【第32回】 馬を盗んだ男の処断

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第32回】 馬を盗んだ男の処断

ごあいさつ

 

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

今回は楠木正成が平時に行った領民統治の
具体的な事例を紹介いたします。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第32回】 馬を盗んだ男の処断

 

(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十六 正成兄弟討ち死にの事」より)

 

 

病母をかかえた貧しい男が馬を盗む

 

 楠木正成が湊川で散った一年前の春の頃、正成が
国へ下っていると、河内平岡の郡(こおり)(現在の東大
阪市。旧枚岡市域)から、「盗人である」とのことで捕え
られて来る者があった。正成は、この男と道で行き遭っ
た。ことの子細を問うと、馬を盗んだとのことであった。正成が

 

「どうしてそんなことをしたのか」

 

と問うたならば、この者には一人の母がいた。発病して
いたので、医師を招いて、薬を服用したところ、医師が
云うには、

 

「米二石をいただければ治そう」

 

とのことであった。これを約束して治療してもらうと、病気は
少し癒えてきた。この者は貧しかったので、米二石を持って
いなかった。医師はしきりにこれを請求して、まだ病気が
治っていないのに薬を与えなかった。この男は親しい人た
ちに向けて米を求めたところ、ある程度は頼ることができて、
一石だけは何とかして支払うことができた。医師が云うには、

 

「お前は貧乏人である。約束していた米のあと一石を調え
なければ、良薬は与えられない」

 

とのことだったので、近傍の三宅の郷(現在の八尾市内)に
忍び込んで馬を盗み取り、平野(三宅郷の西。現在の大阪
市平野区。交通の要衝)の市場で米三石で売った。一石を
医師に支払い、一石を先ほどの借主に返済した。

 

 しばらくして、馬の主がこの馬を見つけてこれを尋ねたと
ころ、この男が盗んだことが発覚した。

 

 

事実を確認して、慎重かつ公正に処断

 

 正成は、医師を呼んだ。千早に帰って詳しく尋ねると、あの
男が云ったとおりであり、その母は子を思うあまりであろうか、
病気が再発してすでに死にそうである。正成が云うには、

 

「馬を盗んだのは、重罪である。命を助けるべきではない男で
ある。が、その前に、どうしてここまで貧しい身となったのであ
ろうか、それが知りたい。教えてくれるならば正成が公約を赦
そう。公納十のうち二つを免除しよう。どうであろうか」

 

とのことであった。傍らにいた人が、

 

「去年、あの男は半年間も足を痛めまして、田畑の耕作は少
ししかできませんでした。塩干しの魚などを売って暮らしてい
た者でございます」

 

と申した。正成は、

 

「そのように不運な者であったか。半年間、体を煩(わずら)っ
て仕事に就けなければ、貧しくなるのも当然のことであろう。
馬の主は、馬を取り返したのであるから、あの男の命を私に預けよ。

 

 馬を買った者には、五石の米を与えることにすれば損はない
であろう。馬の主にもまた、米二石を与えよ。これはしばらく馬
を使えなかったことの損失料である。また、買い主も代わりの
馬を買うまでは、馬が無くで不自由するので、二石の米は利息
である。元の馬の値段は三石なので合計して五石である。」

 

 

諸悪の根元は貪欲な医師と判断

 

 続けて楠木は言う。

 

 「医師は無道である。それほどの不運な者から二石の米を
取るということに何の道理もない。医師は慈悲を専らとすると
さえ云われるものだ。そうであれば、慈悲があるならば謝礼が
なくても与えるべき薬ではないのか。代価を調えられない者に
は、そうあらねばならないのではないのか。医師がはなはだ貪
欲であったがために、国に盗人が出来てしまったのであるぞ。

 

 『貧しいがゆえに盗むのは罪が浅い』とその昔の法にある。
しかし、盗人を罪としなければ国法ではない。あの男の小さな
家を取り壊して焼き捨てよ。」

 

 そして、

 

「母に孝のある男である。新たな里へ往かせて田畑をも作らせ
よ。家を作ってやれ」

 

と云って、さらに米十石をお与えになったのである。

 

「医師は無慈悲な人である。貪欲な人が国にあれば、人を損ず
るものであるぞ。そうだ。私の分国には好ましくない」

 

とのことで、河内・摂津・紀伊・和泉の四箇国から追い払ったの
であった。

 

 楠木は、少しでも欲深く邪な者であれば嫌い、正直に人の道を
守って無欲である者を賞したのであったという。この他にも細々と
した事までも、このように理非を論じ定めたという。

 

 

地域の行政責任者の責任を追及

 

 平岡の郡司・宇作美五郎を呼び寄せて申したことには、

 

「この度の事は、貴殿の郡政に怠りがあったと思われる。そもそも
郡司は郡の人民の歎きを承知してこれを止め、ご自分の手に余
るような事があれば、私に申されるべきであろう。

