが本質的に政治的なことであっても純粋に軍事的思考で考えるよう軍人に強制したため、ワシントンが戦争と政治との間に存在する仕切り壁のように行動したりすることがあるため、軍事指揮官は時に政治指導者の意図をこえた決断をすることが必要になる」
フェーレンバッハの指摘は、政治指導者が軍事指揮官たちに適当な指針を与えることの必要や、軍事指揮官たちが国家の政策目的と協調することの必要性を再認識させてくれる。マッカーサーや米国の統合軍の指揮官たちを見てもわかるように、高級軍事指揮官が付与された責任と権限の巨大さは、外務省(国務省)やその他の政府機関のそれとは比べ物にならないくらい巨大だからである。
1950年11月の失敗が現代に与える教訓
1950年11月の国連軍の情報の失敗の原因となった事は、現代でも起こり得ることばかりである。つまり、ウィロビーが敵の意図を精確に予測するという彼の任務に失敗した原因を研究することで、その教訓を現代に生かすことが可能なのである。ミラー・イメージング、マッカーサーのような巨大な権力を持った指揮官の影響力、過去の作戦の成功が新たな作戦を呼び込むという人間の心理、そして戦争が終わってもいないのに終わったものであると考えてしまう思考経路は、朝鮮戦争だけではなく、イラク戦争などの現代の戦争でも見ることの出来る失敗なのである。
(おわり)
次回からは、「戦史に見るインテリジェンスの成功と失敗」第2弾「米軍のアフリカキャンペーンにおけるインテリジェンスの成功(仮題)」として、トーチ作戦を情報戦の観点から分析する記事を予定しております。
(長南政義)