 

 貧しい者を救うことこそが第一である。民に飢えている気配が無
いような善政こそ欲することであるのに、このように不運な者の病
であれば、なぜ下司(げし=下級者)に命じて救われなかったのか。
下司もまた怠りがあった。下司の怠りは貴殿に怠りがあるからだ。

 

 貴殿はおそらく何も知られずにいたのであろう。これは皆、貴殿の
怠りである。貴殿の怠りは、正成の怠りそのものではないか。罪は
一人に帰すと云うことがある。貴殿の怠りは、そのまま正成の怠り
とするのである。

 

 かつては貴殿もそれほどまでに怠りがあるような人ではなか
ったが、驕りがあったからであろう。大いに悪しきことではござら
ぬか。郡の司となる者に少しの誤りがあっても、大なる怠り事がで
きてしまうものでござろう。以前の善きことからすれば、大いに変わ
り果ててしまったものだ」

 

とのことであった。宇佐美は面目を失い、しばらくは出仕を止めてい
たものだという。

 

 これらは皆、楠木の智仁勇のなせる業である。

 

 

(「馬を盗んだ男の処断」終り)

 

 

 

 

 

(いえむら・かずゆき)

 

(平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月19日配信)

メルマガ購読・解除
 


↓ ↓ 筆者・家村和幸さんの著作集です ↓ ↓

関連ページ

【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
『楠木正成の統率力』のバックナンバーです。【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿
【第2回】兵士たちを命令に従わせるには
『楠木正成の統率力』 【第2回】兵士たちを命令に従わせるには です。
【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より)です。
【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる です。
【第5回】神仏を信じるということ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第5回】神仏を信じるということ(2014/6/20配信)です。
【第6回】恩賞の与え方と受け方
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第6回】恩賞の与え方と受け方(2014/6/27配信)です。
【第7回】敵意を解いて服属させる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー  【第7回】敵意を解いて服属させる(2014年7月4日配信)です。
【第8回】小勢をもって多勢に勝つ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー  【第8回】小勢をもって多勢に勝つ(2014/7/11配信)です。
【第9回】叱るよりほめよ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第9回】叱るよりほめよ((140718配信)です。
【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第10回】軍(いくさ)を心に懸ける 2014/7/25配信 です。
【第11回】千早城外での夜討ち
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第11回】千早城外での夜討ち 平成26年(2014年)8月1日配信です。
【第12回】 敵将の短慮につけいる
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第12回】 敵将の短慮につけいる (平成26年(2014年)8月8日配信)です。
【第13回】 千早における楠木の諜報活動
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第13回】 千早における楠木の諜報活動(平成26年(2014年)8月15日配信) です。
【第14回】 物と人を備えるということ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第14回】 物と人を備えるということ(平成26年(2014年)8月22日配信) です。
【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第15回】 敵の夜討ちと返り忠を防ぐ (平成26年(2014年)8月29日配信) です。
【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る 平成26年(2014年)9月5日配信です。
【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』 平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月12日配信です。
【第18回】 大将は戦場を離れるな
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第18回】 大将は戦場を離れるな (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月19日配信) です。
【第19回】 武家と庶民の違いは何か
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第19回】 武家と庶民の違いは何か (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月26日配信)です。
【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第20回】 楠木正成の初陣~攻守逆転の謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月3日配信)です。
【第21回】 千早から退却する敵を追撃
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第21回】 千早から退却する敵を追撃 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月10日配信) です。
【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第22回】 急場をしのいだ楠木の智謀 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月17日配信)です。
【第23回】 柔を以て剛を制するの術
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第23回】 柔を以て剛を制するの術 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月24日配信)です。
【第24回】 泣き男の謀(はかりごと)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第24回】 泣き男の謀(はかりごと) (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月31日配信)です。
【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月7日配信)です。
【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第26回】 飯盛城攻略作戦 その2 (2014/11/14 配信)です。
【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第27回】 飯盛城攻略作戦 その3 (平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月21日配信)です。
【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)11月28日配信)です。
【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月5日配信)です。
【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6
『楠木正成の統率力』のバックナンバー 【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月12日配信)です。
【第31回】 楠木正成の領民統治
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第31回】 楠木正成の領民統治 (平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月19日配信)です。
【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第33回】 志貴右衛門と湊川の戦い(前段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月9日配信)です。
【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段)
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第34回】 志貴右衛門と湊川の戦い(後段) (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月16日配信)です。
【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【第35回】 智仁勇の武人・楠木正成 (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月23日配信)です。
【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る
『楠木正成の統率力』のバックナンバー【最終回】 楠木正成の首を故郷に送る (平成27年(皇紀2675年 西暦2015年)1月30日配信)です。